おおたとしまさ(育児・教育ジャーナリスト)
 
 あえて書く。

 SNSを見ていると、電車の中で赤ちゃんが泣いたときに舌打ちをしたおじさんや、ベビーカーで電車に乗ってきた親子に対して露骨に嫌な顔を向けるOLについて非難する投稿を目にすることがある。それに対して、「ひどい!」「そういう人がいるから子育てのしにくい世の中になる」などという共感コメントがたくさん付いて盛り上がる。気持ちはわかる。でも、ちょっと落ち着いて考えてほしい。

 泣いている赤ちゃんに舌打ちって行為はそりゃひどい。でも、そういうことがわからない人もいるのも事実。そういう人はそういうことがわからない世界に住んでいる人。こちらのいうことも正論だが、向こうには向こうの正論があるものだ。

 相手に変わってもらおうと思っているうちは、何も変わらない。むしろ反発を招き、対立構造を強めてしまう可能性が高い。過去と他人は変えられない。お互いに相手の立場に立ってこそ、相互理解が可能になる。であれば自分から先に相手の立場に立ってあげることが理想ではないか。社会を本気で変えたいなら、そのほうが建設的だ。

 「そういう心の狭い人が子育てしにくい世の中をつくる」という理屈は、一見正しいようで実は違う。心理カウンセリング的には、舌打ちをされて、「子育てがしにくい」と感じることを「選択」しているのは、実は誰でもない自分自身であると考える。舌打ちくらいされたって、こっちが気にしなきゃいいのだから。「あのおじさん、よほど嫌なことがあってやさぐれているんだろう、気の毒に……」くらいに思っておいてあげればいいのだ。

 また、「子連れの大変さに対する想像力が足りない!」と非難する側にも、いささか想像力が欠ける部分がありはしないか。「どうしてそういうひどい仕打ちをするの!」と舌打ちおじさんを責めたくなったとき、「あの人はどうしてそういうひどい仕打ちをしてしまうんだろう?」という疑問型に置き直してみてはどうだろう(これは、いうことを聞かない子どもに困ってしまったときにも使えるテクニック)。もしかしたら、得意先で散々にいじめられてやさぐれているのかもしれないし、家のローンの返済が滞っていて大ピンチなのかもしれないし、突然リストラされてやけになっているのかもしれないし。もしかしたら、夫婦で不妊治療をしている最中でとてもつらい思いをしているのかもしれないし、奥さんに流産経験があるのかもしれないし、孫を亡くしたばかりなのかもしれない。

 もっといえば、舌打ちという行為が悪いのであって、その人はそのほかの部分ではとってもいい人かもしれない。一部分だけをとらえてその人の人格を否定してはいけない。罪を憎んで人を憎まずというように。そんな舌打ちをするおじさんも、両親から祝福されて生まれ、赤ちゃんのころはみんなから「かわいい、かわいい」と言われたのだろうし、家に帰れば頼もしい優しいお父さんなのかもしれない。それなのに、たまたまそのとき、虫の居所が悪かっただけかもしれない。

 私にも経験がある。父がクモ膜下出血で倒れたとき、一報を聞いて病院へ急行した。地下鉄に揺られていても気が気でない。普通に会話をし笑っている人たちに対して内心「こんなときに何ヘラヘラ笑ってんだよ」と思った。改札でもたもたしている人に対して「こんなときにもたもたしてんじゃねーよ」と内心思った。口には出さないだけで、心の中では悪態をつきまくっていた。こういうのを魔が差すというのでないかと思う。もちろん本心ではない。あまりに心がとげとげして視野が狭くなっていると、人は誰でもそういう「罪」を犯してしまう可能性があるのではないか。悪い状況が重なれば、誰だってそうなってしまう可能性はある。そんな状態を脱することができない自分に対する苛立ちを、赤の他人に転嫁しているとも考えられる。

 不満いっぱいで毎朝満員電車に乗り込まなければならないおじさんの気持ちも似たようなものかもしれない。大変ながらも希望をもって子育てしている親よりも、彼らのほうが弱者なのかもしれない。だって実際、自ら命を絶ってしまうおじさんは多いのだから。だから人身事故で電車がしょっちゅう止まるのだから。目の前のおじさんも、それくらい追い込まれているのかもしれないのだ。大都会で暮らしていれば、1日に何百人、何千人という人々とすれ違うことになるのだから、赤ちゃんに舌打ちしたくなるほどやさぐれた人に出くわしても不思議ではない。弱者同士でお互いを削り合うのはやめよう。心の余裕をなくしている人の悲しい挑発に乗ってはいけない。

