鈴木洋仁(東京大学総合教育研究センター特任助教)


 今年1月、政府が平成31年元日から新元号とする方向で検討しているとの報道があってから、私のような若輩者にも元号関連についてのコメントを多数のマスコミから求められた。そればかりか、「次の元号」の予想まで依頼し、その予想が受け入れられてしまう。これは昭和の時代には考えられなかったことだ。

 「早くも新元号を検討することの是非」。これが今回、編集部から筆者に与えられたテーマであった。しかしながら、現代においてこの議論にリアリティはあるのだろうか。

 昭和において新元号を語ることは「タブー」であった。なぜなら、先の天皇の崩御を意味していたからだ。陛下が体調を崩されて以降、連日続いた血圧や脈拍を含めた報道をきっかけとして、世間に広まった自粛ムードを思い起こせば、昭和において新元号を語ることが、どれほどタブーだったのかということが想像できるだろう。

 平成の元号選定に携わった的場順三元内閣内政審議室長が述べているように、当時は「天皇の在位中の選定作業を不謹慎だと感じる国民が少なからずいた」のであり、「マスコミなどで選定作業が報じられると『不謹慎だ』との声が多く寄せられた」という(毎日新聞2016年10月22日)。

新元号「平成」のスタンプづくりに大忙しの
スタンプ・メーカー=1989年、東京・平河町
新元号「平成」のスタンプづくりに大忙しの
スタンプメーカー=1989年、東京・平河町


 こうした昭和の時代と比べると、平成の現在、次の元号をめぐるメディアの環境は、大きく異なる。テレビや新聞、雑誌、そしてネット上で、次の元号についてさまざまな予想が飛び交い、極めてオープンに報道され、語られている。

 実際、2019年1月1日の皇太子さまの即位をはじめとした一連の報道をめぐり、マスコミに対する「不謹慎だ」との声は表立って寄せられていないようであるし、少なくとも目立ってはいない。

 4月7日付の毎日新聞では「新元号について、政府が複数の学者に選考を依頼し、それぞれから複数の元号案を既に受けとっていることが分かった」と報じたものの、昭和とは異なり、「不謹慎」や「不敬」といった言葉は、ほとんど聞かれていない。

 つまり、次の元号を語ることがタブーであった昭和であれば、早くも新元号を検討することの是非というテーマについて論争に発展したかもしれないけれども、もはやタブーが消えた平成の今となっては、あまり耳目を集めないのではないだろうか。

 それよりも考えるべきは、なぜここまで昭和と平成との間に、差が生じているのだろうか、という疑問である。


諡号=名前としての「元号」


 その差、その違いを解明する前に、まず私の立場を明らかにしておきたい。

 私の名前は、漢字表記こそ違うものの「ひろひと」であり、また偶然ではあるものの、生まれた月日は憲法記念日だ。かといって、私が、天皇を崇拝していたり、あるいは逆に天皇制反対を唱えていたりするわけではない。

 私は年齢ばかりか、研究者としても博士号を取得したばかりの若輩者にすぎない。また、名前については自分の意思ではなく、親をはじめとした他人によって付けられた記号であるため、私が特別な思い入れを込めることはできない。

 実は、元号もまた、明治以降においては諡号(しごう)、すなわち諡(おくりな)として、崩御の後に天皇の名前として機能することになる。もちろん、現在であれば明仁天皇であり、先帝は裕仁天皇であるのだが、一般的には「昭和天皇」と呼ぶケースの方が圧倒的に多い。