前述のように私は老年精神科医として、親の介護に義務感を持ちすぎている人を多くみてきた。もちろん、それで日本人全体の傾向を論じることはできないだろうが、介護うつや介護離職などの数をみても、相当親への孝養という道徳観に囚われている人は多いはずだ。

 また、景気回復が謳われ、失業率は下がっているが、非正規雇用率や相対貧困率が高まり、格差が拡大しているのはいろいろな統計で問題になっている。多くの国で、格差の拡大は犯罪の増加につながるが平成15(2003)年くらいから強盗、傷害、殺人などの刑事事件はおおむね減少のトレンドにあり、殺人事件にいたっては年間1千件を下回るようになっている。

 東日本大震災の際の助け合いといい、火事場泥棒のようなものの少なさといい、むしろ世界の道徳の見本のように言われたのだ。
東日本大震災で港に打ち上げられたフェリー亀山(中央)=平成23年4月6日、宮城県気仙沼市
東日本大震災で港に打ち上げられたフェリー亀山(中央)=平成23年4月6日、宮城県気仙沼市
 たまたまネットニュースを見ていたら、中国の新聞が、野菜の無人販売所についても同様に「誰も見ていないのに、野菜や売上金を盗む人がいない」という日本人の公徳心の高さを称賛したり、立体駐車場のようなものが成り立つのも日本人がルールをきちんと守るからだと、中国人と比べて道徳心の高さを絶賛していた。

 道徳教育を考えるうえで、道徳というのは、一般の人に「人の道」を説くという要素と、上に立つものが人々に示す「徳」の要素があるという話を、道徳教育を考える保守論陣の集まりで聞いたことがある。これは正鵠を射ている。

 そう考える際に、日本人にむしろ足りないのは、道の教育ではなく、徳の教育なのではないかと思うようになった。海外では「ノブレス・オブリージュ(高貴なる人の義務)」という言葉が盛んに用いられ、富裕層の寄付も決して少なくないが、日本では二言目には寄付税制がないことが言い訳にされる。これでは、税金が安くないと寄付をしないと言っているようなもので、徳の心にそぐわない。

 税金を高くすると国を逃げていくというようなことが公然と論じられるのも、それが恥ずかしいことだという徳の教育の欠如からだろう。冷戦時のトルーマン政権では、最高税率が91%になったことがあったが(これによってアメリカの中流が勃興し、自動車産業や家電産業が急成長したという説もある)、これにしても冷戦に勝ち抜くために、私有財産を犠牲にするという徳の精神や愛国心が背景にある。