阿比留瑠比(政治部編集委員)

 左から見れば真ん中も右だと思える。その人の立ち位置や考え方で、政治的営為や政治家の評価はいかようにも変わる。しかも、ものは言いようだ。安倍晋三首相の衆院解散表明に関するメディアの報道ぶりを見ていて、改めてその当たり前のことを痛感している。

 古来、政治家や政界を描く際に使う形容詞はおどろおどろしい。例えば海千山千、寝業師、権力亡者、傀儡(かいらい)政権、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、妖怪…などをすぐに思いつく。

詰め寄るメディア


 政治記者は特に批判的文脈でもなく、ごく当たり前にこうした用語を駆使してきた。政界という権力闘争の場には、そんな俗っぽくも魔界めいた一面があるという感覚があるからだ。

 ところが、今回の衆院選をめぐっては、解散表明以前からやたらと大仰な「大義」という言葉が目につく。引用すると「解散に大義はあるのか」(12日付朝日新聞社説)、「民意を問う大義たり得るか」(同日付毎日新聞社説)、「『大義』示せる選挙に」(19日付日経新聞1面署名記事)など枚挙にいとまがない。

 今回の解散・総選挙のように大義が取り沙汰された選挙は記憶になく、困惑を禁じ得ないでいる。そこで手元の辞書を引くと、大義の意味はこうである。

 「人がふみ行うべき最高の道義。特に、国家・君主に対してつくすべき道」

 そもそも現憲法下で、解散を断行せず任期満了で衆院選を行ったのは昭和51年の三木武夫首相だけなのである。それ以外のあまたの衆院選で、果たして「最高の道義」や「国家・君主に対してつくすべき道」が実践されたというのだろうか。

 いま、首相の専権事項である解散権を行使しようとする安倍首相に「大義がない」と詰め寄るメディアは、これまでの解散にはどんな姿勢で臨み、どんな批判を浴びせてきたのか。

 百鬼夜行の政界で、どんな大義が実現していると信じてきたのか問いたい。

抽象的な言葉乱用


 また、19日付朝日新聞は1面で「愚直な政治 忘れたのか」と題する署名記事を載せ、記事中で「正直いちずなこと」を表す愚直という言葉を4回も用いて安倍首相に愚直さが足りないと説いている。

 だが、複雑怪奇な国際情勢下にあって、それこそ権謀術数渦巻く政界で国のかじ取りをする首相に、いまいたずらに愚直さを求めてどうするのだろうか。

 そもそも近年、愚直という言葉を好んだ首相はというと、野田佳彦、鳩山由紀夫の両氏が思い浮かぶ。

 野田氏は「愚直に真っすぐに日本の政治を進めていく」「愚直に訴え続ければ必ずや理解を得られる」などと主張し続け、民主党を政権から転落させた。

 鳩山氏は平成22年4月、米ワシントン・ポスト紙に「愚か」(loopy)と酷評されたことを国会で取り上げられた際、当初は自らを「愚かな首相」と認めつつ、いつの間にか肯定的な表現である「愚直」にすり替え、こう述べた。
 「少しでもそれ(沖縄県の米軍基地負担)を和らげることができたら。そう愚直に思ったのは間違いでしょうか」

 鳩山氏は同日、記者団に「愚かな首相」と述べた真意を問われると、7回も「愚直」を繰り返した。とても愚直とはいえない狡猾(こうかつ)なやり口が印象に残った。

 報道機関が時の首相に批判的視線を向けるのは当然だ。ただ、「大義」や「愚直」といった曖昧で抽象的な言葉の乱用はいただけない。