「もったいない」の精神で、世界的にも「エコ」な国だと言われることが多い日本。その精神は江戸時代から続いているものだ。

 江戸時代、町人は長屋に住み、共同井戸を使用していた。『江戸はスゴイ』(PHP新書)著者の堀口茉純さんは言う。

「生活サイクルはみんな同じでした。朝ご飯が終わったら、みんな洗濯物を持って、井戸に集まりました。住んでいる人たちが必ず顔を合わせる場になっていました。井戸で洗濯をしながら、世間話や情報交換をしていました」

 井戸端会議という言葉は、ここから生まれたという。また、当時は、洗剤代わりにこんなものを使っていた。

「米のとぎ汁を使っていたようです。天然の界面活性剤サポニンという成分が入っていたため、洗濯に適していたようです。また無患子(むくろじ)という植物は泡立ちがいいそうで、それを使うこともあったそうです。下着類は毎日洗っていましたが、着物類は、たまに洗う程度でした。一回糸をほどいて、まっすぐな状態にして洗うので、大変だったんです」(堀口さん)

 ごみ捨て場も共同だったが、江戸っ子はできるだけごみを出さないエコの精神にあふれていたという。

 溶けた蝋を買い集めて一本のろうそくを作る業者、割れたせとものを焼き継ぎしてくれる業者など、いろいろなリサイクル業者がいた。

男は湯屋で身だしなみが命!


 現代でいう銭湯にあたる湯屋。料金は、大人は6~8文(150~200円)、子供は4~5文(100~125円)だった。さらに、湯屋はもともと、混浴だった。
前室、浴室などがそろって出土した和歌山・根来寺。東側にある16世紀の湯屋の遺構=2004年3月18日、和歌山県岩出町
前室、浴室などがそろって出土した和歌山・根来寺。東側にある16世紀の湯屋の遺構=2004年3月18日、和歌山県岩出町
「何度も混浴はいけませんとお上から禁止令が出ていたんです。つまり、守られていなかったということですね。一応入り口だけは男女別に分けている湯屋が多かったです」(堀口さん)

 湯屋は、身だしなみを整える場でもあった。当時の江戸は、男性が多かったため、女性を射止めるために清潔男子をめざした。

「男性がアンダーヘアの処理に使う毛切石が常備されていましたし、房楊枝や歯磨き粉などの口臭ケアグッズも売られていたそうです」(堀口さん)

 もちろん女性も毎日、湯屋に通ったが、髪を洗うのは1か月に1回程度だった。

「腰まであるほど長いので、髪を洗ったら、また結いあげなきゃいけない。だから、毎日洗いませんでした。そもそも脂っこいものを食べていないので、髪質が油っこくなかったみたいです」(堀口さん)

 電気がなかった江戸時代。ろうそくはとても高価なので、明かりには油を使っていた。菜種油は、高級品で1合64文(1600円)程度。その半分ほどの価格の魚油は魚が原料なので、とてもくさく、煤(すす)が出た。だから、江戸っ子は、あまり夜更かしはしなかったという。

『江戸時代の暮らし方』(実業之日本社刊)著者で成城大学民俗学研究所研究員の小沢詠美子さんは、江戸っ子の根底には「あきらめの美学」が流れていると分析する。

「周知の通り、江戸は火事が多かった。葺屋町、堺町のあたりは、平均すると6年に1度の間隔で焼けてるんです。6年間築いてきた財産も幸せも一瞬で失いました。それが6年後にまたやってくる。あきらめないと心が病んでしまいますよね。

 また、江戸には、いろいろな地方から人がやってきました。当時は地域が違うと、慣習も生活スタイルも違った。でも、そうした人と長屋で一緒に暮らしていかなければいけない。そうした環境から、江戸っ子には、現状を受け入れるあきらめの精神が構築されていったんです」

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