森本敏(元防衛相、拓殖大学特任教授)

 いま、国民世論を客観的に集計するとすれば、その多数は恐らく中間軸より、やや右派寄りで、やや(親中ではなく)親米寄りという結果になるであろう。

 日本人の本質は保守的で急速な変化を求めないが、ひどい体験をすると大きく反対に振れるという性格を持つ。来年で戦後70年になるが、この性格は変わっておらず、とりわけ、原発や米軍・米軍基地、集団的自衛権行使、特定秘密保護法になると、右派寄りの世論とは異なり、反対の方に少し振れるという現象が表れる。

 これは理屈を超えたものであり、過去の体験に基づく感情が支配するからであろう。

日本人は「抑止」は不得手


 だからかと思われるが、日本人は国際情勢の変化に敏感であるものの、自分の身に何かが起こりそうにないと真剣にならない。

 イスラム国やエボラ出血熱が身近な問題になると大騒ぎをするだろうが、中国の尖閣領海侵犯やレーダー照射、自衛隊機への異常接近、あるいは東日本大震災や福島第1原発事故、御嶽山噴火などの方に、はるかに大きく反応する。

 どの場合も事前に事態に備えるというより、実際に体験したあとで、反省と対策に大騒ぎして過剰反応するのである。危機管理には「抑止・予防」と「被害局限・復旧」の2面があるが、日本人は前者に向かない性格なのだろうか。

 東アジアにおいて、海兵隊を含む在日米軍は日本のみならずアジア太平洋にとって不可欠の抑止力である。中国が南シナ海に軍事進出してきたのは、米軍が在比米軍基地から撤退したあとの力の真空を埋めようとしたからだ。東シナ海の現実を見ると沖縄に駐留する米軍は日本の安全にとって最も重要な抑止力である。

 その中心課題が海兵隊のヘリ部隊が駐留する辺野古施設であることはいうまでもない。世論調査によると、今回の沖縄県知事選挙で県民が最も重視している争点は基地問題で、その最大課題は辺野古施設の建設工事であり、普天間基地の返還を実現することである。

将来の島づくりの転換点に


 いずれにしても今回の知事選挙は、沖縄にとって政治的節目を示す転換点になるであろう。しかし、政府は辺野古施設の工事計画を変える考えはない。辺野古施設を建設して普天間基地からオスプレイや他のヘリを移転させ、普天間基地の返還を速やかに実現するという目標に変わりがないからである。これは日米協力体制の下で、東シナ海を中心に海洋進出する中国への抑止力として、将来にわたって重要かつ不可欠の基地施設であると確信しているからである。

 このように重要な機能を持つ辺野古施設の工事計画に政府が取り組んでいるのに、これを取り消したり撤回するのは合理的と思えない。それよりも県民にとって重要なことは、この選挙を通じて沖縄の将来を展望した島づくりを構想し、これを実現する契機とすることであろう。

 今回、選挙の構造を見ると保守政党は構造劣化し、革新政党は分裂している。県民は政治や政党ではなく、何をよりどころにして沖縄の将来を築いていくかを選択する選挙になろうとしている。

 これは望ましいことかもしれない。沖縄が本土とは異なる政治土壌にあるという選挙はこれで終わりにしてほしい。本土の県と同様に県民中心の福祉や発展、地域伝統文化、人材育成などを軸とした未来性のある地域作りを争点とした選挙にしてほしい。米軍基地の賛否で投票して沖縄の地域振興が進むことにはならないのである。

本土は痛みを理解している


 沖縄にはなお、在日米軍基地の7割近くが集中している。政府もこれをよく理解し、沖縄の負担軽減を図ってきた。牧港補給地区の返還時期も短縮しようと努力している。オスプレイの半数を県外に訓練移設することも、普天間基地の5年以内の運用停止を目標に努力することも約束している。

 経済振興としては、年間3000億円台の一括交付金の確保や那覇空港第2滑走路建設に取り組んでいる。沖縄経済はこのところ観光産業や失業率、個人消費が改善され、景気は上向き状況にある。

 その沖縄の人々から「われわれは差別されている」という声をよく聞かされたが、誰も沖縄を差別などしていない。日本で最も重要な一部と考えているからこそ、政府は負担軽減策に懸命に取り組んでいるのである。

 本土の人々は沖縄県民の痛みが分かっていないと言うが、それも誤りだ。われわれは沖縄が歴史の中で負ってきた痛みを理解している。そのうえで、沖縄の人々が日本全体の中でいかに沖縄が戦略的に重要な位置にあるかを理解し、日米で取り組んでいる負担軽減努力を公正に評価するとともに、沖縄の将来を展望した現実的な選択をしていただきたいと思う。

 われわれは沖縄が豊かな文化と伝統を有する日本で最も美しい島であることを誇りにしている。今回の選挙が沖縄の新たな出発点であってほしいと念願する。




森本敏(元防衛相、拓殖大学特任教授)
 昭和16年、東京生まれ。防衛大学校卒業。外務省退官後、野村総研主席研究員、拓殖大学海外事情研究所所長・同大学院教授を経て現職。21年に麻生内閣で初代防衛大臣補佐官、24年6月には民間人初となる防衛相に就任。