KeroChan(東京都)

 先日、財務省が文部科学省に対して、小学校の35人学級の設置を40人に戻すように申請していたことが話題となった。これは、教職員や国庫負担の削減を目的としたものであるが、インターネット上を中心に財務省への批判が殺到した。

 確かに、財務省の申請は、教員の負担軽減や公教育の拡充が求められている現状と明らかに逆行しており、批判が殺到することは目に見えている。しかし、コストカットを最優先し、必要な投資までも行わないという問題は財務省ばかりでなく、我々国民も抱える問題であると認識すべきである。

 1990年代のバブル崩壊以降、財政健全化や行政による無駄遣いがマスメディアを通じて取り上げられることとなった。とりわけ、公共事業に対するバッシングは凄まじいものであった。「公共事業=悪」というイメージが植えつけられ、政府支出の削減が実行された。また、国民生活から見ても、ファストフードや100円ショップなどの安値でモノを得られる店が人気を集め、生活を支える存在に成長した。こうした傾向が何年にも渡って続き、あらゆる場において「とにかく削減しろ!」「とにかく安くしろ!」という論調が現在に至るまで、我が国を支配することとなった。政府支出の削減や規制緩和をはじめとした、構造改革を強く求める声が大きいこともその支配の強さを象徴している。iRONNAの読者の方々の中にもこうした考えを持っておられる方が多くいるのではないかと思う。

 こうした現状と合わせて考えると、財務省の文部科学省に対する申請の目的と多くの国民が普段求めている考え方はそんなに変わらないと私は思った。今回は教育予算の削減について言及したからこそ、こうした批判が集まったのであって、その他の分野に関する予算であれば、削減に賛成するだろう。こうしたコストカット優先主義の考え方は多くの弊害をもたらした。人材派遣の広がりによる雇用の不安定化や食の安全に対する不安、インフラの老朽化の放置などがそれに当たる。我が国が今抱える緊急を要する問題の諸悪の根源は、コストカット優先主義に起因する。例に挙げた教育問題に限らず、あらゆる事案を解決するためには、それなりの費用と人材育成が必要であるということを忘れてはいないだろうか。

 今、我々に求められているのは、コストカット優先主義から脱却し、必要なものに適切な量を投資することである。コストを削って解決しようとする考え方は、欠陥をもたらすだけである。