加藤 達也(産経新聞・前ソウル支局長)

悪意があるのはむしろ韓国検察庁


 今回の出来事は言論の自由について韓国の狭量さを示した象徴的な出来事だったと思っています。そもそもあの記事で名誉毀損という罪を問われ、刑事の法廷に立たされて、刑事責任を追及されることが今も信じられない。刑事責任を追及されるに値する記事だったとは到底思えないのです。

 それはなぜか。大統領という存在は公人─公人のなかでも大統領は最も公益性の高い、いわば「公人中の公人」と言っていい─でしょう。第二に私がコラムで取りあげたセウォル号の沈没事故は、三百人以上の死者が出て世界中の注目を集めた重大なものでした。しかも犠牲者に若い高校生が多数含まれていて、現場に足を何度も運んだ私も胸を締め付けられる思いの連続でした。

 その事故の渦中に大統領が何をしていたのか。コラムで取り扱った大統領の動静というテーマは当然公益性を伴った問題だと思っています。

 それを韓国検察庁は「コラムは誤報だった」あるいは「故意に間違いを伝えた」、即ち「私が嘘を書いた」などというストーリーに基づき捜査をしています。コラムを書くにあたって私に大統領への悪意が明確に存在していたのだ─というのが検察の主張の柱になっているからですが、それもおかしな話です。

 まず私がコラムで書いた当時、大統領の動静をめぐるさまざまな憶測や情報が現実に存在していました。「これだけの事故があったのに大統領は一体何していたのか」というものです。そしてそれは政権を論じるテーマにもなっていた、それだけ政権の有り様を示す事例だと言っていいと思いますが、そういう状況、現象が事実として存在していたのです。

 私は朝鮮日報でそのことが明るみに出る前から、そうした情報を自分で掴んで取材を重ねていました。コラムにある証券街の関係者はじめ、国会をはじめとする国政の関係筋に会いながら「なぜこういう情報が飛び交うのか」「情報の真偽はどうなのか」といった疑問をあれこれ調べてきたわけです。

 その後、朝鮮日報で記事を目の当たりにしました。一見して腰が引けたというか、暗喩的に書かれた記事だという印象を持ちました。書いた記者は記事の記述がぼやけている理由について後で「大統領に対する配慮があったのだ」などと説明しています。

 彼の声明では「極右紙である産経新聞と関連づけられ、私の立場はより悪いものになりました…私のコラムでは産経新聞の記事に出ていた『男女関係』という単語は用いられておらず、特定もしていません。低質と扇情性は職業人としての私のスタイルではない。私のコラムと一部の素材が似ているとしても主旨が同じだといえるのか…これについては検察の判断に委ねます」などとも言っています。

 後で詳しく述べますが、彼は検察が捜査に着手したことを決して評価しているわけではありません。しかし、朝鮮日報は不問に付し、産経新聞だけを問題視する検察の立論に沿ったコメントを出し、・自分の記事は別だ・といっているのです。

 しかし、出回っていた情報を明るみに出したという意味では私のコラムと彼のコラムは何ら変わりはありません。彼のコラムを目の当たりにした瞬間、執筆した記者が何を意図したのか、私には手に取るようにわかりました。韓国でこうした情報に接していた人ならば記事を見ただけで記事のいわんとするところが明白にわかったと思います。また全くそうした情報を知らない人が記事を読んだのであれば、なおさら私が書いたコラムと全く同じ読後感や印象を持つだろうと思います。

 検察はことさらに私のコラムだけを取りあげて「嘘を書いている、悪意がある」などというわけです。しかし、私は物事を断定して書いているわけではありません。噂が存在するという事実を朝鮮日報のコラムを引用しながら書いた、そうした状況が朴政権のレームダック化が進んでいる証左なのではないかと結論づけているわけです。

 また取材のやり方が悪い、不十分だ、低俗だなどといって記事の質を批判する向きもあります。しかし記事に嘘はありません。質が低い記事だからといって、では刑事罰を科すのが妥当なのか、といえばそれは絶対に違う。検察もその点を混同している。そういう場面に出会うたびに政権に阿り私に厳しい処断を下すことで溜飲を下げたいという捜査機関の側の悪意を私はむしろ感じざるを得ないのです。

大事故、大災害を大統領に問う社会的風土


 韓国では4月にセウォル号の事故が発生しました。私は二度にわたって現場近くに滞在しながら取材を重ね、事故の痛ましい場面、生々しい場面を四六時中目の当たりにしてきました。

