呉 善花(拓殖大学教授)

先進国にはあり得ない起訴


 韓国ソウル中央地検刑事1部が本年10月8日、朴槿恵大統領とその元秘書室長鄭允会氏の名誉を毀損したとして、産経新聞前ソウル支局長の加藤達也氏を在宅起訴した。8月3日付の産経新聞インターネット版記事「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」が、出所不明の噂に基づく虚偽の記事だという判断からだ。容疑は「情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律」(以下、「情報通信網法」と略記)に定めた名誉毀損、罰則は「七年以下の懲役、一〇年以下の資格停止または五千万ウォン以下の罰金」である。

 まず、この起訴は法的な観点からして、日本をはじめとする先進諸国では決してあり得ない性格のものだということを述べておきたい。

 第一に告訴権者の問題である。日本などでは名誉毀損は告訴がなければ処罰することができない親告罪であり、告訴権者は原則として被害者に限られる。しかし韓国の名誉毀損は親告罪ではあるものの、「被害者の意思」に反しない限り誰でも告訴することができ、今回の告訴は複数の保守系市民団体によってなされている。したがってソウル中央地検は、告訴が朴大統領と鄭允会氏の意思に反していないことを確認したものと思われる。

 第二に、ソウル中央地検がこの名誉毀損は「インターネットを利用した権利侵害」とみなしたことである。問題となった産経新聞のインターネット版記事は、産経新聞が日本語で日本から発信したものだから、韓国国内法の制限を受けるいわれはない。「情報通信網法」は、インターネットの「利用者は、私生活侵害または名誉毀損等他人の権利を侵害する情報を情報通信網で流通させてはならない」と定めているが、問題の記事を流通させたのは加藤氏ではなく国外の産経新聞である。しかし起訴状は、加藤氏は次のようにインターネットを利用して権利侵害を犯したとみなしている。

「産経新聞ソウル支局の事務室でコンピューターを利用し、被害者、朴槿恵大統領と被害者、チョン・ユンフェの噂に関する記事を作成した」「記事をコンピューターファイルに保存した後、日本・東京にある産経新聞本社に送信し、8月3日正午、産経新聞インターネット記事欄に掲載した」(産経新聞10月9日付の日本語訳より抜粋)

 要するに、韓国内で記事を作り、インターネットを利用して日本に送信し、日本からインターネットを利用して発信させるようにしたのだから、「インターネットを利用した権利侵害」にあたるというのである。常軌を逸した拡大解釈というほかない。

原典はお咎めなしという不可解


 次に、何をもって名誉を毀損する「出所不明の噂に基づく虚偽の記事」としたのか、である。問題の産経新聞記事の主な内容は次の三つである。

・セウォル号事故当日、朴大統領が七時間所在不明だったとされる件について、七月七日に行なわれた国会運営委員会での朴映宣・院内代表と金淇春・大統領府秘書室長との問答の一部紹介。

・朴大統領はその間、かつて秘書室長だった鄭允会氏と密会していたのではないかとの疑惑を報じた朝鮮日報の記者コラム「大統領を取り巻く風聞」の引用。

・同記者コラムが「大統領をめぐるウワサは少し前、証券街の情報誌やタブロイド判の週刊誌に登場した」と書いたことを受けた、「証券街の関係筋」によればウワサは「朴大統領と男性の関係に関するもの」で「一種の都市伝説化している」とする観察。


 産経新聞記事は最後に、同記者コラムの「大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきている」との観測部分を引用し、「朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ」と結んでいる。

 朝鮮日報の記者コラムや証券街の情報をもとに書いた記事であるのは明らかだ。加藤氏は「朴氏の所在をめぐる問題は国内で議論され、うわさも広がっていたと指摘し、『それをそのまま書いた』と説明」している(朝日新聞10月11日)。記者コラムを書いた崔普植記者は「悪意的に編集され、悪用された」と述べている(産経新聞8月3日)が、加藤氏の記事は最初から最後まで「そのまま」書く手法で一貫している。

 誰が見ても、問題は朝鮮日報の記者コラムにあり、これを引用した産経新聞記事が名誉毀損に問われる筋合いはない。にもかかわらず、朝鮮日報の記者コラムを書いた当の本人が何ら問題とされないのはなぜなのか。この記者を名誉毀損で告訴する者が、不思議なことに被害者を含めて一人もいないからである。

