八木秀次(麗澤大学教授)
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やぎ・ひでつぐ 昭和37(1962)年、広島県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程中退。専攻は憲法学、思想史。「日本教育再生機構」理事長。著書に『反「人権」宣言』(ちくま新書)、『明治憲法の思想』『日本国憲法とは何か』(PHP新書)『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)など多数。平成14年、正論新風賞を受賞。







 朝日新聞は本当に反省しているのだろうか。9月11日夜の木村伊量社長の謝罪も、「吉田調書」についての記事への謝罪がメインで、慰安婦を強制連行したとする吉田清治証言を16本の記事で使用したことや、慰安婦と女子挺身隊を「誤用」したことへの謝罪は序でないし付け足しで、如何にも誠意を感じなかった。さらにここに来て朝日は、なんと被害者ヅラをし始めている。同時に、吉田証言をめぐる自社の報道の影響について矮小化し、他人事視あるいは責任回避を決め込んでいる。

 10月1日付朝刊第2社会面に「慰安婦報道めぐり脅迫文 2大学に元朝日記者の退職要求」との見出しの記事が掲載された。記事の前半は「北星学園大(札幌市厚別区)に今年5月と7月、慰安婦問題に関する記事を書いた非常勤講師の元朝日新聞記者(56)の退職を求め、応じなければ学生に危害を加えると脅す文書が届いていたことが捜査関係者への取材で分かった」とするもので、匿名となっているが、非常勤講師の元朝日記者とは植村隆氏であることは周知のことだ。記事によれば、文書は学長ら宛で、5月29日と7月28日に郵送で届いた。印刷された字で「元記者を辞めさせなければ天誅として学生を痛めつける」「釘を混ぜたガスボンベを爆発させる」などと書かれ、それぞれ数本の虫ピンが同封されていたという。9月中旬には「爆弾を仕掛ける」との内容の電話もあったという。記事の後半は「帝塚山学院大(大阪府大阪狭山市)にも9月13日、慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の人間科学部教授(67)の退職を要求する脅迫文が届き、(中略)元記者は同日付で退職した」とするもので、ここでも「辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」などと記されていたことが書かれている。

 脅迫は卑劣で決して許されないが、手口が古典的で、「天誅」という表現や「釘を入れたガスボンベ(ガス爆弾)を爆発させる」などという言い方など、北朝鮮への批判が強まった時に折よく起きた朝鮮学校生徒のチマチョゴリ制服切り裂き事件などをも彷彿させる。本当に朝日新聞の慰安婦報道に怒った人々の仕業なのかと、不自然さも感じる。

 しかし、この記事の掲載を合図に朝日は被害者ヅラをし始めた。翌2日付の社説は「大学への脅迫 暴力は、許さない」と題し、脅迫文の内容を紹介した後、「攻撃の対象は元記者本人にとどまらない。家族までもがネット上に顔写真や実名をさらされ、『自殺するまで追い込むしかない』『日本から出て行け』などと書き込まれた」と被害者ぶりを書く。「間違った記事を掲載してしまったことに対して多くの批判が寄せられており、真摯に受け止めている」とも書いているが、北星学園大学へ脅迫文が送られたのは、8月5、6日の慰安婦報道検証記事掲載の前、木村社長の謝罪の前である。脅迫が許されないのは勿論だが、「間違った記事を掲載してしまった」のに訂正も謝罪もなく、朝日新聞社にも元記者にも「真摯」な姿勢が微塵も感じられないことが大学への抗議となり、思い余って脅迫につながったとも考えられる。

 7日には1面コラム「天声人語」でもこの問題を取り上げ、第3社会面で「慰安婦報道 元記者の家族も攻撃」「ネットに子の写真や実名」との見出しを付けた「Media Times メディアタイムズ」という大型の記事が掲載されている。記事では「この元記者は今春、朝日新聞社を早期退職した植村隆氏(56)」と実名を明らかにし、「3月以降、電話やメール、ファックス、手紙が教職員あてに数多く届き、大学周辺では政治団体などによるビラまきや街宣活動もあった」とする。そして同僚教員に「もはや植村さんだけの問題ではない。大学教育、学問の自由が脅かされている」と語らせている。さらに学者や弁護士、ジャーナリストらが「負けるな北星!の会」を結成し、記者会見で「学問と言論の自由を守るため市民は結束すべきだ」と訴えたとする記事も併せて掲載している。自由と民主主義を守るためには学問と言論の自由が重要であることは言うまでもない。しかし、大学への脅迫という事態にまで発展したのは、植村氏が「間違った記事を書いてしまったこと」について、その経緯を明らかにすることなく、メディアの取材からも逃げ回り、挙句の果てには「記事は捏造ではない」と現在も言い張っていることにも原因がある。彼に「学問や言論の自由」に伴う責任を果たす気はあるのだろうか。

