東京基督教大学教授、「救う会」会長 西岡力

 拉致問題が動いた。しかし、安倍晋三政権が「拉致問題の解決に向けた方針」としてかかげる「拉致被害者としての認定の有無にかかわらず、全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国」「拉致に関する真相究明」、「拉致実行犯の引き渡し」が実現するかどうか、全く不透明だ。最悪の場合、被害者の何人かが殺傷されることさえ想定される。まさに、緊迫した戦いが始まった。張成沢処刑後、対日交渉の主導権を得た統一戦線部(以下、統戦部)はいま全力を挙げて、2002年9月に金正日が通報してきた横田めぐみさんたち「8人死亡」説を維持したまま日本から支援と制裁解除をとるための工作を展開している。一方、安倍首相は、2002年9月に金正日が行った説明、すなわち「拉致したのは13人だけ、そのうち8人は死亡しており、残り5人を返して拉致問題は解決した」を崩すことを目標にして北朝鮮と交渉している(3月28日、安倍総理が家族会に明言)。北朝鮮と日本の思惑は異なっている。

 今回の日朝合意は、安倍政権が統戦部の狙いに一度乗ってみせて、彼らの出してくる新たなウソ報告を打ち破って事態を打開しようと試みたものであるという前提に立つときに初めて肯定的に評価できる。

 安倍政権に与えられた北朝鮮との交渉の時間は最長3年と思われる。2017年に韓国で再び、親北政権が成立する可能性がある。そうなれば、無条件的な支援が再開され、金正恩政権が日本に接近する動機の大部分は消滅する。また、同じく2017年までに北朝鮮が米国本土まで届く核ミサイルを完成させる可能性もかなりあり、そうなれば朝鮮半島を巡る戦略環境は大きく変動する。米国が赤化する韓国を見捨てベトナム型の共産統一という悪夢も起こりえる。その場合、拉致問題は半永久的に解決できない。

 金正恩政権は2017年までの3年間をどうしのぐのかという観点から対日カードを切ってきた。枯渇する外貨を補い、中朝関係悪化から来る外交的孤立を挽回しようとして安倍政権に急接近してきた。彼らは日朝国交正常化にともなう巨額の経済支援ではなく、当面の外貨を日本から調達しようとしている。具体的には、①1945年前後に北朝鮮で死亡した日本人の遺骨を日本に返還するプロセスで実費と称してまとまった外貨を得ようとする「遺骨ビジネス」②2006年第1次安倍政権が開始した朝鮮総連への厳格な法施行を中止させて、過去のごとく総連から金とものを送らせようとし、③食糧支援再開にともない大量の米を得る―の3つを狙っている。


懸念される拉致被害者殺害


 北朝鮮内部に繋がる複数の情報源によると、金正恩は今年1月、朝鮮総連を再建せよ、そのために対日接触をせよとの以下のような秘密指令を下した。

 「首領さまと金正日同志が育てた総連が日本の野郎どもの工作のため脱退者が続出して崩壊直前になっている。北朝鮮住民への影響も大きい。総連からカネやミサイル用電子部品が来なくなっていることもダメージが大きい。総連を再建せよ。そのために日本と協議をせよ」

 統戦部は、この指令を受けて今年1月から本格化した対日交渉を主導している。なお、総連の秘密工作を管轄してきた225部(旧連絡部・姜周一部長)は昨年統戦部と統合している。日本のメディアがしきりに報じている国家安全保衛部は、交渉を主導していない。ただ、統戦部の監視役をして課長クラスの保衛部の人間(キムジョンチョルと名乗る)が交渉団のメンバーに入っている。

 統戦部は今回の対日交渉において、総連再建に必要な制裁解除(厳格な法執行を含む)と遺骨提供にともなう外貨の獲得を当面の目標としている。合意内容のうち「日本側がとる行動」の第5項目「在日朝鮮人の地位に関する問題については、日朝平壌宣言にのっとって、誠実に協議することとした」が前者のための仕掛けになっている。すでに宋日昊大使はこの項目の中に総連中央本部問題が含まれると主張している。

