朝日新聞の「吉田調書」誤報事件に対する第三者委員会の「検証結果」が明らかにされた。題して〈「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解〉。全21ページにわたる報告書である。

 私は、さまざまな感慨を持ちながら読ませてもらった。第三者委員会の3人の委員には申し訳ないが、それは「まったく“本質”に踏み込めていない」ものだった。しかし、致し方ない、と私は思う。

 報告書を書くにあたり、委員たちは「26人」から聴取をおこない、「37人」から報告書の提出を受けたそうだ。計63人に対する調査結果である。冒頭にそう書いてあるので、私は少しだけ期待しながら読んだ。

 しかし、読みすすめる内に、すべて予想通りの「提言」であり、まるで「予定調和」そのものであることがわかった。なぜなら、第三者委員会はこの事件の「本質」には絶対に「触れて」はならず、もし、そのことを指摘でもしたら、「朝日新聞は解体しなさい」という提言にしかならなかっただろうからだ。

 これまでも書いてきた通り、第三者委員会とは、お役所や不祥事を起こした大企業が、世間の非難をかわすために設置されるものだ。いわば批判を少しでもやわらげ、国民の“ガス抜き”をするための委員会である

 そのためには、ある程度きびしい意見を出してもらう必要がある。それに“真摯に”反省する態度を示して、「2度とこんなことは繰り返しません」と宣言し、「再出発」をするための“道具”が第三者委員会なのだ。

 すなわち、設置された時点で、シナリオと着地点は決まっている。私は、言論機関である新聞社が「第三者委員会」を立ち上げた時点で、「着地点」が想像できたが、今回の報告書を読んで、これで「果たして幕引きができるのか」と思った。

 本日、私は、『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』(PHP研究所)を出版した。その発売に合わせるかのように、第三者委員会の結論が出たことに、私は驚いた。

 拙著で指摘したのは、「朝日新聞は自らの主張やイデオロギーに沿って事実をねじ曲げる」ということだ。報告書の中には、マスコミの常識では考えられない内部の出来事が書かれている。たとえば、あの「命令違反による撤退」報道がおこなわれた時、編集幹部は、「秘匿性が高い」ことを理由に担当記者にこの吉田調書を読ませてもらえなかったそうだ。

 また、当該記事の締切の時に、記事自体への疑問点が大阪編集局をはじめ、さまざまなところから寄せられたが、それらはすべて無視されたという。

 上司にすら肝心の吉田調書を見せず、他の記者にも一切、見せないまま、あの記事は書かれ、私からの「これは誤報である」との指摘があっても、それでも上司が吉田調書そのものを「見なかった」というのである。

 この編集局の恐るべき実態には、開いた口が塞がらない。何度も書いてきたので繰り返さないが、当該の記事は「命令違反による撤退」という構成要件が成り立っていないお粗末なものだ。つまり、吉田調書を見なくても、「誤報であること」がわかるものだった。

 それでも、吉田調書を持って来させて「確認」すらせず、「誤報である」との指摘をしてきたジャーナリストに対して「法的措置を検討する」という抗議書を送りつけてきた「体質」を、国民はどう考えるべきなのか。

 そこには、驕りと独善によって目が眩んだ朝日新聞の真実の姿がある。自分たちで吉田調書を検証もしないまま、私の論評に対して「黙れ。お白洲に引っ張り出すぞ」という抗議書を送りつけて来たのは、もはや、朝日新聞は「言論機関には値しない」ことを示している。

 従軍慰安婦の「強制連行」報道と同じく、朝日の体質とは、自らの主張やイデオロギーに都合のよい事実を引っ張って来て、それをつなぎ合わせて「真実とはかけ離れた報道」をすることにある。

 私は長くつづいてきたこのやり方を「朝日的手法」と呼んできた。つまり、自らの主張やイデオロギーに沿った記事なら、朝日には「真実などどうでもいい」のである。つまり、その手の記事には「チェックなど必要ない」のだ。

 私は、朝日新聞とは、「言論機関」ではなく、ある政治的目的を実現させるための「プロパガンダ機関」なのだと思う。従軍慰安婦のありもしない「強制連行」を「日本人を貶めるため」には、チェックもしないまま記事として掲げて、世界中に流布させたことでもわかる。そして、今回は、「反原発」「再稼働反対」という方針に基づく記事なら、「吉田調書」の真実など、簡単に捻じ曲げてしまったのである。

 報告書は、「報道内容に重大な誤りがあり、公正で正確な報道姿勢に欠ける点があった。記事の取り消しは妥当だった」と書いている。しかし、外部の委員なら、この長くつづいてきた「朝日の体質」こそ指摘するべきであって、報告書に書いてあるような部下を「過度に信頼したこと」が誤報の原因などと、するべきではないはずである。あまりに事前の想像通りの「予定調和」のような報告書を読み、私は、ただただ溜息を吐(つ)いている。