20年ほど前には「1億総中流」という言葉が巷で踊ったが、2000年代以降、格差社会などが叫ばれるようになった。また、昨今では「ヘイトスピーチ」や「専業主婦志向の若い女性たち」など若者の保守化を思わせるニュースを聞く一方、海外の名門大学に留学する若者たちもいる。この20年間、日本人が世の中をどう見て、そこから何を感じとってきたのか――。それを大きな視野で見たものを「社会の心」と呼び、その変化についてまとめた『現代日本の「社会の心」』(有斐閣)を上梓した計量社会学が専門の吉川徹・大阪大学大学院人間科学研究科教授に話を聞いた。

本多カツヒロ (ライター)

 ――まず本書では現代の日本人の心を探るために、1985年と現在を比較されています。なぜバブル真っ盛りのこの年なのでしょうか?

吉川:今の時代認識として、終戦の1945年から昭和が終わる90年代までが”昭和”として一括りにされる傾向があります。だから”戦後初”や”戦後最大”というように、45年以降、この国ではずっと”戦後”と言い続けています。これはひとつには、メディアがそういった言説を発することが要因になっています。まあ、若い人たちにとっては、昭和についてのリアリティがないので仕方ないのかもしれませんが。

 しかし、リアルタイムでその時代を生きた世代にとっては、細かい時代の区切りがあり、たとえば高度成長期とバブル期では全く違うわけです。ただ、その右肩上がりの時代を今さら延々と語るわけにはいかないですし、一点印象深い時代で区切ろうと。それが1985年で、バブル景気の少し前なのです。この年は昭和の終わりに近いポイントで、なおかつ今を見るための絶対ゼロ点として描きやすいと思ったからです。

 実際に、今の霞が関や永田町の人たちにとっても、85年は絶対ゼロ点になっていて、その時代から良いところを継承し、そこを起点に考え始めているところはあると思います。

――なるほど、85年は日本経済も好調で、ここ20年の不景気と比較しやすい。その頃はちょうど「1億総中流」なんて言われた時代ですが、実はそうではなかったと本書で指摘されています。

 吉川:高度経済成長期を経て、東京大学の先生からメディアまでが「1億総中流」や「国民の9割が中流」と言うなかで、自分の家も隣の家も確かに豊かになっていたのがこの時代です。そうした豊かさの時代変化が意識のデータにも現れているとすれば、一見つじつまが合うように思いますよね。しかしよく見直すと、そういう結果が出るようにデータを読み誤ってしまっていたところがあるのです。

 もし、本当に高度経済成長が原因となってどんどん国民の意識が「中」になっていたのならば、格差社会になれば今度は上下にわかれていくはずなのですが、実際にはその後のデータは何の変化も示しません。

――でも、その時代を生きていた人たちは総中流だと思っていましたし、だからこそ、あの時代は良かったと。これはメディアの力が大きかったのでしょうか?

 吉川:確かに表面的にはそうでしたが、私はメディアの報道に大きく左右されるような表面的な世論の動きを語っているわけではありません。

 これは本書を書いた理由でもあるのですが、現在のように予測の難しい新しい出来事が次々に起きると、時代の大きな動きには目が行きにくくなりがちです。たとえば世の中がハードウェアとソフトウェア、そしてアプリから成り立っていると考えてみます。ハードウェアとして、日本社会の経済や政治などのインフラや組織と呼ばれる部分があります。ここについては「閉塞している」だとか「雇用が流動化している」といった、どう変化しているかという事実に基づいた議論があります。他方で、実際に人の目に触れるアプリに相当するものとしては「ヘイトスピーチ」や「若い女性たちの専業主婦志向」といった社会の現象が見えている。

 しかし、その間にあるソフトウェア、「社会の心のプラットフォーム」と呼んでいますが、ここについては誰も語らないし、仕組みが説明されないまま放っておかれている。だから、何が起こるかわからなくなって、メディアの報道によって右往左往するのです。社会学者はその点について、社会の構造と社会関係や社会意識のあり方の関係をきちんと論じるのが役割です。

 そのように社会を見ていくと、85年は、日本人の社会の心が根拠なくポジティブだった。それを本書では「幻影的平準化状況」と表現しています。つまり、「1億総中流」で、みんな豊かで平等な社会になったという明るい気持ちを社会全体が共有していたということです。それに対し現在は「覚醒的格差状況」と呼ぶべき時代状況にあります。要するに今の日本人はその当時の酔いから醒め、正確に社会のしくみを理解できるようになっているということです。よく、「あの時代は良かった」といわれるのは、酔っていれば何も考えなくて済みますから、気持ちが良かったというだけのことだと。あの時代は本当に平等だったのではなく、実在する格差に、一人ひとりが目配りをしていなかっただけだと言えるでしょう。

――つまり、今の時代、色々なものがよく見えるようになっているということですね。

 吉川:報道を見ると、今は日本社会の状態について「ネガティブな側面」や「システムの齟齬」を指摘して、やたらと「〇〇問題」という取り上げ方をされがちです。しかし、85年当時は、実際にはさまざまな問題がありましたが、そこに目が向けられることがほとんどありませんでした。なぜそのようにのんびりしていたのかといえば、日本人の一人ひとりが自分の頭で判断していなかったからです。

 たとえば、夫が大企業で働き、労働組合に加入している専業主婦のような場合、その労働組合が支持している政党の政策の中身ついて、いちいち判断しているわけではなかったのではないでしょうか。ただ、夫の会社の利益にもなるし、現状で日本がうまくまわっているのだから、政党が掲げる主義を信じて選挙で投票しようと単純に考えがちだったのだと思います。

――それはまさに本書に書かれている権威主義ともつながるのでしょうか?

