ケイリブ・イームス(米海兵隊大尉)

[取材・構成]タカ大丸(ポリグロット〔多言語話者〕)

 私が操縦するオスプレイは、大きく揺れつつ名もなき沖縄中部の野球場に降り立った――。

 といっても、これはシミュレーターの話である。

 7月下旬、私タカ大丸と担当編集者の野村高文氏は那覇空港に降り立った。私にとっては1月に某テレビ局の通訳として同行して以来2度目の沖縄で、目的地は渦中の普天間基地だ。

 「未亡人製造機」という悪評が付きまとう垂直離着陸輸送機オスプレイに、現場の隊員はどんな思いで乗っているのか? 普天間から辺野古の移転は日本と米軍の双方にどのようなメリットとデメリットをもたらすのか? そんな本音を現役海兵隊大尉に直撃する機会に恵まれた。

 まず通されたのは、基地内にあるオスプレイのシミュレーターである。現役軍人が訓練用に使うもので、沖縄の地形や建物の高さまで精巧に再現され、操縦に不具合が発生した時の揺れもじつに正確で、操縦席が激しく揺れる。不謹慎を承知でいうが、「究極の男の子のおもちゃ」である。実際にこの訓練では、「ヘリコプターとして離着陸し、飛行機として飛ぶ」オスプレイの特性を生かし、「いざというときに球場に着陸する」というシミュレーションや、住宅地にある普天間の性格上自由に行なえない「夜間飛行」の訓練も行なわれる。

 その後、普天間のすぐ隣にあるキャンプ・フォスターの総司令部にあるオフィスに通され、イームス大尉のインタビューを開始した。

海兵隊は「ならず者集団」ではなく「カエル」


  ―― 最初に、あなた自身のことから伺いたいと思います。沖縄に配属される前は、どちらにいらっしゃったのですか?

 イームス 私は海兵隊に加わって18年目ですが、その間に全世界のさまざまな基地を経験しました。以前はジョージア州の基地に所属していましたが、2010年に沖縄の第31海兵隊遠征部隊(MEU)への赴任命令を受け、現在に至ります。いまでは沖縄が大好きになりました。

 ―― 18年前に入隊を志したときには、陸海空軍、そして沿岸警備隊という選択肢もあったはずですが、なぜほかの4つではなく海兵隊を選んだのですか?

 イームス 私が海兵隊を選んだのは、自分の可能性を限界まで突き詰めてみたかったからです。人生のなかで何か意義があることをやり遂げようと思い、職務に対してもっとも忠実で、軍のなかで一番のエリートとみなされる海兵隊をめざしたのです。

 ―― そもそも、海兵隊と海軍を混同している日本人も多いと思いますが、両者の違いを教えていただけますか。

 イームス 海軍の役割は軍艦で海兵隊員を運ぶこと、海兵隊はその艦船から出発して海岸線に上陸することを任務としています。ほとんどの場合、海軍は海上に残って海兵隊の沿岸上陸を支援しています。海軍にも一部、上陸に特化した特別な部隊がありますが、あくまで主役は海兵隊です。カエルのように水中からやってきて、陸に上がるのです。私たち海兵隊は、海軍が大好きですよ。われわれの足となり、乗り物を提供してくれますからね。(笑)

 ―― ノルマンディー上陸作戦のようですね。

 イームス いい例ですね。海兵隊は国家の911番(警察に通報する110番のようなもの)であり、有事に際して迅速対応できるように構築されています。この「迅速対応」には、人道支援も含まれます。好例が東日本大震災後の「トモダチ作戦」です。ただし、私たちは長期作戦には向いていません。アフガニスタンではすでに10年以上も作戦に従事していますが、あくまでも例外です。海兵隊は長期間、砂漠地帯に駐屯するようにはできていないのです。

 ―― まして、アフガニスタンは山岳地帯ですからね。

 イームス そのとおりです。山岳地帯での作戦も可能ですが、あくまで専門は沿岸上陸です。

 ―― 日本人のなかには海兵隊を「ならず者の集まり」と誤解している人もいると思います。たとえば映画『ジャーヘッド』(2005年公開)では主人公が「オレには2つの道しか残されていなかった。刑務所か、海兵隊か」という場面があります。実際、海兵隊にはどのような人が入ってくるのでしょうか?

