また、薩摩藩は琉球を支配していた上に、江戸中期以降は、徳川家との縁組を強化し、ついには、11代将軍徳川家斉と13代将軍徳川家定の御台所を出すまでになり、御三家に劣らない治外法権的な地位を確立した。この地位を利用して密貿易や、大坂商人から強引な借金棒引きにも成功した。

 言ってみれば、北朝鮮と韓国の国力差が西日本と東日本でも生じたようなもので、その格差が倒幕と明治維新の伏線になったわけである。

 最後に、江戸時代の技術や教育水準について簡単に書いておく。鎖国期には独自の工夫で砂糖や綿花に代表される日本の気候に向かない産物を生産したり、ガラパゴスな技術で工業を発展させた。

 しかし、そうした製品は、開国した途端に輸入品に駆逐された。それは東西冷戦時代に、西側から揶揄(やゆ)された東ドイツの「段ボール製自動車」や、ポーランドで温室に石炭をたいて生産していたバナナと同じようなものだ。

 江戸時代のそうした工夫を褒める人もいるが、ポーランド産のバナナと同様に、鎖国というバカげた政策のあだ花に過ぎなかった。そして何より問題だったのは、軍事技術で大きな遅れを生じさせ、19世紀を迎えても火縄銃とライフル銃で列強と対峙する羽目になり、日本は危うく植民地にされかかったことである。

 「鎖国していなければ植民地にされた」などと愚かなことを言う人がいるが、17世紀のスペインやポルトガルは、インドのゴアのような貿易拠点や、フィリピンのように国家が成立していなかった地域を占領したり、金属製の武器を持たなかった南米を征服したわけで、日本のような国を植民地支配することは不可能だった。

 また、日本の教育が先進的だったというのも大嘘だ。よく言われる識字率の高さについては、日本では仮名が読み書きできるかどうかだが、中国では数千字の漢字の読み書きで判断していたのだから、そもそも比較基準が大きく違う。

 また、寺子屋の普及も藩校がでそろったのも天保年間(1830-44年)のころで、西洋では既に近代的な学校制度ができ上がっていた。しかも、藩校では算術を教えなかったので、武士たちは軍人としても官僚としても役立たずで、戦国時代の先祖の功績による「年金生活者」に過ぎなかったのである。