 統戦部は、今回の調査で拉致問題を終わらせようとしている。それは、合意文にある「北朝鮮側は、…最終的に、日本人に関する全ての問題を解決する意思を表明した」という部分からも分かる。統戦部は、8人を含む全被害者を返さなければ日本政府と世論が好転しないと主張していた張成沢部長に対して、8人を返せば秘密が漏れて工作活動に支障が出ると頑強に反対していた。統戦部主導の現在の交渉は「8人死亡」維持を前提とされている。日本の世論対策として、生きている被害者を殺害して高温で焼き遺骨を作るテロを実行する危険がある。すでに金正恩が決済している可能性もある。

 あらゆるルートで8人が生きて帰ってこない限り、遺骨返還に伴う現金支払いも総連への圧力低減もないという安倍政権の不動の立場を発信しなければならない。8人について日本が確実な生存情報を持っており、もし遺骨が出てきた場合は、DNA鑑定を待たずに生存情報を公開して北朝鮮を糾弾するというメッセージを発信しなければならない。

 今回の日朝協議で、わが国外務省は水面下で大幅に譲歩した疑いがある。北朝鮮が2002年の説明をくつがえす意思表示をしていないのに、安倍総理訪朝、独自制裁の完全解除、核ミサイル実験をしても交渉決裂させないなど大幅な譲歩を約束したという北側からの情報を、私は最近入手した。

 金正日政権は、調査は1回だけ行い、それが拉致問題に関する最終報告だと位置づけている。日本政府が北朝鮮で確認作業を行うことを悪用して事実上の共同調査に持ち込もうとしている。このまま、外務省主導で日朝協議が進むと、被害者の大多数は再調査でも死亡や未入境とされ、金正恩政権下での帰還が不可能になるかもしれない。最悪のケースでは最高機密を知るとされる数人の被害者が殺害され、高温で焼いた遺骨とされて引き渡される危険性もある。

 外務省が水面下で約束したと複数の北筋が主張している内容は以下の通りだ。

・9月か10月の安倍総理の訪朝を実現させる。それによって韓国と中国を刺激して、北朝鮮に接近させようともくろんでいる。

・北朝鮮が核、ミサイル実験を行っても今回の合意に基づく日朝協議は決裂させない。

・総連中央本部に関して外務省は水面下で「司法に介入できないが道はある。応札した業者を説得して10億円上乗せして転売させるという方法もある」と伝達した。すでに4月に外務省幹部が地裁決定で購入権を得ているマルナカホールディングに接触したという。

・外務省は水面下の交渉で、万景峰号入港許可を前提に、船を改造したため日本の安全基準を満たしていないから入港不可能と伝え、修理すべき箇所の資料を伝達した。北朝鮮はそれを受け羅津で修理を行っている。

 これらが事実だとすると日本側が大幅な譲歩を行っていることになる。拉致被害者全員を取り戻す前に譲歩してしまえば、北朝鮮は動かなくなる。北朝鮮は制裁の「痛み」を感じている間だけ動くのだ。

 もっとも、警戒すべきは前述したとおり、統戦部が数人の被害者を殺害して「遺骨」を作り、高温で焼いてから日本に提供することだ。北朝鮮工作機関の動静に詳しい複数の情報源は今回の合意を見て、2~3人殺される恐れが高いと私に伝えてきた。

 安倍総理も幹事長代理だった2004年12月、横田めぐみさんのモノとされた遺骨から別人のDNAが検出されたとき、「これからは証拠を出せというと危険だ。生存者を返せというべきだ。彼らは生きている人の腕を折って本物の遺骨を作ることすらやりかねない」と警告を発していた。

 日本の技術では遺骨の鑑定によって死亡時期も分かる、たとえば94年に死亡したとされている被害者の遺骨が出てきて死亡時期が2002年以降であれば虐殺だ。そうなれば日朝関係は半永久的に改善できず、日本は金正恩政権を倒すためにあらゆる手段を取る、と警告し続けなければならない。

 死亡時期が判別できるということを統戦部も知っており、高温で焼けばそれが不可能になるのではないかと、日本の技術に関する調査を数年前から必死で行ってきた。私のところには複数の情報源から以下のような情報がもたらされており、大変緊張している。2005年か2006年、被害者を毒殺して遺骨を作る計画があったが実行されなかった。2007年頃から「日本のDNA鑑定技術で死亡時期や死因がどの程度分かるのか」を調査していた。2012年にヨーロッパのある国の病院で遺骨を高温で焼いた後、DNAを鑑定する実験を実施した。DNAは検出されその骨が誰のモノかは判断できるが、死亡時期や死因は判別できないという火葬温度を探ったという。