 産経新聞記事が、政権の近況を伝える公益性十分の記事であるのは明らかだ。報道が公益に関わるものであれば、内容が真実そのものだと証明できなくとも、メディアはそれを報道することができる。これが民主社会のコンセンサスである。疑惑レベルでの報道が許されないとなれば、権力を批判することはほとんど不可能となる。公人中の公人である朴大統領は、いかに不満であろうとこの報道を受忍しなくてはならない義務があるのだ。

外に悪く言ってはいけないという情緒的良識


 告発は8月6日以降相次ぎ、七日に大統領府が「産経新聞に民事、刑事上の責任を問う」と表明。翌日の8日にソウル中央地検が加藤氏に出頭要請をした。これで出国禁止となり、起訴までに61日間もかかったのは韓国では異例のことだ。検察が起訴をきめかねて逡巡していたこと、最終的には朴大統領自身の強い意向を受けての起訴だったことが想像される。

 そうであるのに、朴大統領も鄭允会氏も、2人が会っていたと「虚偽の記事」を書いた朝鮮日報の記者を告訴しようとはしなかった。その一方で、記事を引用したにすぎない加藤氏に対する告訴には、両人ともまったく異義を唱えることがなかった。

 こんなおかしな「被害者」がいたためしがあるだろうか。どう見ても、韓国の新聞ならば虚偽の記事も許されるが、日本の新聞ならば引用でもいけない、という論法である。そこには、とくに韓国について日頃から厳しい批判を展開している産経新聞だから、という意図が見えている。

 私は以前、まだ日本に帰化していなかったときだが、韓国の大使館の関係者から「あなたの韓国批判には感心させられることがいろいろとある。しかし国内でやるのではなく、国の恥をわざわざ日本に向けてさらすのはどういうわけなのか」と叱責されたことがある。つい最近も、今度は日本国籍をもつ私に対してなのだが、某韓国領事館関係者から講演の席で、まったく同じ言い方で激しく非難された。

 身内(民族)の中で身内の悪いところを指摘する分にはいいが、外に向けて身内の悪いところを指摘してはいけない、とくに日本については。これが韓民族ならば誰もが取るべき態度だというのが、韓国に特有な社会的良識なのである。だから朝鮮日報にはお咎めがない。したがって加藤氏については、彼ほどの知韓派知識人ならば我が国(身内)に味方すべきなのに、我が国の恥をこともあろうに日本に向けて発信した、そんな敵対的な行為は絶対に許せないという気持ちになるのである。こうした「韓国人の情緒的な良識」が告訴・起訴の意思に強く働いているのは確かである。

韓国紙と韓国社会の反応の怪


 告訴の時点から、外部の声は言論の自由への侵害を憂慮するものが大勢だったが、起訴となった段階での朝鮮日報をはじめとする韓国のメジャー紙は、その点には一切触れることがなかった。淡々と起訴の事実だけを報じた。言論の自由を求める声を遮断する、こんな言論機関がいったいどこにあるだろうか。それでも憂慮の念を示した新聞がまったくなかったわけではない。

 京郷新聞は「検察側は加藤前支局長のコラムに関し、『虚偽』『悪意的』だと強調するが、立証するのは容易ではないとみられる」と指摘し、「(加藤前支局長のコラムは)公益的目的のための疑惑提起だったことから、加藤前支局長が明白に虚偽であると認識していたと立証するのは困難」という学者のコメントを掲載している(産経ニュース一〇月九日より)。

 またハンギョレは「相当数の言論学者は、韓国検察の『産経新聞』記者に対する起訴が『言論の自由を萎縮させかねない』として憂慮を示した。また、裁判で無罪判決が出る可能性が高いと見た」と報じている(ハンギョレ10月10日)

 両紙は告訴の時点から「韓国の言論の自由が萎縮する」との懸念を表明していたが、いずれも反保守系の弱小紙で国内の影響力はきわめて小さい。

 外から見れば、韓国はなぜ自ら言論の自由がないことを世界に知らしめ、国家の恥を恥とも思わず堂々と開き直ってみせたのかがわからない。中国と同じに、国家の威信・尊厳に関わる問題であり、言論の自由への侵害には当たらないとしているからだ。これに対して、日本政府をはじめ各方面から言論の自由を憂慮する声明や抗議の声が噴出した。

