将棋界のトップを走る羽生善治が明かした「強さ」の秘訣

『THE21』 2016年1月号

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羽生善治(将棋棋士)

 将棋界において、25年以上にわたって一度も無冠になったことがなく、トップの座をキープし続けている羽生善治氏。変化のスピードが速く、「情報戦」の様相を呈しつつある将棋界において、羽生氏はいかに膨大な情報を処理し、素早い判断につなげているのか? お話をうかがった。

 ITの進化などによって変化のスピードが速くなっているのは、ビジネスの世界だけではなく、将棋界も同じだ。

 将棋の公式戦は年間2,000局以上行なわれており、今はそれらの棋譜をパソコンで検索することが可能になっている。また、主だった対局については、インターネットでの中継も頻繁に行なわれるようになった。そのため、新しい戦型を編み出しても、すぐに研究されて、通用しなくなってしまうようになっているのだ。

 さまざまな戦型が次々と試され、同じ棋士でも戦い方のスタイルがどんどん変わっている今の将棋界。そんな中で勝ち続けるためには、情報の収集と分析が欠かせない。だが羽生氏は、「情報とのつきあい方に気をつけないと、情報がかえって勝負の邪魔をすることが少なくない」と言う。
第87期棋聖戦の第5局で、永瀬拓矢六段と対局した羽生棋聖=2016年8月1日、新潟市西浦区の高島屋(松本健吾撮影)
「私は、対局の前に、対戦相手の最近の戦い方の傾向をチェックするようにしています。あらかじめ情報収集をしておくことのメリットは、予想どおりの展開になったとき、最初の30~40手ぐらいまでの間は、あまり考えることなく進めていけることです。前半にエネルギーを温存できるぶん、本当の勝負どころで集中力を発揮することができます。

 しかし、情報収集にはデメリットもあります。1つは、物理的に多くの時間を取られてしまうこと。最新の動向を吸収することばかりにとらわれていると、自ら創造的な手を編み出していくことの研究に時間を割けなくなってしまいます。

 もう1つは、情報を収集して対策を練れば練るほど、思い入れが強くなりすぎてしまうことです。ある新しい戦型を1カ月間かけて勉強し、自分のものにしたのに、そのときにはすでに時代遅れのものになってしまっていることがあります。ところが、『せっかくこんなに情報を仕入れて勉強したのに』という思いが強いと、容易に捨てられず、判断の遅れにつながることがあるのです。情報収集をしすぎたり、対策を練りすぎたりすることが、かえって時代に取り残されてしまうことになりかねないということです。

 ですから、『捨てるべきときには、過去の蓄積を惜しまずに捨てる』という覚悟が重要になります」
情報を覚えるのではなく全体像を把握する

 もちろん、羽生氏は情報を軽視しているわけではない。意識しているのは、時間が限られている中で、自分にとって重要だと判断した情報だけを適切に選択していくことだ。

「選択する情報はテーマによって変わってきます。たとえば、ある戦型を体系的に分析するときには、その戦型の歴史を振り返り、転換点となった対局の棋譜をいくつか探します。また、何か新しいアイデアを得たいというときには、過去に誰かが試みた一手でヒントになりそうなものをピックアップします。テーマが違えば、必要となる情報も違ってくるのです。

 そして、『これはぜひ自分のものにしたい』という棋譜については、プリントアウトをしたうえで、実際に盤に駒を並べて覚えるようにしています。

第87期棋聖戦の第4局を制した羽生棋聖
=2016年7月13日、島根県隠岐の島町の羽衣荘
(松本健吾撮影)
 プリントは、ある程度溜まったら捨てています。捨てることで『ここで覚えておかないと、しばらく見ることができない』という緊張感が生まれるからです。

