さらに、たちが悪いのが、こうしたエセ愛国教育を批判するリベラルメディアとリベラル言論人たちだ。愛国教育を戦前回帰だと毛嫌いし、政治的に攻撃する。「教育勅語」は、ともかく悪いものだと決めつけている。

 そして、「このような教育は行き過ぎだから規制しろ」と言い出すのである。要するに、国家が“正しい教育”を国民に提供しなければならないと言うのだ。

 しかし、なにが正しいかを国家が決めてはいけない。それは教育統制であり、最終的には北朝鮮と同じになる。

 高等教育における「学問の自由」ではないが、初等教育にも自由があっていい。世の中にいろいろな教育が存在し、それを、親が自由に選べることが理想だ。その意味で言えば、森友学園のような学校も存在しても構わない。そこに入れるか入れないかは親の選択の問題だからだ。

 それに、前記したように、日本のようなユニークな国こそ、この教育の自由が必要だ。しかし、日本では教育が文部科学省の統制下に置かれ、その現場を長らく日教組が仕切ってきたので、自分の意見をはっきり言えない、人目を気にして妥協を繰り返すような人間ばかりが大量生産されてしまった。
2月3日、新潟市で始まった日教組の第66回教育研究全国集会
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 私はこうした日本の教育が信じられず、自分の娘をインターナショナルスクールに入れた。1980年代半ばのことで、当時、教育現場は、いじめ問題、校内暴力問題、学級不成立問題などで揺れていた。友人の小学校教師は「女の子を公立校になんか入れたら大変なことになる」と真顔で言った。

 公立の場合、学区内の学校に行く決まりがある。この決まりを破ってインターに入れたため、役所の窓口に指定の学校に行かないことを届け出に行った。

 すると、役所の人間は「日本人は日本の学校に行くのが義務です。あなたのお子さんは非国民になりますよ」と言った。非国民なんて言われたのは、生まれて初めてだった。

 しかし、娘は非国民にならなかった。私もより一層、日本に対する愛着が深まった。インターのような多国籍、多文化の中でも揉まれると、自分が日本人あること、日本文化で育っていることが、際立って意識されるからだ。その意味で言うと、海外で暮らしている日本人の方が、国内で暮らしている日本人より、より強く日本を意識し、愛国心も強い。

 もっと言えば、英語(他言語)を話してこそ、日本語の美しさ、よさがわかるのだ。

 娘は成人していまニューヨークで暮らしているが、お正月には、必ずおせち料理と雑煮をつくる。片時も日本を忘れたことはない。

 公立学校ということで言うと、日教組のおかげで日本の学校には愛国教育が存在しなくなってしまった。なにしろ、日の丸掲揚、国歌斉唱まで禁忌されたことがあった。

 しかし、アメリカには日本にはない愛国教育がある。