 日本では日本民間放送連盟、日本記者クラブ、日本新聞協会、新聞労連などマスコミ関係諸団体が一斉に抗議声明を発している。ソウル駐在外国メディアの記者らでつくるソウル外信記者クラブは、韓国検事総長に対して「深刻な憂慮」を表明し、同クラブ代表者との早期の面会を求める公開書簡を公表した(ソウル共同通信)。

 米国務省のサキ報道官は10月8日の記者会見で、「われわれは自信を持って言論・表現の自由を支持する」と強調し、韓国の名誉毀損に関する法律は国務省が毎年公表している人権報告書(2013年版)でも指摘したように「懸念している」と述べ、「報道活動に萎縮効果を及ぼし得る」と批判した(ワシントン時事通信)。 

 言論の自由への侵害を憂慮する声は、告訴を受けた検察捜査開始の時点で各方面から出されていた。報道されたものからいくつか挙げておこう。

・八月二七日、国連のステファン・ドゥジャリク事務総長報道官は、定例記者会見で「特定の件についてコメントはしない」とした上で、「国連は常に、普遍的な人権を擁護するため、『報道の自由』や『表現の自由』を尊重する側に立っている」と強調。

・八月二九日、日本新聞協会編集委員会は、地検の捜査について「取材・報道活動と表現の自由が脅かされることを懸念する」との談話を発表。

・八月三一日、ネットメディア「インナーシティ・プレス」主宰のアメリカ人マシュー・リー記者は、「こうした報道が出国禁止や刑事訴追の引き金になるべきではない」「国籍やその他の事情に基づいた、記者に対する異なった取り扱いが許されるべきではない」「韓国の報道の自由に関し、韓国出身の潘基文国連事務総長の沈黙が『際立っている』」と厳しく批判。

・九月一〇日、NGO国境なき記者団は「報道機関が政治家の行動をただすのは当然だ」と批判し、ソウル支局長が出国禁止措置を受けていることにも触れ、「当局に、告発を取り下げ、行動の制約を撤廃するよう要求する」と主張。


振り上げた拳がおろせぬ反日貫徹のジレンマ


 こうした情勢にあったから、起訴すれば韓国が国際的な批判にさらされるのは目に見えていた。にもかかわらず起訴はなされた。国際社会における国家の威信失墜を承知の上で起訴したと見るほかない。

 朴政権に何かの計画や戦略があったとは思えない。最初は、産経新聞に意地悪をすることで日本のメディアをうんざりさせ、韓国を怒らせればこんなリスクを負うことになると、事実をもって思い知らせようとしたものだろう。これだけでもジャーナリズムへのとんでもない圧力なのだが、起訴を当然とする世論が国内に高まり、振り上げた拳が下ろせなくなってしまったのだ。なぜ下ろせないのか。出発時点から強固な反日姿勢を取り続けてきた「反日貫徹が最大の目玉」の大統領だからである。

 ここで拳を下ろせば、「朴大統領は反日から退却した」と見なされ、政権支持率の急落が避けられない。朴政権は何よりもこれを恐れたのである。韓国の反日には右も左もない。親日は売国以外のものではない。国民から反日の手を緩めたと思われたら最後、保革逆転が起こりかねない情勢にある。朴政権はそうした危うい勢力バランスの上に乗っている。大統領が国民の支持を失えば、側近がたちまち離反し、こぞって次期権力者の担ぎ出しへと乗り出していく。そうして孤立無援の状態に置かれるのは、韓国大統領の常である。

噂の深層はどうなのか


 朴槿恵氏が国会議員の補選に出馬し政界入りしたのは1998年である。鄭允会氏は以後ずっと朴槿恵氏の秘書室長を務め補佐官の役割を果たしてきたが、2004年に朴槿恵氏がハンナラ党代表最高委員に就任した際に辞している。鄭允会氏は朴槿恵氏より3歳年上で、秘書室長時代はもちろん、以後も朴槿恵氏を政治的にも個人的にも一貫して支え続けてきたことはよく知られている。