 そういうなかで印象的で忘れられない出来事が何度もありました。「これは一体何なのだろう」と考え込んでしまう出来事にもいくつも遭遇しました。

 何しろ事故では沢山の高校生が亡くなっています。私にも高校生の娘がいます。そのような遺族が悲しみを露わにする光景などは胸に突き刺さるような出来事でした。あまりにも杜撰な韓国の安全に対する認識も明るみに出ましたが、本当に驚き、衝撃も覚えました。

 やがて朴大統領が頻りに事故について言及を始めるようになりました。その時の発言も印象に残っています。確か公的な会議での発言で、救出をせずに逃げた乗務員達の行為は殺人に相当する、と口走ってしまったのです。

 この発言に私は正直、驚きました。しかし、それ以上に衝撃を覚えたのは大統領発言を受けた形で検察庁の最高幹部が「殺人容疑視野に捜査」と言い始めたことでした。確かに事件は痛ましい。乗客そっちのけで逃げた乗員の行為は許されるものではありません。

 しかし、多少事件をかじった記者から見ると、あれは業務上過失致死罪だと思う。船舶の法令を丹念に調べれば、ひょっとすると重罪に相当する罪名が出てくるのかもしれませんが、事案が十分に解明できていない発生直後のなかでいきなり殺人だと国家のトップにある大統領が口走る。それを検察─それも最高首脳クラス─が殺人を視野に捜査すると言ってしまう光景に違和感を覚えたのです。

 大統領の一挙手一投足は事故後、直ちに政治問題化しました。韓国では何かにつけて大統領の責任が追及される政治文化があります。

 この点に限って言えば日本でも首相の責任が追及される光景はそう珍しくはありませんから、大きな違いがあるとはいえないかもしれない。

 しかし、決定的に違うなあと思わされることがあります。それは大災害や大事故が起きた場合に、韓国社会では指導者─特に大統領の場合が多いですが─の徳目が欠けているからだと捉え、指導者の資質に結びつけて考えたがる風潮が強いのです。

 今回の沈没事故もそうでしたし、例えば過去に起こったデパート崩落事故や橋梁の崩落事故でもそうでした。大災害が起きると、韓国では大統領が出てきて謝罪する光景が珍しくないのです。

 これはあまり日本では見られない光景だと思う。御嶽山が噴火した。沢山の人が亡くなった。しかし、だからといってそのことで首相が出てきて謝罪することは─対処がまずかった、救難が遅れた、心ない発言があったといった具体的な話があれば別ですが─まず考えられません。民間航空機が墜落してもそうです。航空会社が一義的に対応して責任が問われ謝罪する。首相が事故の発生原因を直接問われて謝罪する光景などまずあり得ない。謝罪を求める世論だって起こらないでしょう。

 ところが韓国では必ずしもそうではないのです。先程の大統領の「殺人」発言にしても、これは事故原因を大統領に直接問いかける社会的な風土が前提としてあるからです。特派員としては大変興味深い、彼我の違いを感じる光景です。実際、朴大統領も事故を受けて頻りに言及を繰り返していました。これも政権側がそうした社会的風土を受け容れて“試練”をつつがなく凌いでいかねばならないという覚悟があったからだと思うのです。

 いずれにしても今回のセウォル号事件を単なる事件事故の側面だけでなく、社会現象や政治現象も含めて伝えなければならない、そのためのさまざまな要素が満ちている。そう思いました。ネットでの原稿にセウォル号事件における大統領の動静について書こうと思ったのです。

メディアを掌中に置きたがる朴政権


 それで「【追跡~ソウル発】朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」というコラムを執筆しました。朝鮮日報のコラムを参考にしたのはすでに申し上げたとおりですが、青瓦台(大統領府)の反応は早かった。ネットに原稿が掲載され8月5日に電話で抗議があり「民事、刑事両面で責任を追及する」と告げられたのです。

 そうはいってもこうした抗議はそう珍しいことではありませんでした。私達の支局では7月に新しい駐日大使が内定したという記事を書きました。この時も、記事の解禁指定日時を破った─として1年間に渡る取材応答禁止─いわゆる日本の霞が関にもある出入り禁止に似たものですが─を告げられました。私達に限らず日本の他のメディアでも似たようなことはあるようです。

 ただ、これも腑に落ちない話です。解禁指定というのは、あらかじめ情報を事前に告げる代わりに、記事にするのは指定された解禁日に足並みを揃えますよ─という約束事です。しかし、この約束は青瓦台に詰めている韓国の国内メディアの記者を対象にした縛りであって、私達はそうした約束をした覚えなどないのです。今述べた駐日大使の話にしても本来青瓦台とは関係のないソースからの話を裏取りして記事にしたものです。そこへ青瓦台から抗議があって、出入り禁止にされる。われわれとしては理不尽極まりない話なのです。

