古谷経衡(著述家)

 朴槿恵大統領に対して名誉を既存するコラムを掲載したとして、名誉毀損(情報通信網法)違反で韓国検察に起訴された産経新聞社の加藤達也前ソウル支局長に対する初公判が、27日、ソウル中央地裁で行われた。

 公判中の加藤氏にたいしては、現在、韓国検察が「出国禁止措置」を発して事実上の軟禁状態にある。

 この事件は、日本のみならず「自由と民主主義」を標榜する世界の自由主義国家に強い衝撃を与えた。韓国はGDPが世界でも15位前後、G20にも出席し、アメリカや日本など西側の自由主義国家と軍事的にも政治的にも、強い関係を有する「西側の自由主義国家の一員」と観られてきた。その「西側の自由主義陣営」の一角である韓国が、自由と民主主義に逆行するような姿勢を鮮明にしたのが、今回の産経加藤氏に関する事件である。

 今回の加藤氏への起訴は、「現政権(大統領)の名誉を傷つけた」という韓国検察の言い分が核心である。つまりここからは、「現在の権力者に対する批判的言説は一切許されない」という強い建国検察の意志を感じる。

 加藤氏の弁護側は、今回の公判で「コラムに公益性があり、朴大統領を誹謗する目的はなかった」と主張し、一貫して韓国検察による主張に対向する姿勢を鮮明にしている。

 しかしよく考えてみると、ジャーナリストが「時の権力者を批判する」のは当たり前のことであり、時としてそれが「誹謗」と呼ばれるようなニュアンスであっても、通常の自由主義国にあっては、そういった時の権力者(現政権)を揶揄し、批判的に論じることは「自由と民主主義」が確立された社会にあっては当たり前のことだ。

 だから韓国検察の「朴大統領を誹謗した」という起訴理由そのものがジャーナリズムに対する挑戦であり、「誹謗したわけではない」という弁護側の主張も、たとえそれが法廷戦術の枠内で取られた仕方のない言説であっても、本来、筋論としては間違っている。

 正確には、「ジャーナリストが権力者(朴槿恵)を批判・誹謗して何が悪いのか」というのが、加藤氏を弁護する上で、最も的確な理屈なのである。

 いかなる権力者に対しても、かならず批判的精神でそれを見つめるのがジャーナリズムの役割である。韓国の法廷で弁護側が上記のような主張を行うことは、加藤氏を弁護する側にとってやむを得ないことだと思うが、本来であれば「朴槿恵という権力者を揶揄したり皮肉ったり批判したり、時として罵倒するのがジャーナリズムの本懐ではないか」と堂々と抗弁するのが、「西側の自由主義国家」で活動するジャーナリストの一致した見解のはずである。

 だからこそ、今回の事件が世界の自由主義国家に衝撃を与えたのは、そのコラムに朴槿恵を誹謗する内容があったとか無いとか、そういうことではなく、「権力者に対する批判は一切許さない」という、その韓国のジャーナリズムに対する姿勢そのものなのである。

 独裁国家や権威主義国家では、時の権力者を揶揄することも、批判することも無論タブーである。スターリンやフセインや毛沢東や金正日に対する批判的言説は、それが例え事実であろうとなかろうと、その度合の濃淡がどうであれ、一切黙殺され、その禁を破ったものは投獄され、処刑されている。

 ニキータ・ミハルコフの映画に『太陽に灼かれて』という作品があった。1930年代のソビエトを舞台にした大粛清をテーマにしたものだ。主人公のコトフ大佐は、ロシア革命で功績のあったエリート将官だったが、ソビエト秘密警察「NKVD」にほとんど言いがかりのような理由で、「反スターリン気質」を疑われ、やがて連行される。

 美しいロシアの大自然を舞台に描かれたこの作品は、「権力者を揶揄する、僅かな素振りを見せただけで」粛清の対象となり、実際に消えていった数多の人々の事実を照らしだし、スターリニズムと独裁体制の恐怖と不気味さに迫ったものである。

 翻って、今回の加藤氏の起訴事案は、はからずもこの『太陽に灼かれて』を思い出した。時の権力者たる朴槿恵へのいささかの批判も許されず、軟禁され裁判を受けさせられるような国は、大粛清をやっていたスターリン時代と余り大差ない。

 繰り返すように、事の本質は「加藤氏のコラムの中に朴槿恵を誹謗する内容が入っているか、そうではないのか」ということではない。

 そのコラムの中に、韓国検察が主張する「朴槿恵を誹謗する内容」が存在していたとて、何の問題があるのだろうか。

 加藤氏への起訴と初公判は、韓国が「西側の自由主義国家」として存続できるかどうか、その試金石になっている。結審したあと、無罪判決が下らなければ、それは「西側の自由主義国家」が普遍的に共有するジャーナリズム精神に対する重大な挑戦である。

 「国境なき記者団」が発表する世界各国の「報道の自由ランキング」の最新版では、韓国は世界50位台(中位圏)に位置しているが、日本もこれと大差のない順位と評価されている。しかし、加藤氏の裁判の行方次第では、韓国のランキングは、明らかに世界の下位圏に転落するだろう。

 我々は、「西側の自由主義国家」の一員として、ジャーナリズムの根幹に対する挑戦を断じて許してはならない。