一色正春(元海上保安官)

 今回は、いわゆる靖国問題の本質に迫ってみたいと思います。

 普通の感覚を持った日本人であれば、この問題に関して中国や韓国が行ういわれのない批判に対して憤りを覚え、彼らに嫌悪感を抱くかと思いますが、世間一般で言われる「靖国問題」というものを創り出して世界に発信したのは、われわれと同じ日本人であるという事実は認めなければなりません。日本と一緒に戦った韓国は言うまでもなく、もともと中華人民共和国は日本の戦争責任なるものを問題視していませんでした。それは、中華人民共和国という国が、大東亜戦争が終わってから4年後の1949年にできた国であり日本と戦争していないからです。

 確かに中国共産党は1921年7月にコミンテルン指導の下、上海で中国共産党第1次全国代表大会を開催して結党し、1927年8月1日に江西省南昌で「打倒蒋介石」の旗印のもと「国民革命軍」(後の中国人民解放軍)として武装蜂起しましたが、それから戦った相手は専ら蒋介石の国民党軍で、日本軍とは終戦までゲリラ戦程度しか戦っていません。

元中華民国総統・元台湾総統の蒋介石
元中華民国総統・元台湾総統の蒋介石
 彼らにとって日本軍は敵というよりもむしろ味方で、実際に何度となく日本軍に党存続の危機を救われています。1931年に行われた蒋介石による第一次中共掃討作戦の折には満州事変、1936年には西安事件、1937年には盧溝橋事件、1941年の南進政策など国民党軍により中共軍が壊滅の危機に瀕したとき、いずれの事件も誰が仕掛けたのかということは諸説ありますが結果的に国民党軍の力が中共軍に向かわないよう日本軍が助けた形になっています。

 それどころか中国共産党は汪兆銘政権や日本と手を結んで、時には情報を売り、日本軍に自身の最大の敵である蒋介石の国民党軍を叩かせていたのです。一方で自分たちは日本軍との大規模な戦闘を避け、農民から兵を募り地道に兵力拡大に努めました。その結果、当初は全く歯が立たなかった国民党軍の戦力を上回るようになり、国共内戦に勝利することができたのです。そんな彼らが日本軍に感謝こそすれ戦争責任うんぬんを言う資格はなく、そのつもりもなかったのは当然のことなのです。中国共産党と日本軍との詳しい関係は、遠藤誉著「毛沢東―日本軍と共謀した男」(新潮新書)をお読みください。

 ですから同国の建国の父である毛沢東は1964年、日本社会党の佐々木更三委員長と会談した際、佐々木委員長が「日本軍国主義が中国を侵略し、多大な損害をもたらし、申し訳ない」と謝罪したのに対し「何も申し訳なく思うことはありません」「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました」と日本軍のおかげで共産党軍が国民党軍に勝利したことを認め「私は皇軍に感謝している」というようなことまで述べています。(東京大学近代中国史研究会訳「毛沢東思想万歳(下)」三一書房)