昭恵夫人のフェイスブックIDには、彼女が何か投稿するたびに、保守的な傾向を持ったユーザーから大量の「いいね」が届けられるようになる。当然その中には批判のコメントもあるものの、フェイスブックの馴れ合い社会の中では承認の比重の方が高い。昭恵夫人は同書で記述されるように、「エゴサーチ」を繰り返して一喜一憂する。一日何時間もネットに張り付いていた時期もあったという。それまで他者からの評価に無関心だった昭恵夫人が、自我に目覚めたが故の「承認の確認」を繰り返し始めたのだ。「コンプレックスが故の猛烈な承認欲求」。典型的な「意識高い系」の前衛を安倍昭恵は突き進んでいく。

 2012年、劇的な自民党の政権復帰と第二次安倍政権誕生後も、承認の塊になった昭恵夫人の暴走はとどまるところを知らない。前述「UZU」の経営は継続し、脱原発運動への傾斜、真珠湾(夫より早い)単独訪問、三陸の防潮堤反対、そして医療大麻解禁を主張したり、異様な「土」への固執…。

 2015年7月28日、昭恵夫人は被災地気仙沼で「バーベキューパーティー」を開く。コンセプトは「みんなで海を楽しみながら考える」―。如何にも「意識高い系」の連中が考えだしそうな、如何にも社会的大義を隠れ蓑に卑小な承認を満たす軽佻浮薄なイベントの主催者が昭恵夫人であった。総理夫人が被災地でバーベキューをする、となれば否が応でも著名人見たさに地元の人間が集まってくる。そこで安倍夫人は「総理大臣の妻・安倍昭恵」としてチヤホヤされ、つかの間の承認が満たされ、面目躍如といったところであろう。

 このイベントにおける昭恵夫人の感想。「…環境と景観の重要性を私たちはもっと真剣に考えなくてはならないと本当に思います。ショックではありましたが、やはり私自身の「目」でいまをしっかりと見ることが大切だと実感しました」(前掲書 P.76)。「みんなで海を楽しみながら考える」という、本来の主語が「みんな」だったのが、いつのまにか「私」に置き換わっている。何のことはない、「安倍昭恵が海を楽しみながら考える」という昭恵夫人の自意識に、被災地の人々が付き合わされたのだ。
米フロリダ州に到着し、大統領専用機から降りる(右から)トランプ大統領、安倍首相、昭恵夫人、メラニア夫人=2017年2月
米フロリダ州に到着し、大統領専用機から降りる(右から)トランプ大統領、安倍首相、昭恵夫人、メラニア夫人=2017年2月
 昭恵夫人の世界にあるのは徹底的に自分であり、その活動の実相は常に抽象的で多幸的であり、具体的ではない。具体的なことを考えたり提言したりする必要はない。「抽象的で多幸的な概念を唱えている自分への承認」こそが目的なのだから、三陸地方をどう復興させていくのかとか、原発に代わるエネルギーの具体案とか、そういったものへの関心は極端に薄い。他者からの視線と承認に快感を覚えだした昭恵夫人の端的な世界観が、この「三陸バーベキュー」に滲み出している。典型的な「意識高い系」である。

 一連の森友学園問題で、昭恵夫人が名誉校長というお飾りの要職を二言返事で受けてしまった因も、「安倍晋三の夫人」ではなく、「安倍昭恵」としての自我が芽生えた昭恵夫人による暴走の帰結である。森友学園の教育方針に共感する、というのも実を言うと「家庭内野党」を自称する昭恵夫人にとってなんら矛盾していない。

 「子供たちの教育と日本の未来」などとう抽象的で多幸的な世界観を提示されれば、元々思想もイデオロギーも持たなかった昭恵夫人が幼児に教育勅語を暗唱させることのイデオロギー的な是非を判断することは困難である。単に「規律ある幼児の学び舎」として映ったにとどまったのであろう。豊中にある小学校の名誉校長ともなれば、また「安倍晋三の夫人」ではなく、「安倍昭恵」として承認される肩書が一つ増える。たとえそれが虚飾にまみれたものであっても。森友学園問題が安倍晋三総理に繋がったのは、このような昭恵夫人の軽佻浮薄な承認欲求からすべてが始まっている。