 この情報に接した後、私は日本国内の専門機関関係者にわが国のDNA鑑定技術水準に関して質問した。その結果、日本警察が現在持っている技術は世界最高水準であることが分かった。2004年、横田めぐみさんのものとされる遺骨を鑑定した警察庁の科学警察研究所はDNAを抽出できなかった。民間の帝京大学法医学研究室でそれができた。ある意味、警察は恥をかいたことになり、その後、予算、人材を集中的に投入して技術開発を行ってきた。帝京大学の法医学研究室から吉井富夫教授を警視庁の科学捜査研究所にスカウトしたのもその一環だ。最新の研究成果は公開されていないという。したがって、北朝鮮がヨーロッパの技術で実験を行ったとしても、日本が持っている最高水準の技術を見破ることはできない。この点を金正恩に伝えなければならない。

「日本政府は世界最高のDNA鑑定技術を持っており遺骨から死亡時期を判別できる。その上、死亡とされた8人に関して確実な生存情報を持っている。被害者を殺傷するな。それをしたら日朝関係は最悪となる」というメッセージを金正恩に向けて発信しなければならない。

 日本は被害者の生存を確認できる多くの情報を持っている。菅義偉官房長官は昨(2013)年10月9日の会見で「政府としてめぐみさんの生存についてどのようにお考えですか」という質問を受け、「もちろん生存していると私どもは確信しています」と答えている。

 古屋圭司拉致問題担当大臣も5月22日に出した「第2回日朝首脳会談10周年談話」の中で〈(10年前の)第2回日朝首脳会談後の日朝実務者協議で示された「再調査結果」は、裏付けとなる物的証拠がないばかりか、不自然な点や矛盾に満ちたものです。我が方として、これを最終回答とみなすことはありません〉〈我が国は、安否不明の拉致被害者についての情報収集活動を一貫して強化してきました。一時的なポーズをとって時間を稼いでも、状況の改善や実利の獲得にはつながりません。拉致被害者の存在を隠蔽することで拉致問題の終息を図っても、日朝関係を取り返しのつかない状況に追い込むだけです。御家族に「死亡」を納得させたり関係者を離間させたりすることによる問題風化の試みも、一切通用しません。こうした策動により拉致被害者の無事帰国を求める日本国民の声を収拾することは、不可能です〉(傍線西岡、以下同)と述べた。

 傍線部分を熟読すると、日本は生存情報を持っているのだから、偽遺骨などを出して被害者を隠蔽したら「日朝関係を取り返しのつかない状況に追い込む」と警告していることがわかる。日朝合意発表後、古屋大臣は機会あるごとに同趣旨の発言をしている。

 民間である救う会も多くの情報を持っている。生存情報は全て政府に提出している。金正恩政権が日本のDNA鑑定能力と情報収集能力を甘く見たらとりかえしのつかないことになると、繰り返し警告しておく。

 被害者殺害さえ阻止できれば、調査結果として「8人死亡」説が再度出てきても、日本として受け入れられないとの判断をなし、彼らが求める総連再建につながる制裁解除や遺骨にともなう外貨の支払いを実施せず、金正恩の決断を待つという戦略を貫ける。

国家テロとの戦いであることを忘れるな


 今後の交渉の推移を評価するにあたって、一つ強調しておきたいことがある。テレビや週刊誌などに登場する解説者の多くは、今回何人の被害者が出てくれば世論は納得するか、小泉政権は5人を取り戻したから安倍政権ではそれ以上出てこないと政治的業績にならない、等という議論を繰り返している。しかし、焦点は北朝鮮が出してくる被害者の人数ではない。

 拉致問題は国家犯罪、国家テロである。いま、北朝鮮当局と行っている協議は、たとえて言えば人質をとって立てこもっているテロリストグループと警察が行っている人質救出のための交渉なのだ。そのとき、最優先にされるのはすべての人質の解放であり、その次に真相究明と犯人逮捕だ。人質のうち、3人出せばあとは殺してもいい、連れて行ってもいいなどという交渉はあり得ない。拉致問題においても「全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国」こそが最優先されるべきなのだ。これは白か黒か、100対ゼロの交渉であって人数で譲歩することはあってはならない。