 イームス 海兵隊にエントリーするには、まず高卒の資格と一定のGPA(平均評定値)が必要です。そのうえで入隊試験に合格するためには、肉体的・精神的な健康さも求められる。海兵隊の入隊基準は年々厳しくなっており、前科・犯罪歴がある場合はその時点で入隊不可です。また、入隊後の昇進にも学士号・修士号が関係してきます。海兵隊は皆さんが思っている以上に「学歴社会」なのです。私にいわせれば、『ジャーヘッド』の主人公はいわゆる「腐ったリンゴ」、出来の悪い海兵隊員ですよ。

 ―― 一方で、アメリカの人気作家が書いた『トム・クランシーの海兵隊』(東洋書林)では、海兵隊は肯定的に描かれています。本書では、CNNが海兵隊にとって重要な情報源であるとされているのですが、実際のところはいかがですか?

 イームス そのとおりです。海兵隊はつねに最新のニュースを注視しており、世界の政治の動きなどに敏感に反応しています。だからこそ、私たちが求めるのはきちんと学業を修め、さらに成長し続けようとする人物なのです。

わが子をオスプレイに乗せたことも


 ―― 今年7月にはMV-22オスプレイが8機、普天間基地に追加配備されました。しかし現在も多くの日本人がオスプレイの安全性に懸念を抱いており、一部では「未亡人製造機」という不名誉なあだ名もあるほどです。これに対してはどうお考えですか?

 イームス まず、いまの問いのなかには正しくない部分があります。現にここ沖縄には、数百人の会員からなる「オスプレイファンクラブ」があり、フェイスブックにも数千人の支持者が集まっています。彼らは「災害時に迅速に動ける」「以前より多くの支援物資を運べ、長距離を飛行できる」といったオスプレイの利点を理解してくれていると思います。

 1つの実例を挙げましょう。普天間基地では毎年6月、敷地内を一般公開するフェアを行なっており、今年は7万人の来場がありました。彼らが真っ先に見たがったものは何か? オスプレイです。ニュースで話題になっているものの実態はどうなのか、興味津々の様子でした。来場者に感想を聞いてみたところ、多くが「最新型のオスプレイは能力が高く、配備されてよかった」といっていました。「まだよくわからないので、いろいろ聞きたい」と、私や現役のパイロットに、安全性やその他の質問を熱心にしていた人もいました。

 こうした声がすべての日本人を代表しているかどうかはわかりませんが、私が実際に見聞きした範囲では事実です。われわれもホームページやフェイスブック、ツイッターなどを活用して情報公開に努めており、地元メディアにも「正しい情報」を伝えることを期待しています。

 ―― たとえば『琉球新報』や『沖縄タイムス』を「左翼的」と評する向きもあります。これらの地元メディアは信頼に足るものなのでしょうか?

 イームス 正直にいって、彼らが本来伝えるべきことを伝えていない、と思うことはあります。それでも、私たちは可能なかぎり地元メディアと協調の姿勢を続け、オスプレイの安全性を訴えていきます。パイロットやクルーの大部分は妻子持ちで、私自身、何度もオスプレイに搭乗し、わが子を乗せたこともあります。本当にオスプレイが危険なら、妻はけっして私をオスプレイに乗せないでしょう。私としても、そう簡単に妻を未亡人にするわけにはいきませんよ。(笑)

 オスプレイは全米のあらゆる場所を飛行し、ワシントンDCやニューヨークなど人口密集地域の上空も飛んでいますが、何の問題もありません。沖縄の皆さんにはいつでも実物をお見せしますので、ぜひご自身で安全かどうかを判断していただきたい。そのために必要な情報もすべて提供します。オスプレイ配備を懸念する声が強いのも、情報が伝わっていない側面があるからだと思いますので。

 ―― もう1つ、米軍と沖縄の関係で避けて通れない話があります。ごく一部とはいえ、残念ながら海兵隊の「腐ったリンゴ」が沖縄の女性に暴行被害をもたらし、米軍への反感をもたらしているのも事実です。海兵隊はこの問題をどう考え、対処しているのでしょう?