 子育てとは、私的に見えて極めて公的な営みである。子どもは社会の宝であり、みんなで育てるべきものである(だからこそ、親がわが子を私物化することも許されないのだが)。赤ちゃんが泣くのは当たり前だし、そういうことを迷惑として切り捨てるのではなく、社会全体で受け止めていかなきゃいけない。堂々と子育てをすることは権利であるともいえる。もっと褒めてもらっていいことである。でも、権利は主張するものではなく、認め合うもの。人間がそれぞれに自分の権利を主張し始めたら、あっという間に戦争になるに違いない。みんながお互いの権利を認め合っているからこそ、社会が成り立っているのだ。そのことを忘れてはいけない。

 誰だって、ため息をつくべきでないときにため息をついてしまったことがあるだろう。怒鳴るべきでないときに思わず怒鳴ってしまったことがあるだろう。特に子育て中の親ならそういうシーンの連続であるはずだ。つまり、立場が変わればお互い様だったりする。極論すれば、舌打ちしたくなるような散々な状況にある人が、つい舌打ちをしてしまう気持ちもちょっとは理解してあげなきゃいけない。きれい事に聞こえるというのであれば、心の中では「ざけんなよ!おやじ!」と思いつつ、すまなそうな顔だけしておけばいい。それが親としてのしたたかさ。

 舌打ちされてムッとした顔で応じてしまえば、「だから最近の親はなってない」なんて自己正当化に利用されかねない。向こうの思うつぼだ。しかしこちらが丁重にしていれば、「あ、この親御さん、いい人だったんだ。舌打ちなんてみっともないまねしなきゃ良かった」と、もしかしたら内心反省してくれるかもしれない。私はそう信じたい。
 似たようなことを、そういえば前にも書いたな。「新幹線で泣く子、舌打ち、ホリエモン」。その中から、今回の話とも通じるところだけ抜粋しておく。
 
親のすべきこと
・「子どもは泣くもの」ではあるけれど、それを理解してもらえないことも多い現実は踏まえるべき。「そこのけそこのけ泣く子が通る」という開き直った態度では余計に敵を増やし、自らの居場所を狭めるだけ。心の中では「しょうがないじゃん!」と思いつつも、子どものためと思ってひと肌脱いで、舌打ちが聞こえてくる前に先手を打って、「すみません」とまわりに気をつかうそぶりだけでもするのが、できる親のしたたかさ。
・もし舌打ちされてしまっても、「あの人はたまたま今日嫌なことでもあったのだろう」と思い、気にしないようにする。
・子どもが怖がったり、傷ついていたりするようなら、ちょっと場所を移動して、「大丈夫だよ。あの人、きっと今日嫌なことがあって、ご機嫌斜めなんだよ。気の毒だね」とかなんとか笑いとばしてあげればいい。そこで親も怒ってしまうと子どもはますます不安になる。
 
まわりのひとたちがすべきこと>←ここ重要!
少しでも気持ちに余裕があるならば、「大丈夫ですよ!気にしないでね!」という想いを込めてにこりとほほえみかけたり、子どもにいないいないばあをしてあげたりすると、それだけで場が和む。万が一近くにイラついている乗客がいても、その人の気持ちも多少は和らぐ。もしくは多勢に無勢と感じれば舌打ちできなくなる。そうやってまわりの大人の力で、親子を守ってあげてほしい。
こういうことがとっさにできる人が増えると、社会全体が少しずつおおらかになっていくのだと思う。
 
※ただし、舌打ちでは終わらず、声を荒げて親子を威嚇したり、暴力を振るいそうになったりするのなら話は別。周りの良識ある大人が毅然とした態度で守ってあげないといけない。
 
 「みんなで声を上げて舌打ちおやじを社会から追放しよう!おー!」なんて、親サイドにとって都合のいいことを威勢良く書いておいたほうが、世知辛い世の中でストレスをため込んでいるたくさんの親から支持を得て、たくさんの「いいね!」がもらえるのだと思うし、実際そういう記事を結構見かけるけど、それって実は同じ立場にいる人たちだけで自分たちの正当性を確認し合っているだけ。産後クライシスを「夫のせい」として盛り上げるキャンペーンも同様だった。そうやっているうちは、隣の国の国民をdisって、「そうだそうだ!」と付和雷同している輩とさほど変わらない。結局は反対勢力との対立構造を強めることになりかねない。本当の意味で社会のためになることではない。だからあえて書いた。こういうところで「嘘も方便」ができない私……。