社会心理学の考え方に「属人思考」というものがある。自分が尊敬する人のいうことや信頼している人の言うことは正しいと思い、嫌いな人やバカにしている人のいうことは正しいことでも受け入れられないというものである。

 もちろん望ましくない思考パターンなのであるが、上に立つものは大衆がそういうものの考え方をするということを前提に徳を積むことで、自分の言っていることの信頼度を上げないといけないし、自分が嘘つきだとか金に汚いと思われると、立派なことを言っていても否定されるということを心しないといけない。

 たとえば、ノーベル賞というのは、その人の研究に対して与えられるものなのに、その人の人格まで素晴らしいものにみえ、その人の専門外の分野の発言でも正しいことのように受け入れられるというのはその一例であるが、ほとんどの人が思い当たることだろう。

 今回の森友学園問題にしても、籠池氏の人格が否定される中で、その教育方針までおかしいと考えられてしまっているわけだが、このような思考パターンが通常のものであるからこそ、道徳教育を先導する人間は、徳を示さないといけない。

 確かに野党のやることは揚げ足取りのようなことが多いが、徳を求められない立場にある人間からの批判に徳を示さないといけない為政者が慌てたり、虚偽答弁をするなどという恥ずかしい対応は許されないことだと心すべきだ。
蓮舫代表(右手前から2人目)の質問に答弁する安倍首相
蓮舫代表(右手前から2人目)の質問に答弁する安倍首相
 以前も道徳教育を先導する文部科学大臣が、不正献金疑惑の際に「法に触れていない」という趣旨の答弁をしたが、法に触れなければ何をしてもいいのであれば道徳教育は必要ないと言われても仕方ない。「道徳を先導する立場として、法には触れなくとも、道義上の責任を取る」と言えたほうが国民の範になるだろうし、再起の可能性も高まるはずだ。

 保守的な教育を進める教育者の人たちも、きちんと籠池氏の批判をしないと自分たちまで「カネ目当て」と思われ、高邁な理想がかすんでしまう。こういう危機のときこそ、過去の過ちは正直に打ち明け(どういう人物か分からなくてつきあうことはミスであっても悪事ではないのだから堂々としていい)、場合によっては道義上の責任を取ることで、徳を示すことが安倍政権や道徳教育の進むべき道なのではないか。