 これは私どもの記事ではありませんが、先日、ローマ法王が韓国を訪問しました。訪韓時の法王と朴大統領の会談日程について、ローマ法王側の発表に基づき記事にした。すると大統領側から「解禁指定があるので勝手に書いてもらっては困る」とクレームがついた。これだって本来ならば日本のメディアに文句をいう前にまず、ローマ法王庁としっかり調整して下さいよという話です。

 中国の最高指導者、習近平総書記が訪韓したさいもそうでした。日本のとあるメディアが訪韓をスクープすると、この解禁指定を口実にクレームをつけた。しかし、韓国国内のメディア記者の枠組みに日本の特派員はそもそも入っていない。にもかかわらず抗議やクレームなど不利益は同様に課されているというわけです。

 今回私は刑事裁判を受けることになりましたが、これまでも大統領府は少なくとも5件の民事訴訟をセウォル号沈没事故後、提起しています。これは韓国の国内メディアを相手取ったケースですが、メディアに対する朴政権の考え方が読み取れると思います。簡単にいえば自分の掌中に置きたいという欲求が強いということなのです。

そもそも事件としてなり立たない


 韓国のメディアはどう受け止めているのか。先程、朝鮮日報のコラムを書いた記者の話を紹介しました。

 彼は二つのことを言っている。ひとつは検察が今回、記事について名誉毀損容疑で捜査に乗り出したことについてはネガティブに受け止めています。しかし、一方で自分のコラムと私のコラムとは全く別物だとも言っているのです。それが「極右紙である産経新聞と関連づけられ、私の立場はより悪いものになりました…」という声明にあるのです。

 朝鮮日報というのは朴政権が自らの応援団のように考えてきた新聞です。実は当該コラムが出たとき、政権側は大変な衝撃を受けた。政権側は相当、頭に来て猛烈な不快感を朝鮮日報に表明し「なぜこんなコラムを書くんだ」といったそうです。

 ただ、国内メディアと事を構えるのは得策ではない。そのことは政権だって分かっている。だから朝鮮日報は不問にしたのでしょう。

 しかし、産経は違う。大統領も怒っているし、許せない…となって産経には「悪意がある」と、こうなるわけです。検察も捜査することになってしまった。

 ところが、朝鮮日報はOKだが、産経は×という理屈はなかなか立たない、それはそうです。検察の主張は土台無理があって捜査でも彼らが苦労した点でした。

 私は朝鮮日報の記者が検察庁に書面で出した回答書を読んだことがあります。そこで書かれてある内容は彼が出した声明とほとんど同じ内容でした。つまり、検察の「朝鮮日報と産経新聞は別」だという論理を補強する内容だったわけです。

 朝鮮日報は訴追を免れ、検察はこの書面をもって両者を区分けできる証拠を得る。両者には利害の一致があったのだと言わざるを得ません。

 もっとも韓国の法曹界の人達に聞いても口を揃えて「無理筋だ」「事件にならない」といいます。流石に検察の現役の方々からそういう話は出ませんが、知り合いの裁判官OBや検察OBの弁護士らに聞くとほとんどの人が今回の起訴が本来はあり得ないし、「そもそも事件としてなり立たない」という見方が一般的です。

安倍首相の人形に汚物をつけて糾弾する国民性の?


 今回の出来事について表現の自由の危機だ、言論の自由が脅かされている─といった具合に戦うメディアが韓国紙にどれだけあるのか。これは相当濃淡があると思います。

 左派系と言われている京郷新聞は正面から取りあげてます。ハンギョレもそうです。ハンギョレの場合は言論の自由、表現の自由の問題を取りあげることに加えて、セウォル号事故発生から早い時点で朴大統領が船内に乗客が閉じ込められていることを認識していた─などというニュースまで報じています。

 これに対して保守系紙はどうか、といえば正面から表現の自由だ、言論の自由はどうなったか、というトーンはそう出ていません。やりにくいのだと思います。やれば、朴政権の批判が避けられませんから。私が起訴されたとか、公判期日が決まった、といったニュースをストレートニュースで淡々と報じるにとどめている印象がある。まして世界中が韓国当局の今回の判断をどのように見ているか、などといった記事を見ることはほとんど無いに等しい。

 10月8日夕に私は在宅起訴されましたが、刑事処分決定に際して検察は事前に弁護士に通告するとしていました。実際は午後7時に韓国メディアに一斉に発表する形式となりました。検察は私に対して一貫して奇襲的な態度を取ってきました。在宅起訴はその総仕上げに近いものでした。