 イームス 私たちは、地元のコミュニティーに対して細心の注意を払っています。実際のところ、統計を見ると、海兵隊を含む駐留米軍の犯罪率は地元沖縄の住民の半分以下です。米軍に所属する男女の99・9%は素行に何の問題もなく、私と同じくバーベキューやコミュニティー活動といった普通の近所付き合いをしています。昼夜、街に出てもトラブルを起こしたりしません。

 5万人の医師を集めれば、1人くらいはよからぬことをする輩もいるかもしれない。5万人の教師でも同じことがいえるでしょう。海兵隊もしかりです。ただし、私たちは法律を犯した疑いのある者を厳しく追及し、有罪判決が出た場合、軍規に従って処罰します。そして軍隊の刑罰は、日本のそれよりもはるかに重いものです。

那覇空港が津波で潰れても、高台の普天間は使える


 ―― 『正論』(2013年6月号ほか)では、一部の反米活動家がゲート前に居座り、米兵の車に怒鳴り散らしたり蹴りを入れる、道路に寝そべるなどの行動を取っていると報道されていますが、これは本当でしょうか?

 イームス 私自身も目撃しています。女性兵士が顔に砂を投げつけられ、目に入って負傷したという事件もあります。ただし、そういう活動家はごく少数で、6人から10人程度のものです。どう考えても、彼らが沖縄の大多数を代表する存在とは思えません。私が知る沖縄の地元民は、穏やかで平和的な人たちばかりで、私自身も基地の外で暮らし、近所の人たちとお互いを夕食に招いて友好的な関係を築いています。ありがたいことに、活動家が散らかしたゴミを週末に片付けにきてくれるグループもあるぐらいです。

 ―― それは、地元の人たちですか?

 イームス そう、善意の人たちが毎週末、掃除にきてくれるのです。私が「なぜこんなことをしてくれるのですか」と聞いたところ、「あの活動家連中が地元の代表と思ってほしくない。自分たちの住む土地は、清潔で平和な場所であってほしい」という。それを聞いて、思わず、涙が出そうになりました。私は沖縄の皆さんの良心を信じています。

 ―― 私自身は、オスプレイの安全性は心配していません。ただ、普天間飛行場そのものが住宅地に近く、その点では安全性には問題があると思っています。

 イームス 普天間は安全な空港です。運用実績も十分にありますし、住宅地に囲まれている空港はほかにもあります。日本でも伊丹空港(大阪国際空港)や福岡空港は住宅地のなかにあり、米国でも、ロナルド・レーガン空港はワシントンDCのダウンタウン(繁華街)のそばにあります。もちろん、騒音などの問題があり「理想的な状況」とはいえないからこそ、米日両政府は普天間を辺野古に移転することで合意したのですが、かといって普天間が危険ということはありません。

 もう1つ重要なのは、普天間飛行場は高台にあるということです。那覇空港は海抜0mの地点にあり、津波の際に仙台と同じく使用不能になる恐れがあります。そのとき普天間は理想的な発着位置にあるといえます。

 ―― では、仮に辺野古に移転できたとしましょう。海上にヘリポートをつくることによって環境破壊につながることはありませんか? くしくもジャレド・ダイアモンドは『文明崩壊』(草思社文庫)のなかで、環境破壊が文明崩壊の1つの要因だと指摘しています。

 イームス 『文明崩壊』は私も大好きな本です。ただ、彼がいう環境破壊は主として50年以上前の乱開発が対象で、現代の空港建設、それも辺野古には当てはまらないと思います。

 強調したいのは、辺野古のヘリポートは決して何もない場所につくるのではないということです。既存のキャンプ・シュワブを一部、海上に拡張するというかたちでつくられます。そのため、地元の皆さんは騒音や不安から解放され、私たちもより自由な運用ができるようになる。辺野古移転は双方にとってプラスになる案なのです。

 ―― 現時点で、日米同盟の「いまそこにある危機」は尖閣諸島です。現在、海兵隊は尖閣防衛のためにどのような訓練をしているのですか? 万が一、中国に占領された場合にはフォークランド紛争のような奪還のシナリオを用意しているのでしょうか。

 イームス それは政府レベルが決めることで、私の口から、具体的な地域の具体的な作戦をお話しすることはできません。ただ、これだけはいえます。Every Marine is ready(海兵隊員は皆、準備が整っている)。われわれは人道支援のみならず、あらゆる種類の紛争に対する準備も行なっています。これまで海兵隊は、上陸作戦で高い実績を挙げてきました。

 そこで大きな役割を果たすのがMV-22オスプレイで、老朽化したCH-46(タンデム・ローター式のヘリコプター)に比べ、速度は約2倍、積載量は約3倍、行動半径は約4倍となり、遠距離からの作戦遂行が可能になります。現在、あらゆる想定をもとに上陸作戦の訓練を重ねており、政府からの指令があれば、海兵隊はすぐに出動できます。普段から「準備万端」にしておくのがわれわれの任務なのです。

東北で見たのは最悪の災害と日本人の強さだった


 ―― イームスさんは東日本大震災の「トモダチ作戦」にも参加されたと伺いました。震災発生時、どこで何をしていたのでしょうか?