 鄭允会氏は青瓦台(大統領府)を動かすほどの権力をもつといわれるが、まさしくその一つの現れともいえる事件を、韓国の有力誌『時事ジャーナル』(2014年3月19日号)が報道している。その内容は日本の週刊誌でも紹介された。

 『時事ジャーナル』によれば、鄭允会氏の指示で、青瓦台が1カ月に渡って朴槿恵大統領と仲違いした弟・朴志晩氏を尾行していたという。朴志晩氏が尾行者を捕らえて詰問したところ、鄭允会氏の指示で行なったと自白したということだ。同誌は鄭允会氏が青瓦台の人事に深く介入しているとも伝えている。続いて6月20日号では、鄭允会氏が自分の娘を乗馬競技の韓国代表にゴリ押ししたと報じている(週刊現代2014年8月30日号記事より)。

 7月18日に、朝鮮日報の崔普植記者が、問題の記者コラムで「朴槿恵氏と鄭允会氏の密会」をほのめかしたところには、こうした背景があったのである。コラムでは「男女の関係」といった取り上げ方をして人目を引いたのだが、問題の本質はそこにあるのではない。鄭允会氏の青瓦台政務への関与にある。「朴大統領が鄭允会氏に操られているのではないか」と危惧する者は決して少なくないのである。

 鄭允会氏の元妻(本年5月突然離婚している)は、朴正煕政権時代に青瓦台で大いに権勢を振るった崔太敏牧師(1994年没)の娘(6回結婚した五番目の妻の子)である。崔太敏牧師は朴槿恵氏より40歳年上で、朴槿恵氏を公私に渡って支え続けた人物である。この二人の間にも低俗な噂が、以前からまことしやかに流されているのだが、ここでも問題は政治権力のあり方に深く関わっている。

No.2不在のまま止まぬ反日の到達点


 朴正煕大統領時代、朴槿恵氏の母親陸英修が亡くなった後、大統領の娘朴槿恵氏は国家のファーストレディとして表舞台に登場した。その1975年5月、朴槿恵氏は崔太敏牧師が総裁を務める宗教団体・救国宣教団の名誉総裁に就任する。

 朴槿恵氏と崔太敏牧師は、救国宣教団を母体に救国奉仕団を組織し、巨大な政治的支持勢力を形成する。70年代末には会員数300万を擁したといわれる全国組織だったが、朴正煕が凶弾に倒れた後の軍事クーデター政権のとき、韓国軍保安司令部によって解体された。二人は他にも、セマウム(新しい心)奉仕団(1976年)、その後身としての槿花奉仕団(1989年)という陸英修の追慕を目的とする、実質的な政治支援団体を設立している。

 1979年の朴正煕の死後、朴槿恵氏は父親を引き継いで陸英修が設立した育英財団の理事長となる。財団顧問が崔太敏牧師である。そして1990年、妹の朴槿令氏と弟の朴志晩氏が連名で当時の盧泰愚大統領に宛て、「姉は崔太敏牧師に騙され操られている、姉を助けて欲しい」との主旨の嘆願書を送った。

 これが明るみに出て、一大スキャンダルにまで発展した結果、二人とも育英財団から手を引き一切の活動を停止したのである。そして朴槿恵氏は崔太敏牧師の死後に政界入りを果たし、今度は崔太敏牧師の娘婿の鄭允会氏と手を組んでいったのである。

 朴大統領の政治家生活は16年になるが、その間信頼を置く側近もナンバー2もいないままにやってきた。朴大統領が心の底から相談できるのは鄭允会氏しかいなかったのだろう。

 だからこそ噂が立ったのだが、韓国は「国家の尊厳=朴大統領個人の尊厳」とし、国家本来の威信を自ら国際的に貶めるに至った。これこそまさに売国ではないか。反日から出発し、反日を止めることができなくなったこと、その行き着いた先が今なのである。

「国民情緒法」という魔物がすむ韓国司法界


 今回の起訴で私が最も危惧するのは、韓国の司法界には国民情緒法という法の概念があることだ。国民情緒に合致するものなら、司法はあらゆる実定法に拘束されない判断を下せるという、民主国家にはあるまじき超法規の考え方である。韓国の新聞はこれを次のように説明している。

