平成26年10月の「経済の好循環実現に向けた政労使会議」で、安倍晋三首相は「経済の好循環を拡大するには、賃金の水準と体系の両方の議論が必要になる」と述べ、年功序列型の賃金を見直して全体の賃上げも実現するよう訴えた。

 昨今では、日本企業においても、年功制賃金から役職や成果にリンクした制度に移行してきた。それでも大卒男性の50~54歳の所定内給与は、20~24歳と比べると、2倍を超えている(平成25年賃金構造基本統計調査(厚労省))。会議では、年功型の賃金の見直しで生じた財源を子育て世代へ手厚く配分して、少子化問題の解決や消費の拡大につながることを企図している。

 たしかに望ましい賃金制度を模索することは十分に意味がある。ただこの課題の解決は一筋縄ではいかない。年功序列型の賃金は、経営者と社員が、長期間にわたって、慣行として築き上げたものだからだ。政府や労働関係の法律で決めているものではないのである。

 そもそも日本では、組織に在籍している長さがモノをいう。組織内の位置づけや発言の重みのメルクマールにもなっている。

 企業内だけではなく、落語家や宝塚歌劇団のような芸事の世界でも一日でも早く入門、入団すれば、それだけで立場の強い先輩になる。退職した教授に名誉教授を授与する条件も、実質的には勤続年数で決められている大学が多いそうだ。

 日本で転職する場合には、たとえ前職を上回る給与を確保できても、必ずしも有利にならない。新たな会社では新人の位置づけになるからだ。

 このような年功序列の背景には、社員の能力やスキルを重視しない能力平等主義の考え方がある。欧米のように仕事の出来栄えで賃金を決める「同一価値労働、同一賃金」の原則には従っていないのである。

 また年功序列型賃金は、正社員偏重の雇用保障、年次別一括管理の人事運用、配置転換や転勤を一手に引き受ける人事部の権限、「どこにでも行く」「どんな仕事もこなす」「長時間でも働く」といった社員の無限定の働き方などとセットであり、一つのパッケージを構成している。この日本型雇用システムをどのように扱うかが、特に伝統的な企業では大きな課題なのである。

 慣行であることも考慮に入れると、年功制の賃金だけを取り出して修正を試みることは無理筋だということに気づくだろう。

 日本型雇用システムには、社員が一丸となり、組織に対する忠誠心を育むなどの良い面も少なくない。だから慣行として残ってきたのである。しかし昨今の状況では時代にそぐわなくなっている。

 それではどうすればいいのだろうか。まずは、会社や人事部はスタンスを変える必要がある。「会社から何か(昇給やポスト)を与えると、社員のモチベーションは向上する」という従来の発想から、「どういう場面や、どういう条件で、社員は自分の能力を最大限に発揮するのか?」と問いかけるスタンスへ転換しなければならない。

 一度、社員個人の側に立ったうえで、会社側の対応を考えていくというプロセスを踏む必要があるのだ。

 入社年次を軸とした一律管理から、社員の能力発揮に向けた個別管理に踏み出す。個々社員とのやり取りや交渉を増やしながら、「個別合意」を積み上げていくのである。会社と社員が一つ一つを話し合い、合意を形成していくことが求められる。慣習を改めるには、当事者である経営者、社員が主体的に参加しなければならない。

 「前例はこうだから」「上層部が首を縦に振らないから」といった門前払いではなく、「なぜこの対応になるのか」「あなたの場合はこうだから」といった説明責任を会社が尽くす必要がある。これは手間がかかり、面倒な作業ではあるが、この手順を省けば本来の改革はありえないだろう。

 昨今は、「限定正社員」の議論など、今までの日本型雇用システムのパッケージをほぐす作業が行われ始めている。また各企業においては、社内FA制度を設定する、新たな職制を増やすなど働き方の多様化が進みつつある。このような制度対応に加えて、会社と社員の個別合意を積み上げ、同時に社員のスキルや適性を十分に見極めない新卒一括採用を改め、自社にフィットした職種別採用への切り替えを検討すべきである。

 これらは、いかにして生産性を上げるかという極めて経営的な課題である。年功序列型の賃金は、日本型雇用システムに組み込まれた一つのピースなのである。年功制賃金だけを変えることが、目的になってはいけないのである。

 そしてこれらの日本型雇用システムのパッケージをほぐす作業は、女性の登用や海外の現地社員の人事運用においても力を発揮するのである。