 この点、私はこの大型記事に他の二人の識者とともにコメントを寄せ、「慰安婦問題を報じた元記者が中傷されていることを当事者の朝日が問題視して、読者の理解を得られるだろうか。普段、企業や役所の不祥事を厳しく追及しているのだから、執筆の経緯を元記者が自ら説明すべきだ。ただ、個人を『さらし者』にして攻撃するネット文化にくみすることはできない。脅迫は許されないし、職を奪うまでの行為は行きすぎている」と話した。「脅迫は許されない」との見出しが付けられたが、言いたいことはもちろん前半にある。

 この記事には当の植村氏の「家族や職場の攻撃は卑劣だ」と題するコメントも掲載されている。「1981年5月、朝日新聞阪神支局に男が押し入り、散弾銃で当時29歳の記者が殺された。私は彼の同期だ。問答無用で記者が殺されたあの事件と今回のケースは異なるが、身近に思えてならない。家族や職場まで攻撃するのは卑劣だ。私が書いた元慰安婦に関する記事に批判があるが、記事を捏造した事実は断じてない。今後、手記を発表するなどしてきちんと説明していきたい」─。「盗っ人猛々しい」という言葉がつい出そうになる。植村氏は完全に被害者の立場に立ち、居直っている。日本と日本人をこれだけ貶める記事を書いたのに自身をテロの被害者と同列に置いている。朝日の社説が「間違った記事を掲載してしまった」とまで言う記事を書いたことへの反省は微塵もない。

 しかし、この植村氏のコメントは個人のものとは思えない。朝日新聞社の主張とも考えられる。この大型記事には、私のコメントも掲載されてはいるが、それ以外は、前出の「負けるな北星!の会」結成の記者会見で「言論を暴力で封じ込めるのはテロリズム。市民も結束して『許さない』というメッセージを社会に送るべきだ」(海渡雄一弁護士)、「学問の自由の封じ込めで、憲法違反だ」(小森陽一・東大院教授)との発言があったことや、識者のコメントも「民主主義の要である言論の自由を暴力で屈服させるテロ行為と等しく、大変危険だ。ネットや雑誌で『売国奴』『国賊』という言葉が飛び交う中、短絡的なレッテル貼りが今回の事件を惹起していると考えられる(後略)」(五野井郁夫・高千穂大准教授)、「嫌韓・反中やヘイトスピーチにつながる排他的な考えのはけ口として、朝日新聞の関係者を攻撃する構図がある。背景に現在の社会への様々な不満も重なっている。雑誌が『売れる』ことだけを考え扇情的な記事を書き、こうした暴力性をあおっている側面もある(後略)」(鈴木秀美・大阪大教授)とするものばかりを掲載している。それらに囲まれた中での植村氏のコメントである。記事全体で「テロだ!テロだ!」「私たちはテロの被害者だ!」との大合唱が聞こえる。

朝日報道が国連「性奴隷」報告に与えた「広義の影響」

 植村氏には「記事を捏造した事実は断じてない」と言い張る根拠を明確に説明し、朝日新聞も社としての見解を示してもらいたいが、多くは期待できない。朝日新聞は自社の慰安婦報道の問題点を矮小化し、責任回避を図ろうとしているからだ。

 10月17日付朝刊3面に「慰安婦めぐる国連クマラスワミ報告 政府、一部修正を要請 元特別報告官は応ぜず」との大きな記事が掲載されている。「旧日本軍の慰安婦問題について1996年、国連人権委員会(現・理事会)の特別報告官ラディカ・クマラスワミ氏がまとめた『クマラスワミ報告』の一部修正を、日本政府が求めていたことが16日、明らかになった。慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の著書を引用した部分の修正要請だったが、クマラスワミ氏は拒否した」とする記事だ。

 記事は「クマラスワミ氏はスリランカの法律家。A4判37・の報告のうち著書からの引用は英文字で283字。『国家総動員法の一部として労務報国会のもとで自ら奴隷狩りに加わり、その他の朝鮮人とともに千人もの女性たちを「慰安婦」任務のために獲得したと告白している』と記されている。現代史家・秦郁彦氏が吉田氏の著書に異議を唱えたことも掲載している」と書き、最後の段落を「朝日新聞は8月、吉田氏の証言を報じた過去の記事を取り消した。報告は吉田氏の証言を含めて朝日新聞の報道を引用していない」とする。朝日の吉田証言報道がクマラスワミ報告に何も影響を与えていないと言わんばかりの書きぶりだ。

 確かに直接の引用はない。しかし、クマラスワミ報告が多くを依拠しているオーストラリア人経済学者、ジョージ・ヒックス氏の『The Comfort Women』(邦訳『性の奴隷 従軍慰安婦』浜田徹訳、三一書房、1995年)の内容も、現在の目から見ればそのトンデモぶりが明らかだが、そのトンデモぶりが当時通用したのは、朝日が同様にトンデモな吉田「慰安婦狩り」証言を「事実」として報道してきたことと関係がある。慰安婦問題で朝日が多用する「狭義の強制性」と「広義の強制性」という考え方になぞらえて言おう。クマラスワミ報告に朝日の記事の直接の引用はないという意味で「狭義の影響」はないが、慰安婦問題についての当時の言説の全体の雰囲気をつくったという意味での「広義の影響」は朝日の報道が決定的に与えている。そこに頬かむりするのは無責任も甚だしい。

