4月1日のエープリル・フール。大蔵省幹部らは、その日行われた宮沢喜一首相の記者会見の内容を知り、びっくり仰天した。昨年夏に続いて打ち出される予定の追加景気対策について、首相は「史上最大規模になると思う」と言い切ったのだ。

 大蔵省があらかじめ首相の元に届けた想定問答集では、事業規模の金額については一切触れられていなかった。再度詰め寄られた場合にだけ「相当規模の対策になる」と逃げることになっていたのだ。

 しかし、首相は大蔵省の用意したシナリオを無視し、史上最大規模の景気対策を約束してしまったのだ。

 景気対策に関してはすでに、次の総理・総裁の座を目指す自民党領袖(りょうしゅう)の一人、三塚博政調会長(同党総合景気対策本部長)が「12、3兆円」のアドバルーンを揚げていた。
宮沢喜一首相(当時)

 一方、大蔵省は、景気対策の数字が膨れ上がるのは、建設国債の増発につながり、国の借金が増える上、回復途上にある景気を過熱させてしまうと考えていた。そこで、首相が数字に言及しないよう仕組んだのだが、三塚氏に対抗意識を燃やす首相は、アドリブで筋書きを変えてしまった。

 首相の大蔵省に対する“造反”である。

 景気対策は、首相の思惑通り、史上最大規模となった。さすがの大蔵省も、首相に食言させるわけにはいかなかったのだ。

 それでも、首相が抵抗したこの一件は、日本の宰相の意向さえ初めから無視してしまう、大蔵省主計局の自大的性格を改めて浮き彫りにさせた。

 国のサイフを握る大蔵省の権限が強大なのは、なにも今に始まったことではないが、その力がさらに官庁街で強まったのは、財政赤字を抑制するため、各省庁からの予算要求額を前年度並みとする「ゼロ・シーリング(概算要求基準)」制度が、昭和57年度予算に取り入れられてからともいわれる。

 健全財政を錦の御旗(みはた)に、主計局はまず、各省庁の予算要求の取りまとめをしている会計課長のところで、それぞれの省庁の予算をシーリングに沿って絞り込むシステムを導入させた。その上で、さらに主計局が予算要求を削るのだ。こうした過程で、予算を削る側の声が大きくなるのは当然のことである。

 「資料を持っていったら投げ付けられた」「紙飛行機にして飛ばされた」というたぐいの泣くに泣けない話が要求官庁側から聞こえてくる。「あいつらは守銭奴だ」という言葉まで出る始未だ。 

 大蔵省の唱える「財政健全主義」に対する懐疑の声もある。

 昭和62年度の円高不況対策では、政府は6兆円を上回る財政措置を伴う内需拡大策を決定、これが低金利とともにその後のバブル経済の原因になったとされている。

 その後の税収増は、国債以外の隠れ借金を一掃し、赤字国債の発行をも停止させることができた。果たして、大蔵省の理屈は正しいのか、という素朴な疑問である。

 もっとも、こうした声が表に出ることがないのは、言うまでもない。(茂谷知己)