(1)恋人や夫婦間のセックスによる満足が至高のものだと考えられなくなったこと
 近代社会は、「恋愛」に至高の価値を見いだしてきた。お互いに好きになった同士(異性でも同性でも)が、セックスを伴った恋愛によって結ばれることが、生きる意味、時には経済的成功以上の意味を持つというイデオロギー(「恋愛至上主義」)が存在していた。だから、いくら面倒であっても、それを追求するのが人生にとって必要なこととされたのだ。欧米では、このイデオロギーが優勢である。

 しかし、日本では、近代社会になっても、カップル間の関係が至上のものだとする「恋愛第一主義」の価値観が、普及しなかったのではないか。すると、恋愛関係におけるセックスは、「特別」なことではなく、「あったらいいけど、なくてもよいもの」、つまり、コスパで考えてもよいものとなったのが、セックスレス化の背後にあると考えられる。

(2)恋愛のコストの上昇
 一方だけではなく、セックスによって、相手と自分の双方が身体的、精神的に満足することは、けっこうコミュニケーション努力を要する。そして、今、日本社会では、「空気を読む」など、仕事や友達関係で気遣い要求されることが多くなっている。そうすると、プライベートなセックスで、感情的努力をするコストが。ただ、仕事時間が長時間だからではなく、仕事で感情的努力を要求されているので、セックスの場までそのような努力をするのが、面倒くさくなっているのではないか。これが、第二の理由である。
(3)コスパのよい性欲満足代替手段の発展
 そして、恋人や夫婦とのセックス以外で「コスパのよい性的欲求の満足手段」が発展していることも背後に存在している。

 私がバーチャル・ロマンス、バーチャル恋愛といっているように、ポルノや性風俗、キャバクラ、メイドカフェに至るまで、疑似恋愛、性的満足を充足させる産業が発展している。お金さえ払えば、断られることなく、相手に気遣うこともなく、身体的性欲だけでなく、恋愛気分に浸ることも含めて、性的に満足することができる。何より、面倒くささを回避できる「コスパのよい」性的満足代替手段が存在している。

 この「恋愛至上主義が普及しなかったこと」「恋愛の面倒くささが相対的に大きくなっていること」「夫婦や恋人とではないコスパのよい代替手段が発達していること」、このような要因が組み合わさって、日本のセックスレス化を促進させているのではないだろうか。

 夫婦は経済的関係で子供を育てる共同経営者、ロマンスや性欲は面倒くさくない外部で楽しむ。このような社会に日本が向かっているのかもしれない。