今の状況で切り取って石原都政の豊洲問題の扱いにレッテルを貼れば、無責任都政だといった評価が受けるかもしれない。しかし、それは石原都政への正当な評価とは言えまい。筆者は何も石原都政を持ち上げる積りはないが、戦後都政の中で筆者の知る限り美濃部、鈴木、石原の3知事は歴史の中で大きな仕事をした都政だと見る。長々と書く積りもないが、例えば石原都政の1、2期目は非常にインパクトのある、国政も揺るがす仕事をした。
石原慎太郎元東京都知事(中央)=2017年3月、東京・内幸町の日本記者クラブ
石原慎太郎元東京都知事(中央)=2017年3月、東京・内幸町の日本記者クラブ
 1999年発足の石原都政最大の課題は、財政をどう立て直すかだ。自らの知事給与1割、ボーナス5割カットを打ち出し、「聖域なき見直し」による事務事業の大幅整理、区市町村への事務移管、貸借対照表の作成、都有財産の売却など財政再建のための改革を徹底、職員給与4%カットや公共料金の値上げも断行した。ミスター行革の異名を持つ鈴木俊一氏の「減量型の量的改革」とも違い、石原行革は「事業仕分け、質的改革」と言えるもの。

 それでも1年目は881億円の赤字が残る。さらなる内部努力、施策の見直し、歳入の確保、銀行税の創設などの改革を進め、1期目の終わる2003年4月に財政再建目標の8割を達成し再選に臨んでいる。石原改革で財政再建団体への転落を免れたことが一番大きく、強いリーダーシップによる改革への期待が石原再選へつながっていく。その後も行革の手を緩めず、職員2万人の削減が福祉有料化など大胆な福祉改革に取り組み、財政再建を成功させている。

 石原氏の売りは①銀行に対するNO、②ディーゼル車に対するNO、③横田基地にNO、④首都機能移転にNOという「4つのNO」だった。これは銀行税(銀行に対する法人事業税の外形標準課税)の創設、千葉、埼玉、神奈川を巻き込んでのディーゼル車排ガス規制、首都機能移転は「歴史への冒涜」と国会へ乗り込み、都営地下鉄などあらゆる都の施設へ反対キャンペーンのビラを張り巡らし、遷都を阻止した。この中に、豊洲移転の公約は入っていない。石原氏が「豊洲移転は以前から都政の既定路線だった」、その継続のなかで「用地買収の時期に当たった」という氏の説明は正しい。
  
 石原氏は政治的に解決すべきテーマを都知事の役割とし、継続的で行政的なテーマは副知事以下官僚組織に委ねるという、知事が果たすべき役割を自分なりに分けている。政治的イッシューの解決が都知事の仕事という考え方で、これはこれで正しい考え方である。行政の個別具体の事務事業に微に入り細に入り関わり、下に任せず、逐一報告を受け指示をしないと気が済まないタイプの社長だと大会社の社長は務まらない、組織の総力を引き出せないとの考え方だ。この点は何でも関わらないと済まないタイプの小池氏とは違う。

 もう1つ、石原都政が積極的に取り組んだのは小泉政権と2人3脚で進めた都市再生だ。不良債権処理が国政のテーマでもあった当時、大幅な規制緩和と金融緩和で都心集中政策を展開、土地の値段を上げることで銀行の不良債権処理を支援した。東京の再生が日本の再生につながると、00年12月に「東京構想2000―先客万来の世界都市をめざして」を発表。その構想は、従来の都内のみを対象とせず、東京圏全体を視野に入れた環状メガロポリス構想。東京圏を7つのゾーンにわけ、それぞれの役割を明示している。石原の都市再生は、小泉内閣のいう都市再生と不即不離の関係にあった。

 3期目の公約は2016五輪の招致。これは準備に相当のエネルギーを注いだが、リオに敗れた。「帰りの飛行機で泣きました」のセリフを吐いた石原氏だったが、五輪招致のたいまつは消さず、2020五輪招致へと導いている。その中でいまの都政が動いている。