極端な喫煙者バッシングは民主主義を風化させる

『Voice』 2017年3月号

読了まで17分

畑正憲(作家)

取材・構成=清水 泰(フリーライター)

配給制時代のモク拾い


――たばことの出合いについて教えてください。

 医師だった父が、吸っていないときはたばこの煙を吐いている、というくらいのチェーンスモーカーでした。わが家でいちばん困ったのは終戦前後の配給制ですね。1人当たりの配給本数が1日に5、6本しかないんです。父は本当に困っていましたね。

 そこで少年時代の僕は「モク拾い」が日課でした。棒の先に針を付けて、道端にポイ捨てされたたばこの吸い殻を片っ端から突っついて拾い上げる。本格的なモク拾いでしたよ。
畑正憲さん

――大分県の日田市に住んでいたころの話ですね。

 そうです。父は満洲の医師免許しかもっていなかったので、日本の医師免許を取るために勉強しなきゃいけない。愛煙家の方はわかると思いますけど、勉強するにはたばこがいるんです。父がたばこがない、ないというものですから「じゃあ僕が拾ってきてやるよ」と。拾ってきた吸い殻の一つひとつからちょっとずつ葉を取り出してはまとめて干します。乾燥させた葉をほぐして、紙で巻くと自家製たばこの出来上がりです。

――畑先生ご自身がたばこを嗜むようになったのはいつのことですか。

 東京大学に入ってからですね。当時は渋谷によく遊びに出かけていたんですが、駅前に「らんぶる」という老舗の名曲喫茶がありまして、そこにはよく行きましたね。あとは道玄坂を上って右手に入ったところにあった「ライオン」というクラシック喫茶。夜中に入ってコーヒーを頼んで、BGMをバックにたばこを吹かす。いまはすっかり変わって子供の街になっていますけど、当時の渋谷は大人の町でしたから。たばこはそのころからおいしいと思って吸っていましたが、まだヘビースモーカーではなかったですね。
日本でこそ味わえる贅沢な時間


日本でこそ味わえる贅沢な時間


――今日は両切りのピースとダンヒルを吸われながらのインタビューですが、たばこが手放せなくなったのはいつからでしょうか。

 作家になった30代からですね。たばこって不思議なもので、吸い始めたときは「もういいか」と思うんですよ。ところが一本吸い終わって消そうと思うころになると、もう一本欲しくなるんですね。そういう不思議なところがあります。「たばこは生活の句読点」っていうキャッチフレーズは、本当にそのとおりだと思いますね。たばこを口に咥えて何服かすると、何かしたくなる。たとえばお茶を沸かして自分で注ぎたくなるとか、そんなことしなくていいのに、やりたくなるんですね(笑)。そういう不思議な作用がある。だから原稿を書く前には必ず吸いますね。吸って消して、また吸って消す。そのうち「よし、やるか」と書き始めるんですよ。

――原稿を書く前のアイドリングのような感じですね。発想力が増したりもするのでしょうか。

 原稿を書く際のリズムのようなものになっていましたね。ただ、1980年に『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』のテレビ番組を始めて、世界中を飛び回るロケに出るようになってからは、そんな贅沢はいっていられなくなりましたね。それまでは「俺は作家だ」って気取っていました。昼間からカーテンを全部閉めた暗い部屋のなかで、机の前に座ってきちんとした姿勢で書いていたんです。

 それがロケに出るようになってからの執筆環境はひどいものです。車とか飛行機の中だと、気分が悪くなってしまって文章が書けないんですよ。だから移動中じゃなく移動前の待ち時間やロケ地での休み時間が仕事の時間なんです。たとえば東京からインドのニューデリーに飛んで、次の飛行機がなかなか飛ばなくて5時間待たされたりする。これは「しめた」ってんで待合室のいちばん空いているところの片隅に原稿用紙を広げて、前のめりになって書いていましたから。たばこを気にする余裕なんてないですよ。

 また、たとえば人里離れたところへ行くと、電気も通っていない。もちろん机もなし。それでも仕事はしなきゃいけない。しょうがないから懐中電灯を4本、ガムテープで巻いて電灯代わりに吊るして、その灯りで原稿を書いていましたね。