 イームス 当時を思い出すと、いまでも胸が詰まります。あのとき私は日本人の強さを再確認し、自らの職務に大きな意義を見出すことができました。3月11日、私はインドネシア・マナドの近海で、津波をはじめとする巨大災害支援の訓練に当たっていました。訓練には、インドネシア、米国、日本、その他のアジア各国が合同で参加していました。

 ―― スマトラ島沖地震(2004年)の津波のようなものを想定していたのですか。

 イームス ええ、「大津波が起こり、現地に急行する」というシミュレーション訓練でした。ちょうどそのとき、友人から「ニュースを見ろ。地震と津波が日本を襲ったぞ」というEメールを受け取りました。大慌てでニュースサイトを見たのですが、インドネシアの海上はネットの接続環境が極度に悪く、やきもきしたのを覚えています。そのうち被災地の写真が画面に現れ、大きな衝撃を受けました。私も日本に住んでいて、友人もたくさんいる。自宅は海の目の前で、妻と子供は無事なのか……。

 ―― だが、あなたは遠いインドネシアにいた。

 イームス 隊員全員がその晩、新たな情報を求めてネットやテレビにかじりついていました。やがて、米日両政府が合意し、海兵隊が現地に派遣される可能性が高いことを知りました。私たちは数週間に1度、このような災害支援の大規模訓練を行ない、準備を重ねてきました。被災者は食べ物や水を必要とし、東北が寒いこともよく知っていました。そして、船内には救援に必要な物資がすべて揃っている。たしか震災発生は午後でしたね。

 ―― 午後3時前でした。

 イームス その夜、私たちがニュースにくぎ付けになっていると、何の発表もないまま突如、軍艦が方向を急転換したのです。瞬間、すべてのテーブルが大きく傾き、上から物が滑り落ちました。「ああ、これから東北に向かうのだ」と悟り、何千人もの乗組員が一斉に歓声をあげました。「行くぞ!」。まさに求められる場所へ、求められる時に向かうことができる、と。あの瞬間は生涯、忘れることはないでしょう。その後、日本に向かっていた他の部隊と合流しました。原発の状況が不透明だったので、いったん日本海側から北海道まで北上し、そこから再び被災地に向けて南進しました。そして宮城県付近の海域に入ったわけですが――。

 ―― 真っ先に目に飛び込んできたものは何でしたか?

 イームス 海岸線から40~50マイル(60~80㎞)離れた地点に、白い箱が浮かんでいるのが見えました。さらに近づくと、冷蔵庫だとわかりました。その周囲には子供用の靴も浮かんでいる……。私は言葉を失い、思わず泣きました。目の前に突きつけられた現実は、もはや私の理解の範疇を超えていました。あれほどの大規模災害に対して、「心の準備」ができる人などどこにいるでしょうか。

 2001年に「9・11」テロが発生したときも、私はすぐにニューヨークに向かい、無残に破壊された世界貿易センタービルを目の当たりにしました。そのとき「これは最悪の事件だ」と思いましたが、東北のほうがはるかに悲惨だった。

 ―― その後、海兵隊は孤立していた大島(気仙沼市)の救援に当たりますが、あなたが大島に上陸したのは、いつのことでしたか?

