「海道一の弓取り」と呼ばれ、東海に大国を築いた今川義元の嫡男が氏真(うじざね)だ。ところが氏真は、いわば父が興した大会社を一代で倒産させてしまったダメダメ2代目社長で、戦国武将の中でも評価は最低ランク。はっきり言って「バカ殿」呼ばわりされている。
イラスト・奈日恵太
イラスト・奈日恵太
 桶狭間の戦いで父が敗死したとき、氏真は23歳だった。松平元康(徳川家康)をはじめ、家臣たちの離反が相次ぎ、家中の主だった武将は桶狭間で戦死しており、あっという間に今川家は衰退していく。同盟を結んでいた甲斐の武田信玄にも裏切られ、もはや父の仇を取るどころではなくなった。四面楚歌となった氏真は掛川城へ逃げのびて籠城したが、最終的に降伏して開城する。東海の名門、今川家はあっけなく滅びてしまったのだ。

 氏真は妻の実家である北条家に落ちのびたが、義兄の北条氏政が武田と同盟を結んだため、敵対勢力である徳川家康を頼り、以降は家康に庇護されることになる。

 実は氏真は文化人としては一流の人物で、剣術は塚原卜伝に学び免許皆伝の腕前。和歌は後水尾天皇選の「集外三十六歌仙」に名を連ねるほどの大名人。そして最も有名なのが蹴鞠(けまり)だ。飛鳥井流宗家の飛鳥井雅綱に師事し、その技の評判を聞いた織田信長に呼ばれて披露したほど。父の仇の前でにこやかに蹴鞠をしてみせたのだから、ある意味、心臓が強いのかもしれない。

 その後も氏真は京都に移住して半世紀近くを生き、77歳という長寿を全うした。今川の子孫は高家(江戸幕府の儀式や典礼を司る役職)として明治維新まで存続している。「倒産」させたとはいえ、大名への執着を一切捨てて文化人として諸芸の道を究めた氏真の転身はなかなか鮮やかである。織田、北条、武田、そして豊臣家も嫡流の血筋が途絶えていることを考えると、氏真の人生は立派な逆転だったといえるかもしれない。

 小説やドラマではすっかりバカ殿に描かれているが、信長に先駆けて「楽市」政策を行ったり、武田信玄に塩止め作戦を仕掛けるなど、政治家としてまるっきり無能だったわけではない。彼の不幸は自分を支えてくれる有能な家臣がいなかったことだ。

 頼りない2代目でも、優れた番頭役がいれば会社はどうにでもなる。倒産後も多くの家臣は彼を慕って行動をともにしたし、部下の再就職のために奔走する責任感も持っていた。文人としての力量に加え、魅力的な人物が評価されたからこそ、家康も彼を保護したのだろう。

 たとえ仕事ができなくとも、一芸に秀でていて、人柄に魅力があれば、社会の中で成功することはできるものだ。氏真の生き方を見ていると、少し勇気がわいてくる。 (渡辺敏樹/原案・エクスナレッジ)