 ただし、覚えるといっても、暗記をするというより、その場面の状況を全体像として把握しておくという感覚です。将棋の場合、『過去に見た棋譜と似ているが、歩の位置が少し違う』といったように、似て非なる場面というのが非常に多いんですね。そこで、全体像を覚えておけば、実際の対局の中で初めて経験する局面になったときでも、『あのとき覚えたあの場面の状況に似ているぞ』というふうに類推が働き、対処法が見つかることがあります。

 情報は、ただ見て暗記するだけだと、しばらく経ったら忘れてしまいます。これは時間のロスでしかありません。収集した情報を経験知として活かせるように、しっかりと自分のものにすることが大切です」
重視するのは、相手が「指さなかった手」

 世の中の変化のスピードが速くなるということは、これまでに経験したことがない、新しい場面に遭遇することが増えるということでもある。そんな場面であってもスピーディに適切な判断をしていくため、羽生氏はどんなことを心がけているのだろうか。

「過去に経験したことであれば、全体像や勝負の流れを把握することが容易です。すると、次に指すべき一手も、さほど迷わずに決められます。

 ところが、経験したことがない場面では、今の状況がどうなっていて、これからどう展開させていけばいいのか、見えないことだらけです。それこそ全体の5%とか10%ぐらいしか掴めていない状態で、決断を下していかなくてはいけない。

 そんな中で私が心がけているのは、たとえ5%しか見えていなくても、全体像についての仮説を立ててみることです。頭の中で海図を思い描き、大海原の中で、今、自分はどの辺りにいて、どこを目指すべきなのかをイメージするのです。

 もちろん、仮説は外れることもあります。しかし、仮説検証を繰り返すうちに、次第に全体像をイメージする精度が上がっていくと考えています。

 最初は、最低でも30%は見えていないと掴めなかった全体像が、20%や15%ぐらいでも掴めるようになっていくはずです。すると、『だいたいこの辺りに指せば間違いないだろう』という直感力も働かせやすくなります」

 仮説を立てて検証していく力は、実際の対局だけではなく、情報を収集し、分析する中でも、鍛えていくことが可能だ。

「私が棋譜を研究するときに意識しているのは、その棋士が指した手ではなく、指さなかった手のほうです。

 たとえば、ある一手を指すのに60分かかった場合、その間にいろんな指し手の選択肢が棋士の頭の中で浮かんだはずです。『それは何だったのか?』『その手を指さなかったのはなぜなのか?』をイメージすることで、その棋士がやろうとしたことについての仮説を立てるのです。

 そうしておくと、実際にその棋士と対戦する場面が、仮説を検証する機会になります。対局中は相手の反応も見えますから、『この戦型には相当な自信を持っているな』とか、『ここまでは分析できているけど、この先はまだ迷いがあるな』といった様子を窺うことができます。想像力を働かせることが、状況を掴む力を鍛えていくのです」

 もう1つ、羽生氏が対局で大切にしていることに、直感力がある。

「直感力とは、今、自分はどこにいて、どの方向に進めばいいのかを、おおまかに掴む羅針盤のようなものです。答えを見つけ出すときに、ゼロからロジカルに考えるよりも、直感力によって『だいたいあの辺りだな』と目星をつけてから、そのうえでロジカルに考えていけば、より速く答えに到達することができます」

 直感力は、さまざまな場面で論理的思考を働かせながら答えを見つけ出す経験によって鍛えられていくと、羽生氏は考えている。その経験の積み重ねの中で、やがて論理の手順を踏まなくても、一気に答えに近づくことができるようになる。それが直感力なのだ。

 瞬時に物事を判断する必要がある場面で大きな武器となる直感力は、ビジネスマンもぜひ鍛えておきたい力である。

「大切なのは、若いうちから、いろいろと考え、工夫しなくては答えが見つからない経験を、意識的にたくさん積んでおくことです。そうすると、旅慣れた人が初めて訪れた街でも栄えている場所や危ない場所についての土地勘が働くように、未知の場面に遭遇したときにも、直感力を働かせることが可能になります」
《取材・構成:長谷川 敦  写真撮影:長谷川博一》

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