 私への出国禁止は2カ月以上に及んでいます。この間、取り調べは3度ありましたが、検察には私への揺さぶりと心理的な圧迫により産経新聞を屈服させようとする意図と態度が明白でした。

 例えば、検察は刑事処分について「(起訴の方針などの)予断はない」と、たびたび宣言していました。そんなことはありません。取り調べは明確に「起訴」を前提としていました。はじめから「有罪判決」を目的としたものでした。

 記事にある「混迷」「不穏」「レームダック化」などの言葉をひとつひとつ取り上げて、その使い方から誹謗(ひぼう)の意図を導きだそうと検察官は必死でした。

 たとえば、「被疑者の記事にある『レームダック』は政権交代期に、政治に一貫性がないことを意味する言葉だが、韓国の政治状況に対しふさわしいと思うか」などと尋ねてきます。

 私は「日本では『レームダック』の言葉は広義で影響力が徐々に低下している状況も示す」と応じると、検事は「政権初期の韓国の政治状況にそのような表現は無理ではないか」。そして「混迷、不穏、レームダック化の単語から、政権が揺れているのだと認識される。このような(単語を使った)記事を報道したのは、韓国政府や朴槿恵大統領を誹謗するためではないか」とたたみかけてくる─といった具合です。

 10月2日の3回目の取り調べでは「(セウォル号事故当日の)大統領の所在問題が(韓国内で)タブー視されているのに、それを書いたことをどう考えるか」と聞いてきました。

 流石にこの言葉には強い違和感を覚えました。日本では毎日、詳細に公開されている国家指導者の動静が・タブー・だというわけです。禁忌に触れた者は絶対に許さない。政権の意思を如実に示したような発言でした。
 何より、この間、心理的な圧迫、揺さぶりが継続的にありました。

 その最たるものが出国禁止措置です。日本に帰ることが許されなければ、私の訴訟対応は韓国内に限られてしまいます。私にも家族はいます。大学受験を控えた娘が日本で暮らしています。自由な私生活は奪われてしまった。自由な空間で、思う存分考えたり、闊達に話しながら行く末を考えることなどできないし、とにかくそれが一体いつまで続くのかが分からない。そうした今の私の置かれた状況全体が心理的な圧迫であり揺さぶりに他ならない。

 起訴後、安倍首相と私の顔写真を貼り付けたお面や人形に火をつけようとしたり、手足を縛って「土下座しろ」とか足蹴にしたパフォーマンスなども街頭でやっていました。火をつけようとしたさいは、流石に警察に排除されていましたが、安倍首相の頭の上に汚物をつけて喜んでいました。

 韓国に対しては日本だけでなく米国、フランスはじめ自由主義国で次々と批判が広がっています。国連に問題提起する動きもあるようです。

 そうした国際的な批判を韓国メディアが十分に伝えていないこともあって、国民はまずよく知らない。耳を貸そうとしないという国民性もありますが、国際社会では通用しないということは今ひとつわかっていない。

 最近はインターネットがあって、流石にそこでは、韓国当局のしたことが国際社会では如何に許されないことなのかが誰にもわかるようになっている。インターネットで情報を得る国民は自分達の旗色が相当悪いと感じています。「国連で問題になったらどうなってしまうのだろう」といった記事が中道の新聞からもチラホラ出始めています。

 日本だけでなく私の境遇を心配して下さった方々や、様々なご配慮をいただいた方々にこの場を借りて感謝申し上げます。初公判もやがて始まるでしょうが、法廷ではこの裁判自体がいかに不当なものであるか。そのことを屈することなくしっかりと主張したい。そう考えています。

 言論の自由という観点でいえば今回の出来事は一里塚だと思っています。例えば韓国では今、ソーシャルネットサービス(SNS)大手の「カカオトーク」が無断で捜査機関に情報を提供していたことが明るみに出て大問題になっています。

 これは9月中旬、検察がインターネット上で虚偽事実を流して第三者の名誉を毀損した場合、逮捕も視野に徹底的に捜査する方針を示した後に、明るみに出た話ですが、「カカオトーク」を嫌った脱会者はすでに約40万人に達しているのです。

 言論をめぐる窮屈な光景は、大統領の個人的な怒りによって検察が動いてしまう私をめぐる出来事だけでは決してないのです。韓国社会の至るところですでに出てきているといっていいのです。

 自由な言論活動が蝕まれている光景について韓国の方々はもっと敏感になられた方がいいと思います。日本人とか韓国人、あるいは産経新聞といった、さまざまな立場を超えてまず守らねばならないものは一体何なのか。そのことをしっかり見据えて下さるよう心の底から願ってやみません。