林吉永(NPO国際地政学研究所理事、軍事史学者)


 今日、自衛官には国民に負託された国民の生命財産の保護、国の主権維持、災害派遣などの非軍事的役割、新たに武器の使用を伴う国際社会の安全保障(PKO)などの任務が課せられている。

 自衛官の宣誓、自衛官の心構えには、任務遂行の使命感として「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、一身の利害を越えて公につくす」とあり、職業倫理に自己犠牲の覚悟を求めている。

 この役割を果たすため自衛隊には、命令・服従を律する指揮系統があって、その最高位指揮官が内閣総理大臣であり、次位に防衛大臣がいる。この2名だけが文官指揮官である。

 自衛隊は「駆けつけ警護」など武器の使用に至れば、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で、「殺(や)るか、殺(や)られるか」の葛藤に直面する。ところが、自衛隊指揮官の国会答弁は、人の感情の機微に思いが及ぶなど皆無に等しい杓子定規で自衛隊員の「覚悟」と乖離した言葉遊びに陥った。
参院予算委員会で、前日の答弁を撤回、謝罪する稲田朋美防衛相=2017年3月14日
参院予算委員会で、前日の答弁を撤回、謝罪する稲田朋美防衛相=2017年3月14日
 クラウゼヴィッツの「戦争は政治の継続である」は、換言すれば「自衛隊の海外派遣は、政治の継続であり、自衛隊は政争の具である」との観が拭(ぬぐ)えない。

 稲田朋美防衛大臣就任後、駆けつけ警護や共同防護発令、舌の根も乾かぬうちの国民が理解できない撤収と、陸自PKO派遣部隊の翻弄が続いた。それは、南スーダンの都合や期待を忖度していない、また前線にいる自衛隊員の懸命を斟酌できない「政争の象徴」でもある。

 この渦中に稲田防衛大臣がいる。国会での「戦闘」の解釈に関する言い合いには実りがない。腹立たしいのは、『日報』の扱いをめぐり、指揮官として部下の失敗の責任を共に負う、あるいは「尻を拭く」のではなく、部下に責任を押し付け、指揮官自から部下を非難したことだ。

 相前後した「某学園某理事長」との関係で二転三転した答弁同様、それは「戦闘」を捻じ曲げた答弁に端を発して自ら蒔(ま)いた種子ではないか。ここに至り指揮官の資質を疑うのは早計だろうか。

 じかに隊員と接する機会の多い防衛大臣の指揮・統率は、その「一挙手一投足」に注目する部下隊員を感化、薫陶する。今日の自衛隊における命令・服従の関係は、徴兵時代の盲目的服従と異なり、指揮官の良し悪しが精強性を左右する。それは、任務遂行の意欲をかき立てる根源となり、指揮官次第で部下が命懸けになれるという、高いレベルの徳と識見に基づく特筆すべき「優れた統率の現象」でもある。