畑正憲(作家)

取材・構成=清水 泰(フリーライター)

配給制時代のモク拾い


――たばことの出合いについて教えてください。

 医師だった父が、吸っていないときはたばこの煙を吐いている、というくらいのチェーンスモーカーでした。わが家でいちばん困ったのは終戦前後の配給制ですね。1人当たりの配給本数が1日に5、6本しかないんです。父は本当に困っていましたね。

 そこで少年時代の僕は「モク拾い」が日課でした。棒の先に針を付けて、道端にポイ捨てされたたばこの吸い殻を片っ端から突っついて拾い上げる。本格的なモク拾いでしたよ。
畑正憲氏
畑正憲さん

――大分県の日田市に住んでいたころの話ですね。

 そうです。父は満洲の医師免許しかもっていなかったので、日本の医師免許を取るために勉強しなきゃいけない。愛煙家の方はわかると思いますけど、勉強するにはたばこがいるんです。父がたばこがない、ないというものですから「じゃあ僕が拾ってきてやるよ」と。拾ってきた吸い殻の一つひとつからちょっとずつ葉を取り出してはまとめて干します。乾燥させた葉をほぐして、紙で巻くと自家製たばこの出来上がりです。

――畑先生ご自身がたばこを嗜むようになったのはいつのことですか。

 東京大学に入ってからですね。当時は渋谷によく遊びに出かけていたんですが、駅前に「らんぶる」という老舗の名曲喫茶がありまして、そこにはよく行きましたね。あとは道玄坂を上って右手に入ったところにあった「ライオン」というクラシック喫茶。夜中に入ってコーヒーを頼んで、BGMをバックにたばこを吹かす。いまはすっかり変わって子供の街になっていますけど、当時の渋谷は大人の町でしたから。たばこはそのころからおいしいと思って吸っていましたが、まだヘビースモーカーではなかったですね。