屋山太郎(政治評論家)

ダブルの引き上げは世界的にも稀有なこと


 安倍晋三首相の年末解散は政界に衝撃を与えたが、安倍氏がめざすアベノミクスを完徹するには、この時期、この手しかなかった。

 安倍氏は「2015年10月から消費税を10%に引き上げるかどうかは11月17日のGDP速報を見てから決める」と財務省の引き上げ論を抑え込んできた。その数値が2期連続マイナスで、通年で換算すると、1.6%のマイナス成長となった。財務省は4月に消費税を上げたから、5~6月に成長が落ち込むのは当然で、7~9月にはV字型の回復を示すはずと宣伝してきた。しかし、結果は完全に裏目に出た。このうえ消費税の再引き上げをしたら、景気が落ち込み、元のデフレに戻るのは必至だ。

 もともと、首相は4月の8%への引き上げにさえ乗り気ではなかった。だが、財務省は「消費税の引き上げをやらないと、日本は財政再建について熱意がないとみられ、国家の信用を落とすし、国債も暴落する」とまでいった。

 乗り気でない8%への引き上げをやらされた挙げ句に、1年半しか経たないのに10%へ再引き上げするのは無謀だとしかいいようがない。日本ではもちろん、世界にも短期間でダブルの引き上げをしたという経験がないほど稀有なことだ。

 ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン米プリンストン大学教授はかねてアベノミクスを絶賛していたのだが、11月に安倍首相にこういったという。

「アベノミクスは素晴らしい効果を上げていたのに、8%への消費税引き上げで打撃を受けてしまった。さらなる消費増税など断じてやるべきではない」

 安倍氏は総裁選に向けてアベノミクスを作成するときにも、クルーグマン氏の意見を聞いている。目ぼしいエコノミストに総当たりするほど勉強して考案したのがアベノミクスである。財務省のこれまでのやり方からみれば、邪道に映ったのだろう。

 アベノミクスを動かすにはまず第一の矢として金融緩和、第二の矢として財政出動、第三の矢が産業の構造改革、規制撤廃である。

 日銀総裁のポストは日銀法によって守られており、総裁は政治家のいうことなど聞く耳をもたない。安倍氏はひそかに白川方明前総裁に打診したといわれるが、白川氏と財務官僚は一体だ。次官がつねに日銀の審議委員に天下っていた。その財務官僚は5年の不景気に続いて、15年のデフレ、合わせて20年間も国民を不景気のなかに放ったらかし、国の借金が1000兆円にもなろうというのにまったく策がなかった。

 首相になった安倍氏は日銀法の改正を正面から打ち出して、財務省に喧嘩を仕掛けた。白川氏は日銀法改正に直面すると辞任して〝改正騒ぎ〟を避けた。

 その後任に抜擢したのが黒田東彦氏(元・財務省財務官)である。黒田氏は第一の矢である異次元の金融緩和を放つと、極限まで来ていた円高を円安に向けた。財務省、日銀の無策が企業の海外逃避を招いたのだが、振り返ってみると、この間彼らはどんな打開策を考えていたのか。

財務省「税金の使途はおれが決める」


 消費税を8%に上げた際、安倍首相は増収分のうち2兆円は「おれが使う」と宣言した。東日本大震災で災害復興費の調達のため、企業の法人税を臨時に引き上げた。安倍氏はまず、その分を返済して、さらに毎年、法人税を引き下げて20%台まで下げるという企業活性化策を考えていた。円安と法人税下げで、新規企業や海外企業を誘致して経済の活性化を図る戦略だ。

 ところが、これに財務省は猛烈に反対した。もともと財務省は「税金の使途はおれが決める」という独善思想の持ち主だ。福祉施設や研究機関に寄付する金にも税金をかける。戦時並みの価値の一元化的発想だ。

 安倍氏の法人税減税の発想は政治家の選択として十分ありうると思うが、財務官僚には許せない。“勝手”とみえたのだろう。毎日のように次官、主計局、主税局の局長らが翻意を迫りにやって来た。麻生財務相が抑え込んでくれるものと思っていた安倍氏はとんだ思惑違いだった。

 麻生氏を官邸に呼んで、こう口説いたという。

「われわれが組閣前に誓ったことは『税率を上げよう』ということではなくて、『税収を上げよう』ということだったじゃないですか」

 法人税の減税は、安倍氏の戦略では税収を上げる決め手の一つだ。すると幹部がすっ飛んで来て「これは一回こっきりしか可能ではありません」という。安倍氏は断固「次の年も下げる」と言い放った。

 20年間も不景気を続け、GDPまで下げた財務官僚の誰が責任を取ったのか。政治家の安倍氏が新機軸で財政を立て直そうという。失敗すれば、選挙によって責任を取らされるのは安倍氏の側だ。

 財政はもちろん、国のあらゆる政策について財務省が下知(げじ)をしている。

 戦時中は軍部、内務省が内閣を握っていたが、いま内閣を完全に握っているのは財務省である。にもかかわらず、責任を背負っているのは政治家である。これは終わったはずの官僚内閣制の姿ではないか。