 そういう生活に慣れると不思議なもんでね、僕はこの50年、風邪をひいたことがないんです。おそらくつねに緊張を自分に強いていると、免疫力が高まるんだと思います。僕はテレビ番組で40日間の予定で海外ロケに出かけます。日程にある程度余裕をもたせてあるんで、実際は35日くらいで終わるんですよ。じゃあ「5日は休もう」ではなく「しめた」と、次のロケの日程を前倒しするんです。ロケから帰国したらすぐまた次のロケに出る。そうすると緊張状態がずっと続くでしょ。だから風邪もひかないですね。

――50年間ほぼ休みなし、ということですね。

 1年の約半分が海外ロケ。そういう生活が30年続きました。今日は病気で休むとか体調が悪いから中止、といったことは一度もありません。

――そういう過酷なロケ中でも、たばこを吸われるときがあるわけですね。

 われながらバカだと思いますが、どんなに厳しい環境でもたばこが吸いたくなるんです。たとえばチベットの標高5000m級の山岳地にロケで行く。ただでさえ空気が薄くて息苦しい自然環境でも、僕は吸いましたね。たばこを手に持って、「よし、いまから吸うぞ。おまえを吸うからな。ほんとに吸うよ」といって火を付けるんです。でも息苦しいし、うまくない。本当にバカですね(笑)。

 たばこがおいしいというのは贅沢な時間で、心に余裕がないとそうは感じられないんです。追い詰められた状況で吸うたばこは、やっぱりおいしくない。それから僻地で吸うたばこはおいしくないですね。

――それは意外ですね。大自然のなかで吸うたばこはおいしいのか、と思っていました。

 真夏の砂漠で吸ってもちっともおいしくないし、真冬のアラスカで吸ったたばこもまずかったですよ。空気が乾燥しすぎている地域はダメですね。ある程度の湿度がないと。だから大自然のキレイな空気のなかで吸うたばこがおいしいなんてことはありませんね。その点、適度な湿り気のある日本で吸うたばこはおいしい。そう感じる時間は、僕にとってとても贅沢な時間です。

――「たばこは生活の句読点」以外にも「今日も元気だ、タバコがうまい」というキャッチコピーもあります。

 朝起きてカーテンを開け、一本のたばこに火を付けたときの快感といったら! 俺は今日も元気だって実感しますね。うまいキャッチコピーだと思います。
自分の正義を押し付ける不寛容さ


自分の正義を押し付ける不寛容さ


――世の中には畑先生のような愛煙家もいれば、たばこを吸わない人やたばこを毛嫌いする人もいます。

 たしかに昔はたばこが嫌だっていう人は少なかったんですけど、いまは喫煙者が減って極端なたばこバッシングに走る人が増えています。喫煙者の皆さんにはお気の毒ですが、こうした社会の風潮にはますます拍車が掛かると思います。

――畑先生はなぜ極端な嫌煙家が増えていると思われますか。

 そう聞かれて思い出したことがあります。もう60年も前の話です。日本が豊かになり始めるちょっと前に、外国産のたばこが日本に入ってきました。香料がまたきついんですよね。僕なんかはいろんな種類を試すほうだから、アルバイトの帰りに缶入りの海外たばこを買うのが楽しみでした。家に帰って缶を開けると、まず香りを嗅いでね。吸うのは香りを楽しんだあとでしたね。香りは、たばこを吸う人にとっては強くても弱くても全然関係ない。一口二口吸ったら、すぐ慣れるんです。

 問題は、たばこをやめた人です。彼らはたばこの香りやにおいに敏感ですよね。僕なんかもたばこが買えないくらい貧乏していた時代があるから、わかるんです。他人が吸っていると、あれはピースだとかね(笑)。たばこをやめた人ほど毛嫌いしやすくて、ここ何年かでやめた人がたくさんいることも、世の中の風潮と関係しているのかもしれない。

