李氏朝鮮から輸入した朱子学は日本を「李氏朝鮮化」した。安土桃山時代までの日本は自由闊達(かったつ)だった。ポルトガル人の宣教師、ルイス・フロイスも驚いたように、女性たちは自由で独立した人格を認められていたし、政治的にも大きな役割を果たしていたことは、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でもおなじみだ。
孔子
孔子
 ところが、儒教の女性蔑視、男女隔離の思想が朱子学とともに入ってきて、女性への差別が徹底され、政治の表舞台からも追放された。

 また、江戸時代以前にも賤民のように扱われる人々や職業はあったが、多くの人々が明確なかたちで体系的に差別されるようになったのは、江戸時代に身分制度が確立されてからのことだ。しかも、儒教道徳を体現したような「名君」といわれた大名ほど、身分秩序を厳格にして、服装まで変えさせるなどして、差別を徹底したのである。

 それは、武士の立場でも同じで、「士農工商」の身分制が基本というのは疑問である。中津藩士だった福沢諭吉も、庶民と足軽や徒士(かち、いわゆる下級武士)とは行き来もあったが、上級武士に下級武士が昇格できたのは、中津藩200年の歴史でも数例だけだといっている。

 殿様が自分の家臣と意識しているのも、上士だけだった。もっとも、身分制度は藩によってかなり違いがあるのだが、明治になって士族と位置づけられた階級の中でも、馬に乗れて袴(はかま)を履く「上士」、袴は履くが馬に乗れない「徒士」「足軽」、武家奉公人たる「中間(ちゅうげん)」などに分かれていた。

 侍というのは上士の中でも上層部を指すことが多かったし、足軽以下は武士ではなかった。したがって、足軽が先祖だったら、「私の祖先は明治時代に士族になりました」とは言えるが、「武士でした」とか「侍の子孫です」「藩士でした」といえば詐称だ。

 それでも、科挙があるから無教養ではダメな中国や朝鮮の政府の役人に比べて、旗本や大名の家来はあまり学問を要求されなかったし、出来が悪くても育ちだけで役職に就けた。といっても、当然実務などできるはずがない。そこで勘定方や儒者、藩医、砲術型、剣道師範などといったグループが別にいて、それぞれ世襲で技能を磨いて実務を担当した。福沢諭吉の家系は勘定方だし、久坂玄瑞は藩医、吉田松陰は兵法家の出身だ。

 さらに、幕府や藩の財政の仕組みもじり貧にならざるを得ないものだった。戦国大名や信長、秀吉は、米の年貢を基本としたが、ほかの収入も重視した。商工業の発展を図り、鉱山開発を盛んに行ったうえに、貿易から上がる利益も大きかった。

 しかし、儒教的な農本主義にたった江戸幕府は、米に対する年貢に頼った極端な税収構造にした。それが差し当たって可能だったのは、徳川将軍家が俗に天領といわれた幕府直轄領を400万石にし、旗本知行地の300万石と合わせて700万石と広く取ったからだ。豊臣家の直轄地が200万石くらいだったからかなり多い。しかも江戸時代の前半には、戦国時代に発達した土木、治水技術の応用で容易に新田開発も可能だった。