日本は、伝統的に恋愛や性に対する関心が薄いという人もいる。しかし、私はそれは間違いだと思う。「万葉集」や「源氏物語」などを読めば、奈良時代や平安貴族の恋愛や性行動はけっこう奔放だったことが分かる。江戸時代には、西鶴が好色物語を書き、春画が流通していた。俳人小林一茶の日記には、毎日何回セックスしたか記されているが、一茶は晩年になっても毎日のようにセックスしていたことが分かっている。このような例をみると、日本人は伝統的にはセックスに寛容で楽しんでいた民族だと言ってもよい。

 戦後、1950年ごろまでは、今とは反対に人口政策のテーマは「人口抑制」であった。政府は、人工妊娠中絶をやりやすくし、避妊を普及させようとした。当時は、兄弟の数が平均4、つまり、夫婦は性的関係をもってどんどん子供が生まれていたのである。
 それが近年、特に21世紀に入ってから、未婚者も既婚者もセックス回数は減り、性に関する興味関心も低下してしまった。この原因に関しては、さまざまな説が唱えられている。若者に関しては「経済的に余裕がなくなった」「妊娠や性病の恐ろしさを強調する性教育で性や恋愛に関する恐怖心が植え付けられた」「ポルノがネットで簡単にみられるようになりセックスに対する好奇心が薄れた」「恋愛の失敗を恐れて消極的になっている」などの説がある。既婚者では「長時間労働で仕事が忙しくて暇がなくなった」などの説があり、いま私も含めた研究者が調査データを詳細に分析している。

 私が、一番大きな要因だと思うのは、恋人や夫婦の間でセックスが「面倒くさいもの」となったというものである。そして、この「面倒くさい」というキーワードは、英語に相当する言葉がなく、欧米人に説明してもなかなか分かってくれない日本特有の概念なのだ。

 お互いにセックスを「楽しむ」ためには、さまざまな努力や相手に対する気遣いが要求される。ただ単に身体的な満足だけではなくて、お互いの体に働きかけ、濃密にコミュニケーションが必要である。未婚者にとっては、その上に、恋人になってセックスできる関係にたどり着くという努力が要求される。これが面倒くささの背後にある。

 つまり、恋人や夫婦同士でセックスを楽しむに至るプロセスは、けっこう面倒であることがわかる。それでも、世界の人々、20世紀までの日本人の多くは、その面倒くささを乗り越えていたのだ。では、なぜ21世紀に入ると、セックスを面倒だと思う日本人が増えてきたのか。

 それは、恋人や夫婦間のセックスが、「コストパフォーマンスが悪い」と考えられるようになってきたと考えられる。つまり、セックスで得られる満足が、セックスにかけるコストを下回ると意識されるようになったのだ。それには、3つの理由が考えられる。順に述べていこう。