一方、東日本大震災の後、3年で震災関連死が震災直接死を上回ったということですが、熊本地震でも直接死が50人であったのに対し、体調悪化などによる「災害関連死」がわずか半年で55人になったということです。「人はパンのみにて生きるにあらず」――被災地での〈社会関係資本〉の回復・蓄積をどう図るか、というのは復興の大きなテーマでしょう。

 芸術家が被災地へ行って公演を行い、被災者を楽しませるのは意義あることですが、被災者自身が企画に参加し、実行に当たっては受付や駐車場、託児所の運営などを行い「私もお役に立っています」というカタチで行えば、「互酬・互恵」という観点からもっと意義あるものにすることができると思います。

 それに伴う会合・打ち合わせも多いことでしょうから、地域住民の「社会参加」として有意義なことは前述の通りです。

ジャパニーズ・パラドックス


 昭和30~40年代、わが国の男性の喫煙率は80%を越え、室内はたばこの煙が充満していました(女性は職場や家庭でたばこの煙にさらされ、受動喫煙の暴露量は今日の比ではなかったでしょう)。
 それでもその間に寿命はドンドン延びて昭和45年にはスウェーデンを抜き、主要先進国では最長寿国になりました。疫学研究から「喫煙者は寿命が十年短い」とされますが、では「世界一たばこ好きと言われた民族が、なぜ世界一長寿になったのか」について納得できる説明はありませんでした(〝ジャパニーズ・パラドックス〟と呼ばれます)。

 説明できないのは当然です。科学的な思考・手法を取り入れた近代医学(生物医学)は、言語・数値をもって記述できるもの(第一性質)のみを対象とし、喫煙行動のような人間の「脳(こころ)」に関わって主観的、知覚的な行為(第二性質)を没却したために、「脳が異常に発達した」「社会的動物として〝人の間〟で生きる」人間の健康における〈喫煙〉の意義・効用が見えなかったのです。その結果、喫煙者を「ニコチン依存」ときめつけ、たばこの煙は器官・臓器に害を与えるのみ→百害あって一利なし、喫煙者は短命、というドグマに陥ったのです。

 しかし、前述のように、近年の社会疫学は人間の健康における心理・社会的要因の重要性を明らかにしつつあります。生物医学パラダイムにとらわれない免疫学者などは、かねて「適度な喫煙は免疫力を高める」と喫煙の効用を認めていますが、「世界一たばこ好きの民族が、なぜ世界一長寿になったのか」、社会関係的、薬理的、身体感覚的に多面的な効用を持つ〈喫煙〉の意義が、社会疫学という新しいアプローチの中で、あらためて評価される日が来るのではないかと期待しています。

 本稿に興味を持たれた方は『たばこはそんなに悪いのか』(喫煙文化研究会著/ワック刊)をご一読ください。これらのテーマについてくわしく論じられています。