 クマラスワミ報告(邦訳)を改めて読んでみたが、そのトンデモぶりは想像を絶する。これが国連の人権機関が正式に出した報告書であり、現在もその内容が広く国際社会で信じられていると思うと背筋が寒くなる思いだ。同報告は「戦時中、軍隊によって、また軍隊のために性的サービスを強要された女性たちの事例は軍性奴隷制の実施であった」とし、「軍性奴隷」という用語を使うとする。「非常に多くの女性被害者が、娘が連行されるのを阻止しようとした家族に暴力が加えられたと語り、時には無理矢理連れて行かれる前に両親の前で兵隊にレイプされたと言う。ヨ・ボクシルについての調査によれば、彼女も多くの少女と同様に家で捕まえられ、娘を取られまいと抵抗した父親が暴行されたあげく連れ出されたという」と書き、「前線に送られた女性被害者の多くは、兵隊と一緒に決死隊に加わるなど、軍事作戦にもかり出された」「村から連行された少女は非常に若く、14歳から18歳が大半を占めていたことは明らかであるほか、学校制度も少女を集めるために利用された」「慰安婦は一日60人から70人の相手をさせられた」などとする。冷静に考えて信じがたい話ばかりだ。

 同報告は元慰安婦16人からの聞き取り調査をもとに書かれ、北朝鮮で会った元慰安婦の証言も紹介されている。「当時13歳だった私は畑で働く両親のために昼食を用意するため、村の井戸に水くみに行きました。そこで日本人の守備兵の一人に襲われ、連れて行かれたのです。両親は娘に何が起きたのか知らずじまいでした。トラックで警察署に連れていかれ、そこで数人の警官にレイプされました。私が泣き叫ぶと、ソックスを口に突っ込まれ、レイプが続きました。警察署の所長(ママ)は私が泣き叫ぶので、左目を殴りつけました。それ以来、私は左目が見えません」「ある朝鮮人の少女はあまりに何度もレイプされたため性病にかかり、その結果、50人以上の日本兵が感染しました。性病が広がるのを止め、少女を『殺菌消毒』するため、彼女の局部に熱した鉄の棒を突っ込みました」などの記述が続く。北朝鮮側の意図は明らかに横田めぐみさんら日本人拉致事件を打ち消すことにある。拉致=強制連行した上にレイプしたのだから、日本人拉致は大した問題ではないということだ。同報告はこのような北朝鮮側の思惑に気付いている節はない。元慰安婦と称する証言者の発言をそのまま受け止めている。あまりにもナイーブだ。

 クマラスワミ報告とはこの程度の代物だ。日本政府が修正を求めるのは遅すぎるほどだし、反論も必要だ。17日付の朝日の記事は「慰安婦問題で日本政府に歴史的責任と謝罪を求めた2007年の米下院決議採択は、安倍晋三首相が『強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実』と発言したことが発端だったが、クマラスワミ報告による影響を指摘する声もある」と書いている。そこまで分かっているなら、朝日新聞も社としてクマラスワミ報告のでたらめぶりを明らかにし、慰安婦問題をめぐる国際社会での誤解を説くことに取り組んではどうなのか。しかし、それも期待薄だろう。

基金呼びかけ文削除にもイチャモン

 朝日新聞は吉田証言に関する記事を取り消し、「慰安婦」と「女子挺身隊」との誤用を認めただけである。強制連行自体を否定したわけではない。慰安所における「強制」を強調し、それこそが女性の人権を否定する慰安婦問題の「本質」であると言い張っている。慰安婦問題は日本人が背負う十字架として存在し続けると言おうとしている。

 「10代の少女までも含む多くの女性を強制的に『慰安婦』として軍に従わせた」との記述のあったアジア女性基金への参加呼びかけ文を、外務省がホームページから削除したこと対しても、10月19日付の社説で「なぜ、呼びかけ文を削除しなければならないのか。国際社会から日本政府が歴史認識をさらに後退させたと受け取られかねない」「もとより海外での評価だけが問題なのではない。私たちが過去とどう向き合うのかが問われているのである」「今からでもHPを元に戻すべきだ」と批判している。軍や官憲が強制連行したことを示す証拠は存在しないのだから、「強制的に軍に従わせた」という表現は誤解を生む不適当なものであることは言うまでもないのに、あくまでそこに拘ろうとする。

 9月11日の木村社長の謝罪は一体なんだったのか。やはり渋々、仕方なく、序でに、付け足しで行った謝罪だったと思わざるを得ない。