マダム・リリー
 
 海外で子育てをする海外在住日本人ママが口を揃えて言うことがある。それは、「日本に比べたら海外での子育ては本当に楽」、「日本で子育てしている友人と話すと、海外での子育てがいかに楽かがわかる」というものだ。

 平成21年の内閣府政策統括官によって行われた、海外での子育て経験のあるパパ・ママ100人インタビュー調査によると、海外子育て経験者の多くが、日本に比べて海外では「赤ちゃんや子連れに優しい社会」であると実感している。

 私自身はまだ子どもがいないので、実際に海外の子育てと日本の子育ての違いを比べられるわけではないが、子どもがいないからこそ社会をよりニュートラルに見つめられると思う。そんな母親でもない私から見てもやっぱり日本は「子育てがしにくい国」だと思うし、それでも立派に日本で子育てをしているママたちを尊敬する。

 しかしなぜ、海外在住ママたちはこうも申し合わせたように海外は「子連れに優しい社会」だと言うのか。日本との違いとは何だろうか。
 
 先ほどの調査結果によると、海外で子育て経験のある親は外出時における周囲の人による移動手伝い、妊婦や赤ちゃんへの「声掛け」や「温かいまなざし」などであり、その結果、「子育てが楽しい」と感じているという。日本と海外の子育て環境を比較した場合、もっとも大きな違いは「子連れや妊婦に対する社会の温かいまなざし」の有無であり、それらが具体的な行動を伴っていることである。

 そんな日本と海外の子育てを取り巻く社会の違いを如実に表しているのが、ベビーカー利用に関するルールである。

 日本では国土交通省が、鉄道やバスでのベビーカー利用に関するルールの全国統一化に乗り出した。混雑時は折りたたむことを求めるなど、ルールが曖昧なままで、ベビーカー利用者と周囲とのトラブルになるケースも少なくなかったそうだ。電車やバスにベビーカーを広げたまま乗車するママに対する批判の声も多い。

 「畳むべきだ」「我慢が足りない」「子育ては優先と勘違いしている」といったことで、「荷物をベビーカーに置いて広げたままは非常識」(46歳女性)、「ママ友3人が車内でベビーカーを広げたままで通路を塞いでいた」(39歳女性)といった声だ。

 確かにこれらの意見もわからなくはない。私自身、混雑時に場所をとるベビーカーを邪魔に感じてしまうこともある。ただ、海外の場合はこういった論争は存在しない。ベビーカーを電車やバスに乗せることは赤ちゃんを持つ親の権利として認められているので、肩身の狭い思いをすることはないという。

 フランスでもベビーカーを電車やバスに乗車させようとしている人がいる場合、誰彼ともなく、頼まれたわけでもない周りの人がベビーカーを持ち上げて手伝ってくれる。赤ちゃんを抱っこしたママがバスに乗車すると、全くの赤の他人が「ほら、あなたはこっちに座りなさい」と手招きされ、席を確保してくれることもある。赤ちゃんを連れたママに席を譲ってあげるのは当たり前で、席を譲るのは子どもが生まれる前の妊娠中から始まるそうだ。

 他にもママには嬉しい待遇がある。病院や市役所など待ち時間が長い場所では、赤ちゃんを連れた人は優先番号を貰うことができ、普通の人に比べて待ち時間が少ない。ママと子どもはその場にいる単なる「2人」という単位ではなく、確実に別待遇。もちろん時と場合により程度の違いはあるが、混雑しているバスの中でも一人子ども連れのママがいるだけで何となくその場があたたかく和む。赤の他人同士の「助け合い」を目にするたびに、私の心はいつもホッとあたたかくなる。

  ここでいくつかの疑問が浮かぶ。日本を訪れた外国人は「日本人はとても親切だった」と褒め称えるのに、なぜその日本人はこんなにも子連れに冷たいのだろうか。少子化で子どもが少ない今だからこそ、子どもを大切にしようと暖かく見守る社会ができあがってもおかしくないはずなのに、なぜ日本の子ども連れは邪魔者扱いされてしまうのだろうか。

 核家族化の進行や若者の恋愛離れによる家族観の崩壊など様々な理由が考えられるが、一つには日本社会が「他人に不都合を与える人」に対して異様に厳しい社会だからではないかと思う。相手の迷惑になりたくないから、子連れであろうとなかろうと関係のない人には話しかけない。母親のほうは泣きだす子どもを連れていることがまるで何かの罪のような、肩身の狭い思いを強いられてしまう。

 しかし、人間社会と言うのはそもそも互いに「不都合」をかけあって構成されているものではないだろうか。誰にも迷惑をかけずに生きていくことはできないし、満員電車に乗ったベビーカーを煙たがっている人だって、どこかで誰かに不都合を与えているものだ。揺れる車内のなかで子どもと大きな荷物を抱えて立っていることがどれだけ大変なことなのかは誰の目から見ても明白だと思う。それなら、そんなママたちよりも身軽な人がちょっと不都合を被ってあげればいい。それを「助け合い」と呼ぶのではないだろうか。

 「困った時には助け合う」こんな当たり前のことが当たり前にできる社会で生きるほうが、どんなに人は幸せになれるだろう。

 パリの地下鉄に赤ちゃんを連れたママが、周りの人に笑顔で「メルシー(ありがとう)」と言っている光景を目にするたびしみじみ思う。(マダム・リリー)