 イームス 第一陣の上陸は3月27日で、私もその一員でした。当時、大島にあった船舶は津波ですべて流され、港湾も流された家屋や瓦礫で溢れており、救援物資を運ぶための船が接近できない状態でした。ライフラインもすべて絶たれたまま、2週間以上が経過していた。そこでまず、東北電力から借りた高圧電力車を揚陸艦で運び、電気を復旧させました。そしてすぐに地元の方々とお会いし、食料や水を提供したのです。

 港沿いでは、破壊し尽くされた家屋の前で、1組の老夫婦が呆然と座り込んでいました。私が近付き、「大丈夫ですか。何か助けになれることはありませんか?」と声をかけたところ、小柄で美しい老婦人が立ち上がり、涙を流しながら「ありがとう、ありがとう」と私を抱き締めたのです。そのとき私は、災害の瞬間に被災地にいること、救うべき人の目の前にいることに深い感動を覚えました。あのときのことは、いまでも忘れられません。

 ―― その後、大島の人たちとは交流が続いているのでしょうか?

 イームス 大島の方々とはいまでも家族ぐるみの付き合いをしています。震災後、5回ほど大島を訪れているのですが、妻と子供と一緒に現地のハーフマラソンに参加し、地元の方の家に泊めてもらったこともあります。滞在したのは漁師の一家です。一人息子の男の子と最初に出会ったとき、彼は瓦礫に埋もれた漁の道具を必死で掘り起こしていました。あれから2年が経ち、彼の身長もだいぶ伸びました。わが家にも泊まってもらい、いまもよくフェイスブックなどでやりとりしていますよ。

 ―― 海兵隊に関しては、Every Marine is a rifleman(すべての海兵隊員は名射手である)という言葉もあると思いますが、東北には誰一人として銃を持っていかなかったそうですね。

 イームス ええ。あなたの言葉は正しいですが、より正確にいえば、Every Marine is readyでしょう。ここでいう“ready” には、人道支援活動も含まれます。沖縄でも瓦礫やゴミの処理、台風後の民家の再建を手伝ったり、孤児の受け入れやホームレスの支援活動も行なっています。また、フィリピンの台風、スマトラの地震、台湾の土砂崩れといった災害時にも、救援のために海兵隊は出動しました。じつは、アジア太平洋地域における海兵隊の任務の大半はこうした人道支援なのです。

トモダチ作戦で陸自の「プロの動き」を実感

 ―― トモダチ作戦の際に、あなた方は日本の自衛隊と共同作戦をとられたわけですね。自衛隊の能力についてどのような印象を受けましたか?

 イームス 陸上自衛隊の迅速な対応には強く感銘を受けました。私自身の経験に絞って話すと、彼らはプロとして洗練されており、柔軟な動きができる。東日本大震災が起きる前までは、このような救援作戦は想定されていなかったと聞きますが、それでも彼らは、刻々と変わる現場の状況に対して臨機応変に対応していました。率直にいって、どの国のどの軍隊も、あれほどの規模の災害に対応する準備はできていません。米軍ですら、ハリケーン・カトリーナのときに初動が遅れたとして大きな批判を浴びました。一方で、日本の陸上自衛隊は即座に私たちのところにリエゾン・オフィサー(連絡官)を配置し、協働体制をつくりました。海兵隊が大島に入ってから1週間程度で現地を離れることができたのも、陸自がすべてを引き継ぐ力を備えていたからです。

 海兵隊と陸上自衛隊は多くの場面で連携して動いています。いまでは普天間基地に陸自のリエゾン・オフィサーが常駐しており、両者の関係はかつてないほど良好といえるでしょう。つい最近も、日本の自衛隊がアメリカで「ドーン・ブリッツ(dawn blitz)」に参加したのをご存じでしょうか。

 ―― 今年6月にカリフォルニア州で行なわれた統合訓練ですね。

 イームス そうです。あれを見れば、私たちの強い協力関係は一目瞭然です。両国にとっての最大の強みは、戦時であれ人道支援であれ、有事に際してすでに互いをよく知っているということです。両国の特性や強みを把握しているので、その都度確認する必要がありません。危機を前に、無駄なやりとりを省いて即座に必要な作業に入れる。この違いは大きいですよ。

 ―― 自衛隊は海兵隊から何を学ぶべきなのでしょうか?

