勝谷誠彦(コラムニスト)
3651040012http//katsuyamasahiko.jp/
かつや まさひこ 1960年兵庫県生まれ。「週刊文春」などの記者をへて独立。有料メール「勝谷誠彦の××な日々。」毎日配信! サンテレビ「カツヤマサヒコSHOW」(土曜日午後11時30分)放映中!最新刊は、タオ和俊氏との対談本「怒れるおっさん会議inひみつ基地」(西日本出版社)。

朝日、反転攻勢に出る


 朝日新聞は10月7日、〈慰安婦報道、元記者の家族も攻撃 ネットに子の写真や実名〉と題する記事を掲載、植村氏が特別講師を務めていた北海道の北星学園大学にも脅迫が及んでいることを受け、〈学者や弁護士、ジャーナリストらが6日、同大を支援する「負けるな北星!の会」を結成〉したことを報じた。

 同日の天声人語も、この会の結成について触れている。

 〈(北星学園)大学を応援する会が、きのう発足した。「負けるな北星!の会」という。作家の池澤夏樹さんや森村誠一さん、政治学者の山口二郎さん、思想家の内田樹さんらが呼びかけた。元自民党幹事長の野中広務さんらも賛同人に名を連ねる〉

  これを読んで、私は椅子から転げ落ちそうになった。これは朝日お得意の「市民が動き出した」の所作ではないか。

  朝日は慰安婦検証記事以降、メディアが続けてきた「朝日バッシング」に対し、言論弾圧の被害者を装うことで「全面反転攻勢」を仕掛けようとしているのである。

 この「言論弾圧」の発端はご存知のとおりだ。簡単に振り返っておこう。

  今年3月、植村隆元朝日新聞記者が神戸松蔭女子学院大学教授に就任予定であったが、直前になって大学側から雇用契約を解消された。

  非常勤講師として働いていた北海道の北星学園大学で、8月の朝日新聞「従軍慰安婦検証記事」のあと、「植村を辞めさせなければ『天誅』として学生に危害を加える」との脅迫文が届いた。

 また、元朝日新聞取締役の清田治史氏も退職後、帝塚山学院大学教授として職を得ていたが、これも今年9月13日午前、同大学に「(教授を)辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」という脅迫文が届き、清田氏はその日のうちに大学を退職した。

天下り先の確保のために社説まで使った!?(10月2日付)
 
 清田氏は82年、吉田清治なる稀代の詐話師が行った「済州島で一週間に二百人の若い朝鮮人女性を狩りだした」という虚偽の講演内容を記事にした責任者だ。

  誤解のないよう強調しておくが、「脅迫」は最低の行為である。だが、日頃「ジャーナリスト宣言」なるものを高らかに謳い、「いかなる脅迫にも屈してはならない」とあれほど言ってきた朝日新聞出身者が、脅迫文が届くやいなや辞職するとは情けない限りである。

  しかも伝わってくる話では、大学側は「辞職は個人的」理由と言っているらしい。どうもおかしい。植村氏もなぜ、大学への脅迫に対して堂々と抵抗して見せなかったのか。大学側も、メディア出身の人間を雇う以上、学問の自由と言論の自由を掲げて戦うべきだった。 

天下り先確保が狙い?


 そもそもメディアは、そしてジャーナリストは、時として批判を受けるものだ。私にだって、某宗教団体などから、どうやったのか実家の電話番号まで調べ上げて嫌がらせの電話がかかってくるほどだ。ジャーナリズムの世界では珍しいことではない。大学側がそのことを知らなかったとしたら、あまりにウブというものだ。

  その程度で負けていたら、言論人なんてやっていられない。

  メディアでもジャーナリズムでもない理研にさえ、例のSTAP細胞問題で、朝日とは比べものにならない数の批判が押し寄せているのだ。だが、そのことを理由に職員が理研をやめたという話は聞かない。

  しかも朝日新聞は、この10月7日の一連の記事に先立つ10月2日、会社を離れた人間への脅迫に対して「大学への脅迫 暴力は、許さない」と題する社説で反論している。

 普通なら「弊社を辞めて民間の大学へ行った元記者が攻撃を受けているのは許し難いことではあるが、ペンを持って闘った人間にはこういうことは起こりうる」としたうえで、言論弾圧に立ち向かえばいい。なぜ、やらないのか。

