櫻田淳(東洋学園大学教授)

 去る3月上旬、自民党大会では、総裁任期を現行の「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長する党則改正が行われた。この党則改正に「安倍一強」と評される現下の政治情勢が反映されているのは、あらためて指摘するまでもない。こうした「鉄壁」とも評すべき安倍内閣の政権運営には、俄(にわか)に軋みが印象付けられるようになっている。

 その軋みの焦点になっているのが、稲田朋美防衛大臣である。「西の豊中」案件や「南スーダン派遣自衛隊部隊日誌」管理案件だけではなく、教育勅語の評価に絡む発言でも、彼女は批判を浴びている。『読売新聞』(3月16日付、電子版)社説は、「防衛省日報隠し 稲田氏に『統率力』はあるのか」と題して、彼女の政治姿勢における「軽さ」を批判している。彼女は、安倍内閣の「弱い環」になった感がある。何故、そのような仕儀に至ったのか。この疑問を前にして、次に挙げる二つのことを考える必要があろう。

 第一に、防衛大臣という政治官職は、どのようなものとして扱われてきたのか。2007年の防衛省発足以前、前身官庁としての防衛庁は、総理府(後に内閣府)外局の位置付けに過ぎず、その長たる防衛庁長官も、「55年体制」下の自民党内では、大して食指の動かない「陪席ポスト」としてしか扱われなかった。

2007年1月8日、省への移行を翌日に控え、「防衛庁」から
「防衛省」へ掛け替えられる正門の看板(大西正純撮影)
 第二次世界大戦後、日本の大方の国民が政治家に対して期待したのは、社会福祉を含めて様々な「便益」を届けてくれる「サンタクロースの代理人」の役割であり、「猛獣」(国家の本質としての暴力)を飼い慣らす「猛獣使い」として役割ではなかった。特に1990年代以前。政治家が「猛獣使い」として本来の役割を果たそうとするとき、それを阻んできたのが、戦後日本の平和主義思潮とそれを代弁した左翼・革新政治勢力であった。

 この永き歳月の中で、政治家が「サンタクロースの代理人」に徹すればよいという一つの諒解を成したという点において、自民党サイドの「利益誘導」政治と革新政党サイドの「平和主義」信条は、一つの共犯関係にある。こうした関係が払拭されなかったことにこそ、「猛獣使い」官職が軽んじられてきた所以がある。

 しかし、1990年代以降、日本を取り巻く安全保障環境の変化は、そうした有り様への修正を迫った。防衛庁の省昇格に象徴される諸々の安全保障政策展開は、日本の「右傾化」の証左ではなく、安全保障環境の変化に対する「適応」に過ぎない。その一方で、政治家に対して「猛獣使い」ではなく「サンタクロースの代理人」としての役割を期待した日本国民の意識は、どこまで変わったのか。