東京から沖縄に移住して1年になる。

 2012年に、被災地写真集「True Frrlings -爪痕の真情-」(三栄書房)、北朝鮮写真集「隣人。38度線の北」(徳間書店)を出版した後、昨年11月に那覇にやってきた。

 青い海の南の楽園、という一面的なイメージを取り払ったところに存在する多様な現実を一冊にまとめることが、今の私の仕事だ。

 亜熱帯の気候に身体を馴染ませる間もなく、政治的な動きが活発化した。

 昨年12月末に仲井真知事の辺野古埋め立て承認記者会見があり、年明けの名護市長選、8月からの辺野古埋め立て工事へ向けたボーリング調査、11月16日の県知事選と、沖縄の政治が大きく動く一年に立ち合うこととなった。

 様々な沖縄人と対話する中で見えてきたことは、彼らが沖縄人、沖縄県民という二つのアイデンティティーの中で揺れ動いていることだ。「沖縄県人ですよね?」という主旨の質問をすると「沖縄人です」と答え、「沖縄人ですよね?」と尋ねると「沖縄県人だ」と答える方々が多い。

北部やんばる、瀬底島の夕暮れ。

 「ヤマトンチュになりたくて、なりきれない心」という言葉を85年に西銘順治元知事が残しているが、この傷つきの深さに我々日本人は今一度正面から向き合う必要があるのではないか、と感じている。

 県知事選の結果が裏付けるように、二つのアイデンティティーの片方に、沖縄が急速に寄っていることは確かだ。

 かつて滅ぼされた民族が、それでも日本人になろうとした歴史を抱え、戦後69年を経て、なぜ民族意識が台頭してくるのか?

 ここ一年で見ると、幾つかの現象が、その意識を拡大させたことに気付く。

 時系列に見てみたい。

  昨年秋、当時の石破幹事長が沖縄県連所属の自民党国会議員5名を座らせ、辺野古移設承認を認めさせた映像。

 仲井真知事が昨年末、安倍総理との会談の折りに提示された振興策に対し、仲井真知事が口にした「140万県民を代表してお礼申し上げます」と言うくだり。

 那覇での辺野古移設承認記者会見後の、「これでいい正月が迎えられる」との発言。

 名護市長選投開票日3日前に石破元幹事長が応援演説の中で突如口にした「名護市への振興基金500億を新設します」という話。

 県知事選の争点化を避けるために来年に予定されていた、埋め立て工事に向けたボーリング調査が8月に前倒しされたこと。

  一つ一つが、沖縄県民の心を傷付け、日ごとに沖縄人としてのアイデンティティーがヒートアップし、今回の知事選の大差を生む結果に繋がった。

頑張れ日本!全国行動委員会による辺野古埋め立て賛成デモ。辺野古漁港テント村にて、反対派市民と対峙する

 沖縄は明らかに日米安全保障上の要である。沖縄対策は、「沖縄の心」を多少なりとも忖度して行われてしかるべきだが、政府、官邸の打った2つの作、500億、工事の前倒しは逆効果にしかならなかった。かほどに、政府は沖縄の感情を軽視していることの表れではないか。

 「金だけで動くと思ったら大間違いだ!」という現実的な怒りと、歴史的屈辱感がない交ぜになり、「オール沖縄」というキャッチフレーズのもと、ひとまずは纏まった沖縄の民意。しかし、産経新聞の論評にもあるように、波乱含みのスタートであることも明らかである。当初から革新系の中では翁長氏に対しての不信感は拭えず、いつ空中分解するか分からない県政の始まりとなったことは確かだ。

 これしかない、というタイミングでの衆議院解散、総選挙の来たるべき結果は、沖縄から見れば辺野古埋め立てを日本国民全体が是とする確認、と写るだろう。

 翁長氏自身が、沖縄のアイデンティティーを死守するために国家を敵に回す厳しさに耐えられるかは甚だ未知数である。

  保守派の中の一層過激なヘイトスピーチは、これまでのところ「沖縄県民よ、琉球新報、沖縄タイムスのような、左翼のアジびらに騙されるな!」という論調であったが、県知事選の結果を受け、県民自体に直接向けられることも考えられる。

 翁長新知事は投開票日の深夜のインタビューで、「ヘイトスピーチに対して、我々はひるむことはない。あくまでも日本人としての品格の問題だ」と答えていた。

 かつて「居酒屋独立論」とウチナーンチュ自身が揶揄していた独立論だが、一昨年「琉球民族独立総合研究学会」の設立まではこぎ着けた。すぐさま独立の動きが加速することは現実的ではないが、今後の政府との対峙いかんでは、わずかずつでもリアリティを増す可能性はある。沖縄にとって独立が本当に是か否か、という冷静な議論を飛び越えてヒートアップしなねない火種は今後も維持されていく。

 あるいは、そのような論法を持ち出してでも平等を勝ち取りたい、という思いは多くの県民が共通している認識だろう。一体いつまで0.6%の土地に74%の米軍専用施設を置いておくのだ。という主張が間違ってはいないことは、日本人の共通認識として確認できる点ではないだろうか?

 基地反対運動が、補助金の増額を狙ったバーゲニングに過ぎない、という本土の認識は現場の感覚とは明らかにズレていることを、私自身、この一年で確認した。

  日本は沖縄と対決すべきなのだろうか? 沖縄の声をわずかでも聞き入れ、融和していくべきなのか?

 沖縄人以上に、日本人の問題として我々一人一人が考えていく必要があるのではないか? と私は感じている。