  社説はこうも述べている。

 〈自由にものを言う。学びたいことを学ぶ。それらを暴力によって押しつぶそうとする行為を、許すわけにはいかない〉 〈学生を「人質」に、気に入らない相手や、自分と異なる考えを持つ者を力ずくで排除しようとする、そんな卑劣な行いを座視するわけにはいかない〉 

イヤらしい「説教エロ」


 10月7日の天声人語もこう書く。

  〈過去の報道の誤りに対する批判に本紙は真摯に耳を傾ける。しかし、報道と関係のない大学を暴力で屈服させようとする行為は許されない。このさい思想信条や立場を超え、学問や表現の自由、大学の自治を守ろうという識者らの呼びかけは力強い〉

  よく読むと、いずれも「言論弾圧一般に対する批判」以上に、「大学への圧力」を際立たせて批判しているのである。

  常々指摘していることだが、朝日は近年、「今、大学生の就職率が低い」と大騒ぎしている。それは日本に程度の低い“アホ大学”が増えたからだ。アホ大学を出たところで、就職などできないのは当然だ。しかし、朝日はそれを絶対に書かない。

  なぜなら、ちょうど今頃の季節になると、新聞紙面には聞いたこともない名前の大学の四色刷りの全面広告が入る。つまり広告料は入るわ、植村・清田両氏の例を挙げるまでもなくOBは大学に天下りはできるわで、朝日新聞は絶対に「大学批判」ができないのだ。

 社説や天声人語の「大学への圧力」批判も、「朝日の記者を受け入れると同じ目に遭うぞ」と言われないように、この先の天下り先を確保しようとしているのではないか……そう勘繰られても仕方があるまい。

 10月2日の社説は、こう締めくくられている。

 〈朝日新聞への批判から逃げるつもりはない。しかし、暴力は許さないという思いは共にしてほしい。この社会の、ひとりひとりの自由を守るために〉

 そしてそれを補強するように、7日の記事には植村元記者が「家族や職場への攻撃は卑怯だ」として、こんなコメントを寄せている。

  〈一九八七年五月、朝日新聞阪神支局に男が押し入り、散弾銃で当時29歳の記者が殺された。私は彼の同期だ。問答無用で記者が殺されたあの事件と今回のケースは異なるが、身近に思えてならない。家族や職場まで攻撃するのは卑劣だ。私が書いた元慰安婦に関する記事に批判があるが、記事を捏造した事実は断じてない〉

  暴力は許さない。これには誰も反論できない。だが、これは私がかねて「説教エロ」と呼んでいる表現だ。

 つまり、週刊誌やワイドショーなどで「最近の女子高生はけしからん、援助交際などが横行し、乱れている」と批判しながら、援助交際の詳細な描写を描く。すると、それを見ている親父たちが「いまどきの女子高生はそんなに乱れているのか! けしからん!」と興奮しつつ読み進めるのを分かっていながら、「どうすれば風紀紊乱を防げるのだろうか」など社会派の記事であるが如く装う手法だ。

 立派なことを書いているようでその実、読者の、あるいは書き手の劣情をかきたてる。今回の記事でいえば、「言論弾圧はいけない!」「負けるな北星!」と興奮するであろう読者の反応を見越した記事である。まことイヤらしい。

 誤解してほしくないのだが、「朝日よ、清廉潔白であれ」などと言っているわけではない。メディアとは基本的にイヤらしいものである。何しろ商売だ。読者が中吊りを見て興奮してキヨスクに走る、そんなスクープをモノにするのが信条だ。そこには政治家のスキャンダルもあるが、大物芸能人カップルの離婚もある。「あの美人女優が脱いだ!」といった類の記事もある。買ってもらえなければ成り立たない。

 朝日新聞がそれを自覚して、「自分たちは説教エロをやっているのだ」と分かって書いているのなら問題はない。だがそうでないことは、社長謝罪後の紙面から滲み出ている。 

読者を便衣兵に使う姑息


  「朝日新聞の9・11」こと、木村社長の謝罪会見には心底驚いた。「あの朝日がついに謝ったか!」と。

  この謝罪会見を受け、わが畏友・百田尚樹氏は『週刊新潮』に「木村伊量はゴルバチョフではないか」と書いた。慧眼である。私も百田さんの説に、その段階では大いに賛同した。木村社長がここで責任を被り、すべての膿を出し切るのだと思ったからだ。