――禁煙社会になりつつあるとはいえ、たばこを吸う人の立場も尊重される社会であるべきだと思うのですが。

 そう思います。本当に嫌な社会になりましたね。何が嫌かって、たばこを嫌う人たちは、自分たちの正義を大上段に振りかざしてものをいうんです。自分のなかだけに正義をしまっておかないで、俺の信じる正義をおまえも信じろ、と押し付ける。信じないおまえは悪だ、とレッテルを貼って攻撃するわけでしょ。たばこの問題に限らず、そういう物の考え方をする人が時がたつごとに多くなってきていますね。僕は民主主義の風化であり、民主主義の害毒だと思っています。

街中に設置されている屋外喫煙所
=東京都港区の東京メトロ表参道駅前
 昨年11月の新聞に「厚生労働省は庁舎の屋外喫煙所の利用時間を制限したうえで、喫煙後は遠回りをして、においを落としてから庁内に入るというルールをつくった」というニュースが載っていました。どう考えてもおかしいでしょう。こんなのは正義でも何でもないですね。でも現実にこれを正義と思う人がいる、ということなんです。他人の服についたたばこのにおいまで嫌だというのは、もはや受動喫煙の問題でもないわけですよ。個人個人の価値観を認めない、他人に対して不寛容な社会は民主主義ではない、と思います。

――副流煙や受動喫煙の問題に関してはいかがですか。

 副流煙による受動喫煙の害がどのくらいあるかですが、どうも科学的ではない、と思います。じつは以前にこんな教育番組がありました。妊娠しているウサギの鼻先に、たばこ10本をまとめて火を付けた煙を近づけて無理やり吸い込ませる。すると心拍数が上がる、という実験を医師がやっていたんです。何も知らない人が見たらなるほどと思うかもしれませんが、こんなの実験でも何でもないですよ。たばこの代わりにただの紙を巻いて火を付け、その煙を鼻先に近づけてウサギに吸わせてごらんなさい。心拍数が極端に変わりますから。生き物とはそういうものなのに、あたかも科学的な実証データかのように取り上げる連中がいるから困るんです。その教育番組を見たときは仰天しました。

――医学に携わる人がなぜ、そんな非常識・非科学的なことに手を染めてしまうのでしょう。

 医師になっても、博士号がないと開業したとき儲からない、と考えているのでしょう。博士号を取るためには論文を書かないといけない。たばこなら結論は健康に悪いと決まっているし、世間の通りもいい。審査に通りやすくて箔が付くからではないでしょうか。
自己治癒力はバカにできない


自己治癒力はバカにできない


――最近では副流煙を吸い込む2次喫煙だけでなく、壁や床に染み付いたたばこの残存成分が大気中に放出されて健康被害を引き起こす3次喫煙の害なるものまで、テレビの情報番組で取り上げられるようになりました。もちろん科学的には何も立証されていません。

 そんな害を立証できるわけがないですし、人の健康に影響するはずがないんですよ。だってこれだけ排気ガスを出す自動車が走るなかを人間は生きているんですから。仮に害のある物が体内に入ってきたら、それを自己免疫システムで防御しながら生きていくのが、いま生きている命という力強さなんですよ。

――害を及ぼす可能性のある物はすべて遠ざけるというのは、生物として生きることを否定しているのと同じですね。他人との接触や付き合いも危険ですし、あらゆるウィルスや各種のリスクが怖くて街も歩けません。

 僕は作家をしながらテレビ番組も制作して、時間に追われて仕事をしているうちに、39歳で胃がんになって胃の全摘手術を受けました。医師からは術後の抗がん剤治療の継続を勧められましたし、定期的に検診も受けてください、といわれました。でも抗がん剤はいっさい飲んでいないし、術後検診に行ったこともありません。もちろん医者の家に生まれて自分も医学部コースですから、近代医学は信じています。でも、個人の生き方として病気やケガをするたび医者に行くかというと、僕は倒れたときしか行きません。とにかく全部、辛抱して自分で治してきましたね。