 吉川:そうですね。権威主義に限らず、「伝統的か近代的か」という基準の上に様々な物事が乗っていました。それは仕事のみならず、家族の形態や子育ての方法にも当てはまります。たとえば、当時、「紺ブレ」や「トラッド」などというコンサバな服と、カジュアルな服が共に流行っていましたが、紺ブレを好む人たちは伝統を重んじ、カジュアル系を好む人たちは革新的な新しいものを好んでいたというようにふり返ることができます。こうした流行でさえ「伝統的か近代的か」という大きなプラットフォームの上に乗っていたので、その枠組みを使って社会現象が解釈できたのです。しかし、最近ではそのように単純な理解はできなくなっています。

――わずか20年ほどでなぜそんなに変わってしまったのでしょうか?

 吉川:それは85年当時と比べ、日本人の中核となる世代が入れ替わったことと、日本人の教育水準が高くなったことが大きいと私は考えています。85年にはまだ国民の半数近くが戦前の教育を受けた人びとで、義務教育卒の人が全体の3割以上いました。しかしその後「大学進学は当たり前」と考える世代が労働力の中心となり、旧世代と入れ替わったことが大きい。最近では、子供の学力が低下しているとよく話題になりますが、実はOECDの調査では、日本人の成人の学力は世界で1位です。現在の日本は国民全体のリテラシーが高まり、知識欲が高い状況になったので、それに伴って雇用や経済の状況や社会のしくみが変わってきたのは当然のことです。

――学歴に関しては、ある人の行動を知るには、その人の学歴が重要だと書かれています。これはどういうことでしょうか?

 吉川:その人の生活の様子や、「社会の心」がどうなのか考えるとき、一昔前なら年齢によって大きな考え方の傾斜がありました。戦前生まれや戦中生まれの祖父母の世代とは受けた教育も、戦争体験も全く違うというような状況です。しかし、高度経済成長後の日本人はそれなりに豊かな水準で、変化の少ない暮らしを継続してきましたから、団塊の世代とその孫を比べてみると、世代ごとの人生経験の違いによる傾斜が以前ほど大きくはありません。

 また、職業に関しても、一昔前ならば、終身雇用でずっと同じ会社で働いている人の愛社精神が強い、というように仕事がアイデンティティとなり、その職業らしい人になりやすかった。でも、現在いわれているように仕事も会社もどんどん変わるとなると、そうはなりにくい。

 また、この国には欧米諸国のような白人とそれ以外のエスニシティや、カソリックとプロテスタントというような強烈な社会集団の境界がありません。さらに言えば、イギリスやフランスほどには階級がハッキリしているわけでもない。

 そうしたときに、何が人の行動を予測する要素となるかを、この30年間で見比べると、世代や仕事などは指標として弱くなって、学歴の影響力だけが伸びているのです。言い換えれば、お金や仕事の問題は、こと日本社会においては、学歴をベースにしてそのうえに乗っているのです。社会のハードウェアの根幹に学歴があって、学歴以外のものが人の行動を予測する力を強くもたないのが現代日本社会の特徴です。

 そしてもうひとつジェンダーへの目配りも大切です。一昔前には男女間にあってはならないような違いがありましたが、その男女の違いは今、学歴の水準をはじめとして多くの点で、時代を追うごとに小さくなっています。だから私の調査したデータでは、現在では若い女性の考え方は男性よりも先進的で、文化的な活動の部分ではむしろ女性のほうが積極的になっています。

――学歴で明確に好みがわかれるものはありますか?

 吉川:プレミアム商品です。お金を持っている人が買うのかなというイメージがありますが、このコトバに反応しているのは、お金があるかどうかや会社で昇進したかどうかではなく、それらの要因の影響力をコントロールしても、大卒層がプレミアム商品を好む傾向が残ります。逆に非大卒層はこの言葉には強く反応しません。つまり、「プレミアム」は消費者の中から大卒層を選び出すはたらきをもつキーワードになっているのです。

 だたしこれは、現代の大卒層の好みや判断力によるもので、かれらが一定の主義に基づいて行動しているためではありません。たとえば、団塊の世代では、主義ということが第一の優先事項でしたので、大卒で右翼的思想を持つ人は少なく、大学生はだれもが学生運動に参加するというのがお決まりのことで、環境保護運動や無農薬食品の購入などもその延長線上にありました。しかしこれは結局、その世代はたとえ大卒層であっても、自分自身の判断を停止して、特定の主義に寄りかかって行動する面をもっていたということです。

 一方、現在の大卒層は、政党の党首が口にするようなこと程度ならば、自分でも考えられると思っているから、既成の主義に従うわけではなく、選挙の度に自分の判断で投票する政党を変えるのです。だから政権が揺れてしまう。それに比べ、現在の非大卒層のほうは、依然として政治のことをわかりやすく整理して誰かに提案してほしかったり、お任せしたいという傾向が強いのです。

――出版後の反響はどうでしょうか?

 吉川:私の年齢プラスマイナス3歳くらいの方々から「激奨」されています。ただ、この本を本当に読んで欲しいのは、それよりもっと若い世代の人たちです。若い人たちには、この本に着想を得て、自分なりの続きを考えて欲しいと思います。それこそこの本をプラットフォームとして、今の現象を読み説き、言説の深まりが出てくれれば嬉しいですね。