佐藤健志(作家・評論家)


 大阪の学校法人「森友学園」をめぐる一連の騒ぎは、同学園の理事長である籠池泰典氏(ただし3月10日に退任の意向を表明)が、国会で証人喚問される事態に至り、疑惑追及の重大局面を迎えた。今回の騒ぎは、わが国で「保守」と呼ばれる勢力が抱える問題を浮き彫りにしたものと評し得る。もっとも、ここで言う「問題」とは、国有地の払い下げをはじめとした、利権や金銭をめぐる疑惑のことではない。

 むろん、事実の究明はなされるべきである。不正や腐敗が確認された場合は、厳正な処断が求められよう。だが政治権力の周辺で、利権や金銭のからんだ不祥事(または、それらに関する疑惑)が生じるのは、古今東西、普遍的に見られる現象ではないか。

 裏を返せば、不祥事や疑惑が生じるかどうかは、当該の政治権力が掲げる理念の内容とは、少なくとも直接的な関係を持たない。不祥事は生じないに越したことはないし、疑惑も可能なかぎり晴らすのが望ましいが、政治が往々にしてキレイゴトではすまされないのも、世のいつわらざる真実なのだ。

 では、森友学園騒ぎが浮き彫りにした保守の問題とは何か。ずばり、「ナショナリズム」や「戦前」にたいする理念的な曖昧さ、もっと言えば矛盾にほかならない。

 保守(主義)とは自国の歴史や伝統を尊重しつつ、現実的な姿勢で物事に対処する理念と規定できる。とすれば「ナショナリズム」と「戦前」のどちらについても、積極的に肯定するのが筋となろう。ところがわが国の保守は、現実的な姿勢で物事に対処しようとすればするほど、これについてキッパリした態度を取れないのである。
報道陣に囲まれる籠池泰典氏=2017年3月16日、大阪府豊中市
報道陣に囲まれる籠池泰典氏=2017年3月16日、大阪府豊中市
 戦後日本では、いわゆる「昭和の戦争」に大敗したこともあり、それまでの自国のあり方を「間違った悪しきもの」として否定する傾向が強い。とりわけ敗戦直後は、「保守」が政治勢力として成立する余地など皆無だったと言っても過言ではなかろう。

 しかるにアメリカに率いられた自由主義諸国と、ソ連(現ロシア)を筆頭とする社会主義諸国の体制的対立、つまり冷戦が激化したことにより、保守は再起のきっかけをつかんだ。理由は以下の2点にまとめられる。

 (1)わが国をアジアにおける「反共(=反社会主義)の防波堤」に仕立てようとしたアメリカが、それまでの方針を転換、再軍備をうながした。安全保障はナショナリズムの肯定抜きに成り立たないため、これは日本国内の保守勢力を支援することに行き着いた。

 (2)冷戦の激化が、「現実的な姿勢に徹する以外、国の存立を確保する道はない」ことを突きつけた。そして日本はアメリカの占領下にあったのだから、「現実的な姿勢」が対米協調、もしくは対米従属を意味するのも明白だった。日本国憲法の前文や九条を金科玉条と見なし、「観念的な絶対平和主義に徹すれば万事解決」といわんばかりに構えた左翼・リベラルの主張は、これによって説得力を大きく失った。

 かくしてわが国では、例外的な時期を除けば、「親米路線の保守が政権を担当し、左翼・リベラルは万年野党としてそれに文句をつける」という図式ができあがる。現在の安倍政権も、くだんの図式のもとに成り立っているわけだが、このような保守のスタンスには重大な問題がひそんでいた。