なぜ日本人はセックスよりもオナニーが好きなのか

『鈴木涼美』

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鈴木涼美(社会学者)

 放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ

 村上春樹の小説『風の歌を聴け』の有名な一文だが、日本のセックスの現状を調査で見ると、どうやら人は放って置いても死ぬが、放っておくと女と寝ないようである。このほど日本家族計画協会が発表した2016年の調査では既婚者・独身を含めて53%もの男性が、ここ一カ月セックスをしていないと答えており、女性も48%とどちらにせよ半数である。

 日本はセックストイやアダルトビデオなどのエロメディア、性風俗産業などセックス周辺のモノやビジネスは高度に発展していると言われる、いわゆるオナニー文化とヌキ産業の国である。そして各国と比較した英国のコンドームメーカーDurex社の調査などを見ると、中心にあるセックスだけがなぜかすっぽりと抜け落ちている。

 逆に言えば、そもそもセックスの回数が控えめでそこが抜け落ちているからこそのオナニー、風俗の発展があり、セックスをあまりしないというのはもはや国民性なのではないかと、私などは訝(いぶか)しんでいる。

 そんな日本で、セックスレスの悩みは何も現代に限ったことではないだろうが、最近では調査結果などがセンセーショナルに報道されたせいか、テレビや雑誌の特集が散見され、私も取材を受けることが増えた。「彼とセックスレスにならないためにできる努力は?」「夫婦のセックスレスで少子化加速?」「若者たちの草食化でセックスに興味がない?」など。
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 「そんなにセックスさせたいんですか?」というのが私の率直な意見ではある。セックスレス化をさもこれは由々しき問題であるというような見出しを見るたびに、あるいはセックスレスを問題化した番組や雑誌に意見を求められるたびに、ぼんやりと「したくないなら別にしないでも…」とも思う。

 そもそもセックスレスを問題視した特集の多くがさらっと深刻な少子化について触れているぐらいで、それ以外の問題点はイマイチ不明瞭である。日本の少子化に夫婦のセックスレスが無関係とは言えないが、トレンドとしての草食化やセックスへの興味の減退が少子化の直接的な要因となるように、私にはどうしても思えないのだ。

 大体、セックスレスの対義語が何であるのか知らないが、そういうセックスフルネス思考な人、セックス大好きな人、ヤリマンヤリチン、セックスを日常的によくしている人の方が避妊について万全である。低用量ピルを飲んでコンドームをつけて月に100回セックスするよりも、計画的な子作りのためのセックスを狙い撃ちで数回する方が妊娠する可能性は高い。
セックスレスと少子化の相関関係を疑え

 特に、若者のセックスへの興味が減退しているという風潮については、無駄なセックスをして性感染症などにかかり、妊娠しづらくなっていた私たちの世代のような失敗がないし、セックスについてある程度冷静であるという点では効率的な子作りを割り切ってするようになるのではないかと個人的に思っている。そういった意味でもセックスレスと少子化の相関関係について私は甚だ懐疑的である。

 故に、私は年がら年中セックスばかりしていそうなギリシャやフランス(Durex社2005年の調査ではセックス頻度がいずれも年に120回超)の真似をする必要は別にないし、セックスをあまりしないという国民性によって発展を遂げてきたエロ産業に誇りを持っても良いのではないか、と半ば本気で思っている。それは私自身がAV産業育ちであり、そのオナニー大好きな国民性によって支えられたバックボーンがあるからという事情ももちろんある。
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 ただ、人間が「放って置いてもする」とされるセックスをあまりしないというのはやはり不自然であることには間違いない。私は対処すべき問題が大きく分けて二つあると思っている。

 第一に、これは初交年齢の上昇や性経験のない20代の増加などに関して特に言えるのだが、セックスをしようという努力と、セックスをしたいという原動力に欠けるのであるとしたら、それは大きな問題である。全ての欲望は性欲につながる、とは極端な言い方だが、学歴をつけ社会で出世する、に始まり、自分のアピールポイントを見つける、容姿に気を使う、人に好かれる努力をする、など多くの善行と消費の根底では「異性に好感を持たれたい、あわよくばセックスしたい」という欲求がかなりのウェイトを占めるのは間違いない。

 セックスをしたい、またはしてみたいが、機会に恵まれないのであればそれは何かしらの原動力になり、さらなる努力の後押しになる可能性があるが「セックスに興味がない」のであれば、これといって人に好かれる必要がない、究極的には社会で居場所を確保し、さらに上昇する必要がないということになる。

 したくないセックスを強要することはできないが、それならば、それに代替するほどに強力な自分へのドライブの掛け方、原動力、やる気の源のようなものが必要に思えるが、現在のところ、それほど見当たらない。若者のSNSでの言動などが際立って「どこか斜に構えている」感じがするのはそのせいなのではないかと私には見える。
夫婦のあり方が曖昧な日本

 そもそもセックスへの欲望がなぜ動機付けとしてあんなにもインパクトがあるのかと言えば、セックス及びセックスにつながる恋愛というのが、最も努力や経歴、財力などにかかわらず起こり、またあまりに不確定要素が多いために、人は何かもっと別のもので努力や武装し、幾度もまたそれに挑戦しようとするからである。セックスへの欲望が希薄であれば、その努力がおろそかになるだけでなく、世の不条理への耐性が極めて低い人間が出来上がるように思える。

 第二に、夫婦のあり方について、現代日本は極めてヴェイグ(曖昧)な共通認識しかないということである。そもそも日本には欧米諸国のようなカップル文化は存在しない。個人的な話で申し訳ないが、私の両親はやや欧米ナイズされた人種で、仕事のパーティーや会合、出張などにカップルで参加する傾向があったのだが、それは明らかに日本社会では異質であり、やや空気を読まない変な夫婦として扱われていた。
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 米国の離婚率の高さなどは日本でもたびたび取りざたされるが、あれほど「どこに行くにも一緒」のカップル文化の国で2組に1組が生涯添い遂げるというのはむしろ、かなり立派な数字なのではないかと私は思う。

 さて、それでは日本の場合はどうか。誤解を恐れずに簡略化して言えば、個人間ではやや欧米化された価値観が共有されつつあり、社会は特にそれに対応していない。結婚式の招待状もパーティーへのお誘いも基本的には個人宛なのであって、別に欧米のカップル文化がこちらに浸透しているとは思わないが、ご主人と奥様が作る運命共同体としての「イエ」という旧来の価値観はやや古いものになりつつある。

 恋人のような夫婦でいたいのか、盤石な「イエ」を作りたいのか、もしくは友情で結ばれた新しい形を目指すのか。その辺りの夫婦像というのが全体としてあまり統一して共有されていないため、当然くっついた男と女の間でも齟齬(そご)が起きる。夫婦というものを、そもそもセックス的なものから遠い存在としてイメージしている人もまだ多く残る中、セックスレスが離婚の原因としても認められる。

 そして一度セックスを夫婦の外に持ち出してしまえば、日本国中から糾弾される。今一度、夫婦やカップルというものがなんであるのか、一応でも大まかな合意をすべきところに来ているような気がする。

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