 財務官僚の根回しの凄さは、政権中枢を担った人なら誰でも知っている。財務省の意のままにならなかったからといって、税制調査会長が女性問題をバラされて失脚したのは公然の秘密。政治家などは国税庁に政治資金を握られているから、反抗できないといわれている。国税庁と年金徴収を合併させて「歳入庁」をつくるのが最善の形だと思うのだが、何十年も前から叫ばれながら、国会の場に上ったことがない。財務省が独占的に国税を握って、政界を操縦したいからだ。

 説得力も抜群にうまい。菅直人氏は鳩山由紀夫首相のときの財務相で5カ月務めた。そのあと首相になるのだが、菅氏のあとを継いだ野田佳彦氏は「菅首相が増税論を熱心に説くのを聞いて驚いた。人が変わったようだった」という。その野田氏もわずか3カ月で強烈な増税信者になり、首相になって「三党合意を世に問おうじゃないですか」というほどの財務省信者になってしまう。

 この財務省攻勢に対して、安倍氏は2014年6月、木下康司次官を退任させ、新財務次官に香川俊介氏(主計局長)、主計局長に田中一穂氏(主税局長)の人事を決めた。木下、香川、田中の3人はいずれも54年組の同期。これはまったく異例の人事である。同期が2人続けば、3人目の主税局長は国税庁長官か退任というのがこれまでの常識だ。しかし安倍氏は、かつて第一次安倍内閣時代に秘書官を務めた田中氏が安倍氏の「法人税減税論」に理解を示していることから、どうしても田中氏を主計局長、次官と歩ませたい。かといって、上にいる次官、主計局長の2人を飛ばせば田中氏が省内で浮いてしまう。そこで3人を順番に昇級させる手を打った。

 こういう人事ができたのは、人事に先立つ5月「内閣人事局」を創設して各省の審議官以上600人の人事を内閣官房が評価できるシステムを創ったからだ。これによって内閣が省をまたいだ人事や降格もできるようにしたからである。

派閥連立内閣だった自民党


 財務官僚が与党の幹部を籠絡し、与党をほとんど“支配”できたのは、中選挙区制度が70年間も続いたからだ。中選挙区制度というのは一つの選挙区で3~5人が選ばれる。当然、同一政党から複数の立候補者が出るから、党内に最大五つの派閥ができるはずだ。自民党は総裁をこの五つの派閥からたらい回しで選んだ。このため、派閥単位の合従連衡が起こる。一方、親分は数がものをいうから子分たちを年功序列で遇し、時期が来たら閣僚に押し込む。盆暮れの資金も多いほど子分が増える。

 こうなると官僚は重要政策を通そうとすると、親分か代貸しクラスの幹部を説得し、派閥をまとめてもらう。幹部には担当の係を付け、係が業界に頼んで政治献金をさせる。政・官・業の癒着はこういう持ちつ持たれつの関係で生まれた。

 たとえば、旧宮沢派に親中派が多いという特色がある。官房長官を務めた加藤紘一氏、河野談話を出した河野洋平氏がいる。新人議員はこの親中派閥に楯突くような人は入ってこない。派閥によって色が違うから、自民党はつねに派閥連立内閣だった。政策は派閥ごとに出すため、官僚に付け込まれやすい。

 安倍首相は7回当選で、初回は中選挙区制だったが、2回以降は小選挙区制に変わった。初回とそれ以後の金の掛かりようはケタが違ったという。政治資金は政党助成金によって党が配分するから、派閥の力は弱まった。ちなみに、2012年総選挙は自民党当選者294人のうち119人が当選1回。当然、派閥色も薄まる。

 『読売新聞』の調査では町村派92人、額賀派52人、岸田派44人、麻生派37人、二階派29人、石原派15人、大島派13人で合計282人。現有議席が衆参で408人だから派閥に入っていない人が120人程度いることになる。

 総裁の任期は3年で、20人の推薦人がいれば、誰でも立候補できる。最近はほかの派閥に属していても、自分の好みの人物の推薦人になる傾向がある。これを「新人類」と呼ぶとすると、昔ながらの派閥的発想しかできない人がいる。これを「守旧派」と名付ける。派閥をいっさい考慮しないで一本釣りで閣僚を決めるようになったのは、小泉純一郎内閣が最初だ。ところが、守旧派はこういうやり方が納得できない。

 財務省は税制改正に当たって民主党の菅直人氏、野田佳彦氏を口説き落とし、当時、野党だった自民党の谷垣禎一総裁に「増税を主張するのは責任ある野党のあり方」といわしめた。

 今回、8%へ引き上げたことについて、安倍氏は「2020年のオリンピックが決まって、つい脇が甘くなってしまった」と後悔している。まして景気が下向いているときに10%への二段上げなど、とんでもないというのが安倍氏の心境だった。

 8月5日、麻生財務相は官邸に財務省の香川事務次官、田中一穂主計局長、佐藤慎一主税局長を引き連れて、首相に直談判に来た。要は「消費税の二段引き上げをやらないと日本の財政再建について、国際的信用を失う」との言い分である。しかし安倍首相は景気が鈍化している実感を語り、麻生氏らの申し入れを強く拒んだ。