 ところが、多くの論者の認識には、この問題を通常の外交交渉と同じ質の、数字で譲歩できるという考えが忍び込んでいる。そして、もしかしたら交渉に当たっている外務省の潜在意識にも、それがあるのではないか。私は、先述の通り今回の外務省の交渉姿勢に関していくつかの懸念を抱いている。国家として自国民が一人でもテロ集団に不当に抑留されている事態が継続していることは、主権と人権の侵害として絶対に容認できない、という原則に則っているのかどうかだ。

 安倍政権は解決方針を「拉致被害者としての認定の有無にかかわらず、全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国」と定め、認定できていない被害者を含み全員を助けると明言した。認定できていない被害者が何人いるのかは分からない。助けるべき人質の総数が何人か把握できていないのだ。全員のリストがないけれども、一人残らず助ける、このような極めて困難な課題にわれわれは直面している。

 全員を助けるための方策はある。私はこの間繰り返し、北朝鮮による時間稼ぎと責任転嫁を許す合同調査委員会は絶対作ってはならない、北朝鮮にこれが全員であるという調査結果を申告させ、それを日本が検証して、不十分だと判断すれば反論をして再申告させるという、申告検証を繰り返す枠組みを作れと主張してきた。

 今回の合意を見ると、いくつかの危険性はあるが、それがほぼ実現したかのように読める。北朝鮮がとる行動の第5で「拉致問題については、拉致被害者および行方不明者に対する調査の状況を日本側に随時通報し、調査の過程において日本人の生存者が発見される場合には、その状況を日本側に伝え、帰国させる方向で去就の問題に関して協議し、必要な措置を講じることとした」(傍線西岡、以下同)とされて、北朝鮮が拉致被害者に関する調査の状況を日本に通報することとされた。

 そして、日本側がとる行動の第6で「包括的かつ全面的な調査の過程において提起される問題を確認するため、北朝鮮側の提起に対して、日本側関係者との面談や関連資料の共有などについて、適切な措置を取ることとした」とされ、日本が北朝鮮の通報してくる調査状況を確認することとされた。また、北朝鮮がとる行動の第6で、「調査の進捗に合わせ、日本側の提起に対し、それを確認できるよう、日本側関係者による北朝鮮滞在、関係者との面談、関係場所の訪問を実現させ、関連資料を日本側と共有し、適切な措置を取ることとした」と北朝鮮が日本の確認作業に協力することが書かれている。

 北朝鮮が調査して日本に通報し、日本が確認するという枠組みが一応できている。しかし、気になるのが日本の確認作業が北朝鮮で行われるかのように読めるところだ。北朝鮮の行動の第6「日本側関係者による北朝鮮滞在、関係者との面談、関係場所の訪問を実現させ、関連資料を日本側と共有し…」はまさにそのことを意味する。菅官房長官も日本政府代表を北朝鮮に駐在させて確認作業を行うと表明している。これは危険だ。

 捜査権のない日本政府代表が北朝鮮内で捜査、調査を十分に行える保証はない。これが全容だという調査結果を客観的な証拠を添付した上で北朝鮮に申告させ、それを日本が日本国内で緻密に検証してここは不十分だ、この証拠は捏造だという反論を提起して再調査を北朝鮮に求めるという枠組みにしなければならない。北朝鮮での確認作業に重点を置くと、いつのまにか合同調査のような形式に巻き込まれてしまう危険がある。

北が繰り返してきた虚偽申告


 実はこれまで日朝は申告検証のプロセスを4回繰り返してきた。今回が5回目になる。北朝鮮はそのたびごとに虚偽申告をしてきた。そのことを前提にして今回の北朝鮮の「再調査」を注視しなければならない。過去の申告検証プロセスを振り返っておく。

 1回目の調査は、1998年1月から6月初めまで5ヵ月間、北朝鮮赤十字会が行った。前年に日本政府は北朝鮮に7万トンのコメ支援をし、北朝鮮は行方不明者としての調査を約束した。調査対象は当時日本の警察が拉致容疑事案としていた10人(久米裕、横田めぐみ、田口八重子、地村保志・浜本富貴恵、蓮池薫・奥土佑木子、市川修一・増元るみ子、原敕晁)。しかし、結果は、「1970年代以降、日本から来た30歳以上の人々について、日本から送られてきた10人の身元と詳細に照合された。しかし、残念ながら日本が求める10人のうち1人も見つからなかった」(98年6月5日北朝鮮赤十字会スポークスマン談話)とゼロ回答だった。

