小林信也(作家・スポーツライター)

 春のセンバツ高校野球決勝戦が「史上初の大阪対決」と話題になった一方で、「PL学園が高野連を脱退」というニュースもまた全国に報じられた。

 PL学園は昨夏の地方大会で初戦で敗れたのを最後に活動を休止した。地方大会には3年生のみ12人(選手登録は11人)で挑んでおり、1、2年生の野球部員を受け入れていなかったためである。

 桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」に代表される世代だけでなく、PL学園は長く高校野球の「王者」の一角に君臨していた。硬式野球部は1956年に創部し、62年春の甲子園に初出場。これまで春夏合わせて計37回出場した全国屈指の常連校である。それだけに、さまざまな感傷や感慨をもって、このニュースを受け止めた野球ファンは少なくないだろう。

第67回全国高校野球選手権 甲子園を沸かせたPL学園の「KKコンビ」桑田真澄投手(左)と、清原和博内野手=1985年8月
第67回全国高校野球選手権 甲子園を沸かせたPL学園の
「KKコンビ」桑田真澄投手(左)と、清原和博内野手
=1985年8月
 PL学園野球部が消滅する直接のきっかけは、部内暴力をはじめとする相次ぐ不祥事の発覚だったという。私は、PL学園OBの元プロ野球選手から長時間にわたって、PL時代の思い出話を聞かせてもらった経験がある。とくに寮生活での先輩、後輩の上下関係は、他人事だから半分笑って聞ける話だが、もし当事者になれば冗談では済まない。息子を思う母親なら、そのような理不尽な仕打ちをどんな思いで受け止めただろうと今でも胸が傷む。

 中でも「付き人制度」は特に有名で、1年生は3年生の付き人になり、その先輩の洗濯から食事まで、サポートする。寮にある洗濯機の数が限られているから、1年生同士の洗濯機争奪戦も激しく、もし敗れてしまうと、深夜まで順番待ちをさせられるため、寝る暇もない。食事のときなんかは、部員同士が食器を投げるように回して、テーブルの上で食器が飛びかう、とも聞いた。

 そんな理不尽な振る舞いがいったい何の役に立つというのか。率直に疑問をぶつけてみると、彼らは一様に真剣な面持ちでこう言ってのけた。「辛い経験を乗り越え、やがてレギュラーの座を勝ち取り、甲子園でも活躍してプロになる。あの厳しさがあったから今がある」

 実際、「甲子園常連の名門校」と呼ばれる高校は全国にいくつもあるが、不思議とプロの世界では通用しない選手も少なくない。智弁和歌山や日大三高などはその代表例だ。一方、PL学園はプロを数多く輩出しているだけでなく、プロ入り後も各球団の中心選手として長く活躍する選手が多い。

 パワハラが社会問題となり、体罰だけではなく言葉の暴力も厳しく戒められる世相の中で、PL学園のOBたちが語る「PL学園野球部でかつて行われていたこと」は、明らかにパワハラに該当する。だが、強烈なパワハラがあってこそ、栄光の歴史が築かれ、日本を代表するプロ選手があまた誕生した、というのもまた事実なのである。

 もちろん、その陰には才能を持ちながら挫折した多くの選手たちや、笑えない「事件」もあったと聞いたことがある。清原が薬物依存症に陥った背景にも、寮生活で強いられた、あるいは身についたパワハラ体質とも無関係ではなかったのかもしれない。