 イームス 先に申し上げたとおり、海兵隊の得意任務は上陸作戦です。その点では大いに学ぶべきものがあります。いまの自衛隊は海兵隊をもっていません。素晴らしい陸海空の部隊がありますが、これら3つをつなげる糊のような存在として、われわれ米軍海兵隊を活用してもらえればと思います。具体的には、われわれが最初の上陸作戦を担当し、陸自の長期作戦に引き継ぐ、という体制をつくるべきでしょう。

 ―― 一方、海兵隊にない自衛隊の強みとは何でしょうか。

 イームス 私は米軍の砲兵部隊の訓練を見たことがあるのですが、発射までの迅速さ、計算の精密さには特筆すべきものがあります。それと同じほど、空自のパイロットの技量は素晴らしい。空自の訓練で急上昇する飛行がありますね。

 ―― タッチ・アンド・ゴー(飛行機が着陸して車輪を滑走路に接触させたあと、すぐに離陸する動作)ですか?

 イームス そうです。あの姿を見て、パイロットではない私にも、彼らに高い技量があり、私たちが多くを学ぶべきということがわかりました。

私は現代の戦争映画を見ることはありません


 ―― あなたはイラクに派遣されたこともあるそうですが、別の機会にお会いした際には「映画『ハート・ロッカー』(2009年公開。イラク戦争が舞台)は描写が不正確だ」とおっしゃっていました。やはり、映画やドラマで描かれる米軍は現場と異なる点が多いのでしょうか。

 イームス たとえば『CSI:科学捜査班』という人気ドラマの例を考えてみましょう。犯罪が起きると30分以内に捜査が進み、悪いヤツが見つかって、刑務所に収容される。実際はこんなにスムーズに事が進むはずがありません。同じ意味で、『ハート・ロッカー』も完全なハリウッドのおとぎ話です。ドラマとアクションを詰め込み、退屈な場面は全部カットしている。登場人物は何度も「命を懸けて戦う」といって、危険な場所に飛び込んでいきますが、戦場で命懸けの判断を軽率に行なうわけにはいきません。

 私は2度、イラクに派遣されています。1度目はバグダッド近辺で大量破壊兵器の探索に当たり、広範囲を移動して回りました。2度目は地雷除去のため、バグダッド北西部のスンニ・トライアングル(サダム・フセインの支持基盤とされていた)に派遣されました。実際に地雷を発見することもありましたが、現実のEOD(爆破物処理班)は映画のように爆弾のプラグを抜いたり、「やばい、時間がない! それでもやるぞ!」と叫んだりはしません。現場はもっと退屈なものです。(笑)

 そう考えると、現代の海兵隊を正確に描き出した映画にお目にかかることはほとんどありません。したがって私は、ドキュメンタリー作品や第二次世界大戦に関する映画はときどき見ますが、現代の戦争を描いたものは見ないことにしています。

 ―― ヒロシマに原爆を落としたポール・ティベッツ(元B29パイロット)も、まったく同じことをいっていたそうですね。「戦争に行った世代に、現実離れした映画は見られない」と。

 イームス その気持ちはすごくわかります。ハリウッド作品でときどき戦争を賞賛する映画がありますが、そうしたものを見ると気分が悪くなります。一度でも戦場に行けば、戦争が決して美しくも何ともないものだとわかるでしょう。戦闘で負傷しようものなら、二度と思い出したくなくなる。海兵隊員の多くは現実の戦闘を経験しています。だからこそ海兵隊の完成度は高まっているともいえますが、私が海兵隊に加わったのは戦争を通じて栄光を得るためではなく、家族を戦争の恐怖から守るためです。入隊時に宣誓した「私はアメリカ合衆国とその同盟国を守り抜くことをここに誓う」という言葉どおり、私はいま、ここにいるのです。



著者紹介

ケイリブ・イームス(Caleb D.Eames)
米海兵隊大尉
1977年、米ニューヨーク州生まれ。95年、高校卒業後に海兵隊に入隊、キャンプ・ペルドルトン(カリフォルニア州)に配属される。その後、リベリア、コロンビア、ハワイ、イラクなど世界各地での勤務を経験。2010年4月より、在沖縄・第31海兵隊遠征部隊に配属。広報渉外担当官。妻と2人の息子がいる。


タカ大丸(たか・だいまる)
ポリグロット〔多言語話者〕
1979年、福岡県生まれ。ニューヨーク州立大学ポツダム校とテル・アヴィヴ大学で政治学を専攻。英語・スペイン語など数カ国語を駆使して国際的ビジネスを展開中。英語翻訳書に『アラジン・ファクター』(すばる舎)、スペイン語翻訳書に『モウリーニョのリーダー論』『モウリーニョ 成功の秘密』(ともに実業之日本社)がある。