 日本は「今回の北朝鮮側の対応はとても受け入れられるものではない。政府として今後、引き続き本件がわが国国民の生命の安全にかかわる重要な問題であるとの認識に立ち、北朝鮮側の真剣な対応を粘り強く求めていく」(橋本龍太郎首相)「到底受け入れられず、極めて遺憾だ。北朝鮮による拉致の疑いが持たれている事件は、わが国捜査当局で検討した結果、7件10人と判断している」(村岡兼造官房長官)と反論した。ここで1回目の申告検証プロセスが実施され、日本は再調査を求めた。

 2回目の調査は、2000年に始まった。この時も前回と同じコメ支援実施、調査開始、ゼロ回答、日本の反論という流れだった。3月に10万トン、10月に50万トンのコメ支援が決まり、12月に7件10人の日本人について「行方不明者」として再調査をすることで合意した。北側は、赤十字から捜査当局に調査を依頼すると伝えてきた。しかし、結果は、やはりゼロ回答だった。翌2001年12月17日、朝鮮赤十字会は「日本側が要請した『行方不明者』の消息調査事業を全面中止する」として、「人間の自主性、人権を最も重んじることを本性とするわが国(北朝鮮)では『拉致』などありえず、あったこともない」「日本側が謀略的な『拉致』騒動でわが国を冒涜し、朝鮮人民の神経を極度に刺激して『行方不明者』の消息調査事業に大きな難関が作り出されたため(調査を中止した)」と一方的に発表した。日本政府は当然、この通告に抗議した。

 3回目が2002年9月17日、小泉首相の訪朝のときだった。朝鮮赤十字会名義で「生存者5人、死亡者8人、未入境1人」という調査結果が通告された。日本は政府とわれわれ家族会・救う会など民間部門が協力して検証を行い、全く信用できないことを証明した。

 9月28日から10月2日、日本政府は北朝鮮に調査団を派遣して「死亡確認書」「患者死亡台帳」などの「証拠」を得てきた。それらを帰国後に分析したところ、死亡時期や死因が合理性を欠くだけでなく、出された文書も捏造だと判明した。たとえば死亡年度も場所も異なる7通の「死亡確認書」が同じ病院で急造されたもので、めぐみさんの死亡を証明するという精神病院の死亡台帳は「患者入退院台帳」の表紙だけを書き換えて捏造したものだった。家族会・救う会はこれらの矛盾点25項目を政府に提出、それ以外にも警察が多くの矛盾点を指摘し、外務省は10月29~30日、日朝国交交渉の場で150以上の質問項目を北朝鮮に対してぶつけて回答を求めた。これに対する北朝鮮側の回答はなかった。

 4回目が2004年5月、小泉首相の2度目の訪朝で金正日が約束した「白紙に戻しての再調査」だった。北朝鮮は日本に対してこのように説明した。「政府から必要な権限を与えられた調査委員会が設置され、同委員会が特殊機関を含む関係機関も調査対象にしつつ、鋭意調査を行った」「同委員会の委員長は陳日宝人民保安省捜査担当局長であった」「その際、生存者がいれば全員帰国させるとの方針で調査を進めた」。同年11月にその結果として、横田めぐみさんと松木薫さんの遺骨と称する骨など多くの「証拠」が出された上で「8名は死亡、2名は入境を確認せず」という2002年9月の調査結果は正しいとされた。(未入境が2名となっているのは2002年9月17日以降に認定された曽我ひとみさんの母である曽我ミヨシさんが加わったため)。

 家族会・救う会は、帰国した5人の協力を得て73項目の疑問点・矛盾点を指摘した。日本政府も精密な検証作業を行い、横田さんと松木さんのものとされる遺骨から別人のDNAが検出されたことをはじめ、47項目の疑問点・問題点を指摘し「北朝鮮側から得た情報及び物証からは、『8名は死亡、2名は入境を確認せず』との北朝鮮側説明を裏付けるものは皆無である。北朝鮮側の『結論』は客観的に立証されておらず、我が方としては全く受け入れられない。」として次のように北朝鮮に対して調査のやり直しを求めた。この部分は重要なので少し長いが全文引用する。

