松竹伸幸(ジャーナリスト、編集者、「自衛隊を活かす会」事務局長)

 いきなり私事で恐縮だが、日本共産党中央委員会に勤めていたころ、もし共産党が政権入りし、そのときに私が国会議員をしているなら(参議院比例区で立候補したこともあるので夢物語ではなかった。政権入りのほうは別にして…)、防衛大臣をやりたいと願っていた。「防衛」という仕事への使命感からだが、同時に他の人には任せられないという気持ちも強かった。

 なぜなら、私の周りにいたのは、自衛隊に嫌悪感を持っている人がほとんどだったからだ。そういう人がトップに立つことになったら、自衛官の士気低下は避けられず、防衛の仕事にも悪影響を及ぼすことを懸念したからであった。

 冒頭で触れた個人的な事情もあってか、内閣改造のニュースに接すれば、いつも防衛大臣には誰が起用されるのか、いつも関心を持って見守っている。とりわけ、昨夏の内閣改造は、集団的自衛権の行使を可能にする新安保法制が成立し、南スーダンの自衛隊に駆けつけ警護の任務が付与されることが確実視される状況下だっただけに、注目度は大であった。
陸上自衛隊朝霞訓練場での観閲式で訓示する安倍首相。右は稲田防衛相=2016年10月23日
陸上自衛隊朝霞訓練場での観閲式で訓示する安倍首相。右は稲田防衛相=2016年10月23日
 そういう局面で防衛大臣になった稲田朋美氏であるが、現在強い逆風の中にいる。南スーダンでの「戦闘」を「武力衝突」だと強弁したことや、その同じ南スーダンの「日報隠蔽(いんぺい)」問題、さらにいま話題の大阪の学校法人「森友学園」との親密な関係など、枚挙にいとまがないほど批判の嵐が吹き荒れている。

 これらのうち「戦闘」問題については、私は稲田氏に多少同情的である。なぜかと言えば、この種の答弁は歴代政権がずっと続けてきた「虚構の延長線上」のものであって、稲田氏だけを責めて済む問題ではないからだ。

 「自衛隊が派遣されている場所が非戦闘地域」という小泉純一郎元首相の答弁は記憶に新しい。国際法の世界では、非戦闘地域で後方支援に徹しても、その行為は「武力の行使」とみなされる。戦争のための基地を外国に提供しただけで、自分も参戦国だということになる。それなのに、そういう常識と憲法9条が矛盾するので、常識のほうを優先させ、それに合うように9条の解釈をゆがめてきたのが歴代政権だからである。

 少なくとも稲田氏の発言に問題があったとすれば、自衛官が遭遇する危険について、自分のこととして捉えていないように思えたことだ。PKOの現実も、自衛隊に付与される任務も、歴代政権のころとは様変わりしており、過去の延長線上で物事を考えてはならなくなっているのに、そのことへの想像力がほとんど働かず、これまでの答弁を繰り返しておけばいいという、ある種の「怠慢」が垣間見えたことだ。