佐々木信夫(中央大学教授)

 石原慎太郎氏を証人喚問し、豊洲移転用地の買収交渉過程を明らかにする。こう都議会が小池百合子都知事の意を汲んで動けば、それに対する石原氏は、3月3日に独自の記者会見を開いて反論。「果し合いに向かう侍の気持ち」と闘志を前面に出しての戦いぶり。「豊洲に移転しないのは不作為」と小池氏を批判、住民訴訟を起こすと脅す。石原喚問の3月20日の都議会百条委員会に向け、双方がヒートアップする様相になってきた。この稿では、こうした動きを少し冷静に都政の窓から眺め、政治家の面からみた都知事としての資質、都政運営の特徴について考えてみたい。

 都知事としての石原慎太郎、小池百合子両氏に共通したモノ言いは「大」という言葉が好きなこと。2人とも大仰な言い方の「大」が好きなようだ。

 去る2月26日。3万5千人のランナーが東京の都心などを走り抜けた、あの第11回「東京マラソン」。あれはニューヨーク、ロンドンマラソンを範として07年に石原氏の音頭で始まったものだが、当初、石原氏は「東京大マラソン」と呼ぶようこだわった。周囲の反対で「大」は外れたが、当日並行して行われるイベントに「東京大マラソン祭り」と付け生きている。
 東京環状線がよいのでは、という周囲の声を押し切ってつけた都営地下鉄の新線名称も「大江戸線」だった。今は慣れたので違和感がないかもしれないが、当時は相当の抵抗感だった。捕り物張みたいな名称をなぜ公共鉄道に使うのかと非難ごうごう。思考回路が似ているのか、小池氏の都知事としての公約も「東京大改革」である。

東京マラソンで一斉にスタートするランナー=2017年2月、都庁前(今野顕撮影)
東京マラソンで一斉にスタートするランナー
=2017年2月、都庁前(今野顕撮影)
 ただ、同じ「大」を使っているが、都政へのアプローチは全く逆だ。石原氏は“東京から日本を変える”、国と対峙するスタンスで首都移転反対、ディーゼル車規制、銀行外形標準課税、横田基地軍民共用などを押しすすめるマクロな視点派。一方、小池氏は豊洲市場の欠陥を洗いざらい露出させ、黒塗り体質の情報公開の見える化、五輪施設のコストを徹底精査など、既存の個別プロジェクトを問題視するミクロな視点派。石原氏が「鳥の目」。高い位置から俯瞰的に全体を見回 して見る政治手法とすれば、それに対する小池氏は「虫の目」、ないし潮の流れや干潮満潮という「流れ」を敏感にキャッチして泳ぐ「魚の目」とでも言おうか。

 こう言うと、小池氏から「それは違う」、「私はマクロ派よ」と言われそうだが、であるなら「東京大改革」とはどんなことをやるのか、もっと明らかにすべではないか。「見える化」「透明化」を図るのが「東京大改革」と言い、空気のような“改革気風”がマスコミを通じて喧伝されているが、今の小池都知事に東京の将来を左右する大きな政策構造の転換につながるビジョンがあるのかよくわからない。掴みどころのない空気のような「大改革」が合唱・連呼されているが、そのうち萎んでしまわないか、筆者には気になる。