 〈今回の再調査は、本年(2004)5月に金正日国防委員長が小泉総理に対して「白紙」に戻して徹底した再調査を行うと約束したことを受けて実施されているものであるが、上記で指摘してきたとおり、これまでに北朝鮮側から提供された情報・物証では、安否不明の拉致被害者に関する真相を究明するためには全く不十分と言わざるを得ず、「調査委員会」による本件再調査は信頼性を欠き、到底、金正日国防委員長が約束した「『白紙』に戻しての徹底した再調査」と呼べるものではない。

 以上を踏まえて、政府としては北朝鮮側に対して、今般の再調査の結果は極めて誠意を欠く内容であるとして強く抗議するとともに、日本側の精査の結果を早急に伝達することとする。そして、北朝鮮側が「日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む」との日朝平壌宣言に則り、また、金正日国防委員長自身が行った約束を自らの責任と関与で誠実に履行することにより、安否不明の拉致被害者の真相究明を一刻も早く行うよう、厳しく要求するものである。〉「北朝鮮から提示された情報・物証の精査結果

 その後、北朝鮮は2008年8月に5度目になる「調査」を約束したが、突然その約束を破棄して今に至っている。したがって、今回、北朝鮮が行う「再調査」は5度目の調査となり、日本としては2004年に指摘した精査結果47項目に対する誠実な回答がなされるかどうかを、結果を評価する基準とするべきなのだ。何人の被害者が出てくるかなどという問題ではないという点、再度強調しておく。

 拉致問題では以上見てきたようにすでに北朝鮮側が4回「調査」を行ってその結果を日本に申告したが、日本はそのたびに、それを検証して「北朝鮮側の『結論』は客観的に立証されておらず、我が方としては全く受け入れられない」として具体的な疑問点を多数指摘して北朝鮮に調査やり直しを求めてきた。すでに私の言う北朝鮮による調査結果の申告、日本による検証というプロセスが4回実施されたが、北朝鮮がそのたびごとに虚偽申告を繰り返した結果、多くの被害者が北朝鮮に取り残されたまま拉致問題の解決には至らない状況が今も継続しているということだ。
北朝鮮側が提供した横田めぐみさんとみられる女性の写真

オールジャパンの戦いだ


 読者諸侯にお願いしたいことがある。いま現在、日本政府が北朝鮮に突きつけている「反論」の内容をぜひ確認していただきたい。拉致問題対策本部は「北朝鮮側主張の問題点」というパンフレットを作り、またウェブ上でも同じ内容を公開している。その冒頭で日本政府は以下のように堂々たる反論を行っている。
〈北朝鮮側は、次のように主張しています。

・(安否不明の拉致被害者12名のうち)8名は死亡、4名は北朝鮮に入っていない。

・生存者5名とその家族は帰国させた。死亡した8名については必要な情報提供を行い、遺骨(2人分)も返還済み。

・日本側は、死んだ被害者を生き返らせろと無理な要求をしている。

 しかし、こうした北朝鮮側の主張には以下のように多くの問題点があり、日本政府は、北朝鮮側の主張を決して受け入れることはできません。そして、被害者の「死亡」を裏付けるものが一切存在しないため、被害者が生存しているという前提に立って被害者の即時帰国と納得のいく説明を行うよう求めています。日本政府は、決して「無理な要求」をしているのではありません。

1.8名の「死因」には不自然死が極端に多いことに加え、これを裏付ける客観的な証拠がまったく提示されていない。

2.北朝鮮側説明には、不自然かつ曖昧な点が多く、また、捜査により判明している事実や帰国被害者の証言との矛盾も多く、説明全体の信憑性が疑われる。

 その全文を多くの日本国民がじっくりと読んで欲しいのだ。その上で、今回の再調査で北朝鮮がこの日本政府の反論にどう答えるのかに注目していただきたい。

 統戦部はいま、何かを準備している。全被害者を返すというわれわれが望むものではないだろう。しかし、彼らは満を持して再調査の結果として、その何かを出してくる。時期はかなり早いかもしれない。官民挙げて検証し、でたらめを暴かなければならない。この間、政府が蓄積してきた情報力が試される。私たち民間部門も総力を挙げる覚悟だ。またしてもでたらめな調査報告だと分かったなら、解除した制裁の再発動や、人的往来の全面停止など一層強い制裁発動を躊躇なく行うべきだ。

 安倍晋三首相は本稿で私が指摘したさまざまな危険性を全部、承知の上で事態を動かして被害者を何とか救おうと決断したと信じている。勝負はこれからだ。オールジャパンの力が試されている。