「これは手につかめる実体も、文字で記録された文件(ママ)もない。長期にわたって蓄積された慣習法でもない。だが国民情緒に合うという条件さえ満たせば、実定法に拘束されない不文律となっている。憲法上にも君臨する」(中央日報・日本語版2005年8月12日)

 この記事は「国民情緒法に引っかかると、いかなる形態であれ罰を受ける」として、国民情緒法が適用されたいくつかの例の一つに、「半世紀を超えた父親の親日などの問題で、国民情緒に背いた公職者は現職から退く『恥辱刑』を受けた」ケースを挙げている。

 たとえば「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」に基づいて作成された「親日反民族行為者リスト」の公表によって、当人やその子孫の多くが、社会的な地位からの追放という事実上の処罰を受けている。また「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」によって、多数の「親日反民族行為者とその子孫」の財産が国家の手で没収されている。

 これらの特別法は、韓国憲法で禁止する事後立法(実行のとき適法であった行為に対して後にそれを処罰する法律を制定すること)で制定されている。国民情緒法の適用なくしてはあり得ない法律だ。国民情緒法は「憲法上にも君臨する」のである。

 対馬の浮石寺から仏像が盗難された事件で盗品返還拒否を認めた大田地裁の判断、韓国駐在日本大使館前の慰安婦像設置、いずれも実定法に則る限りはできないことだ。

 日本の雑誌(『正論』2005年4月号)に「日本統治を評価する論考」を発表したとして、韓昇助高麗大学名誉教授はいっさいの「現職から退く『恥辱刑』を受けた」。

 評論家の金完燮氏は、120年も前に亡くなった李朝末期の王妃の所業を批判して、その子孫から名誉毀損で訴えられ有罪となっている。国民情緒法の強力な関与なしにはあり得ないことだ。

 私は日本国籍を取得してから、二度に渡って韓国入国拒否の処分を受けている。その理由は明らかではないが、二度目のときに当局から渡された送還指示書を読むと、私は「大韓民国の利益又は公共の安全を害する行動をするおそれがあると認めるだけの相当な理由がある者」(韓国出入国管理法第一一条第三項)として入国拒否されたと理解できる。

 私は政治活動すらしたことのない一介の言論人である。韓国が私の言論をもって私の入国を拒否したことは明らかだ。韓国憲法で保障する「言論の自由」は、当然ながら外国籍の者にも適用される。しかし、ここでも国民情緒法は「憲法上にも君臨する」のである。

 国民情緒法は国際条約上にも君臨する。日韓条約で請求権が失効しているにもかかわらず、戦時徴用で住金・三菱重工への賠償請求訴訟が起こされたのもそのためだ。一連の「従軍慰安婦」への賠償を求める動きもまたしかりである。

万能無敵で正義の味方気どりの国民情緒法


 このように、国民情緒法は対日本問題での適用が顕著である。なぜなのか。「反日心情=国民情緒」、つまり反日心情はあらゆる法を超えた民族の正義だという思想がそこにあるからだ。今回の起訴の根底に反日があり、実定法では無理な起訴であるのは明白だから、韓国司法が国民情緒法を適用する可能性は十分にある。それでは、国民情緒法はどのような流れから適用されるのだろうか。先の新聞記事は次のようにいっている。

「あいまいで抽象的な概念の国民情緒は、一部の市民団体と学者の意によって具体化される傾向を見せる。彼らが特定事案に対して正否を判断し、これを一部のメディアが後押しすれば、国民情緒法は“制定”される」(同前)

 とすればもはや条件は整っているのだ。加藤氏の出国禁止はさらに3カ月延長されて「公判準備期日」が11月13日となり、これが事実上の初公判となる。日本政府は韓国に対して加藤氏の出国禁止解除を強く要請し、世界に広く裁判の不法性を訴え、韓国に強力な国際的圧力をかけていかなくてはならない。韓国がそれにどれだけ耐えられるか、これに国民情緒がどう反応していくか、そこが勝負所になると思う。

 呉善花(オ・ソンファ)
1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学大学院地域研究科修士課程修了。外語大大学院時代に発表した『スカートの風』がベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第五回山本七平賞受賞。著書に『虚言と虚飾の国・韓国』など多数。