優先順位の第一は景気を持ち上げること


 この間、財務省は自民党の“守旧派”への説得を進めた。谷垣禎一幹事長、二階俊博総務会長、野田毅税制調査会長、伊吹文明衆議院議長ら。閣内では麻生太郎副総理をはじめ主要閣僚も含まれていた。いずれも党の重鎮であって反旗を翻されると党の結束が揺らぐ。

 一方、安倍外交に対する不満も潜在化しそうだった。安倍氏はかねてから、日本の対中外交に不満だった。

 これまでの日本外交は、とくに中国に対して“土下座外交”というべきものだった。中国は一歩譲れば、次は二歩譲ることを強要する。日中会談をしたいと思えば、(1)靖国参拝をやめる、(2)尖閣諸島は中国のものといえ――といった条件を付けてくる。靖国神社は戦後30年にわたって歴代首相が参拝している。ところが、中曽根康弘首相時代、“公式参拝”をめぐって国内がもめると、中国はすかさず「参拝するな」と押し込んできた。次は明白に日本領土である沖縄県・尖閣諸島の自国への帰属を主張し、「領土問題が存在することを認めろ」という。さらに、「沖縄も中国に帰属していた」などというたわけたことまで言い出している。
 中国に対しては、607年、聖徳太子が「対等外交」を申し入れ、明治になっても福沢諭吉が「脱亜論」を書いている。歴史的にみて中国は「敬して遠ざける」のが最適の付き合い方なのである。

 安倍首相は「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、2年足らずで50カ国以上を歴訪した。安倍氏の外交戦略の第一は、中国に軍事的に負けないように日米安保体制を強化すること。第二は東南アジア諸国連合(ASEAN)と連携し、中国の膨張を防ぐこと。第三が豪州、さらにはインドとの準軍事同盟を築くことである。

 中国とは戦略的互恵関係を構築し、積極的平和主義を貫く。安倍氏はいま、戦後日本が失った精神的なものを取り返す途上にある。

 「河野談話」のように検証してみると実態がないのに、強制連行を認めてしまったものもある。『朝日新聞』が吉田清治氏の証言はウソだと認めて取り消したが、この32年間に日本はいつの間にか20万人を性奴隷にした汚名を着せられている。いずれも戦後外交の大失敗だが、失敗した原因は土下座精神だ。

 その真相の矯正を忘れ、日中友好がいいことだと短絡する守旧派が党内に多数存在する。

 首相がダブル引き上げを拒否すれば、引き上げ派の守旧派と親中派が動き出す可能性がある。過去の政変は各派の思惑が重なって重層化して勢いを増す。税法を変えるとか、新法を制定することもできるが、法の内容をめぐる議論をすると党内が真っ二つになる可能性がある。

 2015年9月の総裁選をめざして党内が蠢いてくる可能性もある。思惑が交差する官界、政界の動きを見ながら、安倍首相は「民意に問うのがいちばん」と考えたのだろう。そのきっかけになったのは、味方の一人と考えていた黒田日銀総裁が9月15日に語った次の言葉だったに違いない。

 「増税して予想以上に景気が落ち込めば、その時点で財政・金融的な措置で対応が可能だが、仮に先送りによって政府の財政再建に向けた決意、方針に疑念をもたれて、国債価格が大きく下がったりすると、財政・金融で対応することが困難になる」

 これは財務省の言い分を正直に語ったものだが、同じセリフで橋本龍太郎首相は消費税を引き上げ、平成10年の参院選で惨敗し、政権を去ることになった。あとを襲った小渕政権も含め、10年間にわたって税収は減り続けたのである。肝心なことは税収を増やすことであって、安倍政権では税収は3兆5000億円ほど増えた。第一優先順位は景気を持ち上げることであって、増税をして財源をつくり出すことではない。

 小泉純一郎首相は一枚看板の郵政改革法案が参議院で否決されたとき、「どうしても民意に問うてみたい」と衆院の解散に打って出て大勝した。反対する議員の選挙区には“刺客”を立てて落選させることまであえてした。

 今回でいえば、最たる守旧派は野田毅税制調査会長だろう。安倍氏の思惑とは関係なく、「税の再引き上げは既定路線、当然2015年の10月から10%にする。安倍さんが何といおうと、私は動かない」と断じた。さながら古い自民党時代の派閥の親分か調査会、部会の長の言い草だ。こういう手合いに公認を与えると党の一体化を損う。

 財務省のメンツは丸つぶれだが、麻生財務相が辛うじて出した救いの手は「10%への増税は3年後の2017年4月から始める。その際、経済情勢をみて決めるというような弾力条項は付けない」というもの。経済はつねに変わるもので、こういうのを石頭というのではないか。首相は財務官僚を成敗したほうがいい。

屋山太郎(政治評論家)
1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任。81年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。87年に退社。2001年に正論大賞を受賞。最近刊に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)がある。