――気力で病気もケガも治すような感じですか。

 気力って簡単にいいますけど、本当に気力があれば薬の100万倍効きますよ。気力をバカにしちゃいかんのです。生きる力というのは大したものですよ。

 たとえば動物の咬み傷は深いんです。獣の咬んだ歯は骨膜まで通ります。一年の半分を海外ロケで飛び回っていた当時、体に常時200から300の咬み傷がありました。それをいちいち消毒していたら、それこそ消毒の作用にやられて体がもちません。だから咬まれたときは「咬んだか? よしよし」って動物の頭を撫でて、傷口はそのまま放置。そこから菌が入ってきたら、僕の気力と体が菌に勝てばいいんです。(横を向いて)僕の首から顎までを見てください。ここに熊の歯が入って、顎を割られているんですよ。顎を割られて口が開かなくて、3カ月間、歯医者に行けませんでした。寝ていると出血して枕が血だらけになって、目覚めると血を吸った枕が重たくなっていた。それを見て僕は、これだけ出血したら細菌は全部外に流れていっただろう、ざまあみろと(笑)。結局、医者に行かずに治しましたね。人間の自己治癒力ってバカにできないんです。
一律の規制が文明を退化させる


一律の規制が文明を退化させる


――たばこのほかに畑先生が感じる社会の歪みとは。

 最近はよく同一労働・同一賃金とかいうでしょう。やれ残業させちゃいかん、徹夜させちゃいかんとか。それではたして社会が成り立つのか、疑問に思いますね。同一労働・同一賃金が成立する社会なんて、チャップリンの『モダン・タイムス』の世界ですよ。昔の工場みたいに単純労働であれば同一労働・同一賃金でいいでしょうけど、たとえば作家の僕と大学を出たばかりの労働者が動物の話を書いて、同一労働で同じ原稿料を払いますか? 僕はできません。何いってんだ、って文句をいいますよね。

 働き方に十把一絡げの規制を設けず、存分に好きなだけ働ける方向をめざしたほうがいいですよ。
東京ムツゴロウ動物王国プレスレビューでスタッフや犬に囲まれる作家・畑正憲さん=東京・あきる野市
――悪平等ですね。たしかに、おっしゃるように8時に始めて五時に終わる仕事ばかりでは世の中、成り立ちません。

 でしょう。僕は大学を卒業して学習研究社(現・学研ホールディングス)の映像部門に入って、理科関係を中心にした学習映画の作製に携わっていました。入社してみるとその仕事が面白くって、とにかく新しい事をやりたい。「何か新しい事はありませんか」というと、上司が「じつは、こういう事をやりたいんだけど」といってくる。その一つが、接写でカエルの卵を微速度撮影する学習映画の製作でした。カエルの卵を極限まで接写して、卵が分割していく様子を微速度撮影で撮るんですよ。卵が分割し始めておたまじゃくしになるまで何日かかると思います? 21日かかるんです。それなら担当の僕が21日間、寝られないのは当然じゃありませんか。撮影を決めた時点で、わかり切っていることです。

――一律に働き方を規制されるとやりづらい仕事です。

 カエルの卵一つを撮影するために、0・01㎜の精度が求められる箱を作らないといけない。箱の中に特別な液体を入れて、きれいに撮像できるように光の位置をセッティングできる人間、卵に埃一つ付着しないように扱える人が必要なんですけど、代わりは誰もいない。世の中には代えの利かない仕事もあるってことなんですよ。

――たばこに限らず、つまらない規制が増えました。

 つまらない規制をするから社会に歪みが出てくる。そして規制すればするほど歪みが拡大するんですよ。この状況は明らかに文明の進化ではない。文明の退化であり、風化ですよ。人間は一人ずつ違っていて、才能も体力も違うし、仕事のやり方も違う。それをみんな一律にしようとするから、間違いが起こるんです。そんな社会に生きていて何が楽しいのか、と思いますね。

はた・まさのり 作家。1935年、福岡市生まれ。東京大学大学院で生物を研究。会社員を経て著作活動を始め、「ムツゴロウさん」の愛称で親しまれる。77年に菊池寛賞、2011年に日本動物学会動物教育賞を受賞。

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