 ところが、木村伊量社長は社内をガバナンスしきれなかった。本誌連載「築地をどり」風に言えば、舞台上で木村宗家はたしかに頭を下げていたが、ふと見回すと他の大名取の皆様方が「本日も反省の色なし」で、舞台上で相変わらずの踊りを披露していたのである。

  つまり朝日新聞は社長が謝ったにもかかわらず、まるでパルチザンのような人々が社内から続々と現れ、勝手に紛争をやりだしたのだ。トップが謝罪したのに、部下たちはその直後から「反転攻勢」を仕掛け始めていた。

  その兆候は朝日の「声」欄、そしてその横にある朝日川柳にまず表れた。ここを戦場にして、朝日の社員・記者たちが軍服を脱ぎ捨て、非戦闘員のふりをして小銃を撃ちまくっている。まるで便衣兵だ。これには本当に驚いた。 

朝日反撃の狼煙


 読者を洗脳(啓蒙?)しているつもりが、社員まで洗脳されていたのである。社長が「わが社には間違いがあった」「ここは襟を正して悔い改めていこう」と言っているのに、社員は暴走をやめないのだ。

  謝罪した社長や、池上彰氏の原稿を不掲載にした幹部に不満を持つ朝日記者が朝日を飛び出し、産経新聞の記者として「さらば朝日新聞!」というような記事を書くくらいの度胸があればいい。

  だが、朝日記者は会社から給料を貰っておきながら、あるいは会社でスマホをいじくってネットに書き込み、あるいは朝日の紙面で読者という便衣兵を使って、パルチザンを展開している。

  川柳欄を使っての「工作」については連載「築地をどり」に詳述したが、「声」欄は一見、朝日の今回の一連の報道を批判しつつも必ず一点、「やっぱり朝日が好き」「応援してます」というオチが加えられている。この採用傾向は、つまり、社長が謝ったところで社員たちは根本のところでは悪いと思っていないのだ。

 最たるものは9月18日の「声」特集だ。〈「声」に寄せられた投稿は千通を超えています。多くは厳しい批判です〉と言いながら、5歳の時にお父さんを亡くした高校生のお嬢さんによるこんな投稿を掲載した。

  〈小学生のころ、授業で使うために新聞を持って行くと、先生から「朝日新聞なの? すごいね」と褒められた〉 〈毎朝、「お父さん、新聞」と言って仏壇まで持っていくことが、いまも日課だ〉

  〈その朝日新聞が誤報で非難されている姿を見ると、悲しく、悔しくなる。(中略)「すごいね」と褒められたあの日のようになるまで、父と一緒に朝日新聞を応援し続けたい〉

  お涙頂戴、朝日愛に溢れている。

  投稿者に罪はない。純粋な方々なのだ。しかし、それを恥ずかしげもなく選んで載せる編集担当者の神経は何だ。まさに「説教エロ」としか言いようがない。

 そして、冒頭の「言論弾圧を許さない」の記事に繋がる。社内パルチザンを展開し、読者という便衣兵まで使って戦線を拡大していた勢力が、ついに「言論の自由」を掲げ、まるで被害者のような顔をしながら社を挙げて全面的に反転攻勢に出たのである。

  10月2日の社説はその狼煙である。

  〈「反日朝日は五十年前にかえれ」。1987年5月3日、朝日新聞阪神支局に男が押し入り散弾銃を発砲、記者一人が殺害された。犯行声明に使われた「反日」は、当時はあまり耳慣れない言葉だった。

 あれから27年。ネットや雑誌には「反日」「売国奴」「国賊」などの言葉が平然と躍っている。社会はますます寛容さを失い、異なる価値観に対して攻撃的になってはいないか〉 

朝日は遠くなりにけり


 まさに『週刊文春』や『週刊新潮』、そして『WiLL』を意識した宣戦布告である。

 振り返れば、私と朝日との闘争は1980年代後半、『週刊文春』の新米記者として「天声人語は天皇がお嫌い」という記事を書いたのが最初だった。

 だがこの頃の朝日との闘いは、いわば誌面上で繰り広げられるプロレスだった。メディアには右も左も、上も下も斜め横もあって当然。『文春』も朝日も、お互いに本気で憎み合っているのではなく、それぞれを正々堂々批判し合っていこう、判断するのはあくまで読者だ、という姿勢だった。

  あれから30年あまり。朝日新聞はあまりに遠くまで行ってしまったものである。