いよいよ衆院選が公示され、12月14日の投開票に向かって、各党の激しい闘いが始まった。今回の選挙の争点は、「アベノミクス」の是非だそうである。私は、この2年間の安倍政権の経済政策だけでなく、集団的自衛権や特定秘密保護法案等々の是非も大いに議論して欲しいと思う。

 しかし、私は今回の選挙を名づけるとしたら、それは「DR戦争」だと思う。Dとは、“dreamer”、すなわち「夢想家」「空想家」の意味だ。Rとは、“rearist”、すなわち現実主義者。つまり、今回の選挙は、「夢想家」と「現実主義者」との対決ということだ。

 今年、注目すべきニュースとして、朝日新聞の誤報事件があった。慰安婦報道や「吉田調書」報道で追い詰められた朝日新聞は、木村伊量社長が9月11日に記者会見をおこない、「吉田調書」報道の記事を撤回・謝罪した。

 他者に対して謝ることを知らない朝日新聞にとって、前代未聞の出来事である。私はこれを「歴史の転換点」だと思って見ていた。以前のブログにも書いたが、それは戦後日本が、やっと辿り着いた「歴史の転換点」なのだと思う。

 いったい、何が歴史の転換点なのか。それは、文字通りの“55年体制の終焉”である。周知のように、日本では、1955(昭和30)年に左右の政党がそれぞれ合同し、「自由民主党」と「日本社会党」が誕生した。以後、長く「左右のイデオロギー対立」の時代がつづいた。

 その「55年体制」は、90年代半ばに日本社会党が消滅し、自民党も単独での政権維持が不可能になって“終焉”し、今では過去のものとなっている。国際的にも1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、世界史的な左右の闘いの決着もついている。

 しかし、その考え方を基礎とした対立が、いまだに支配的な業界が「1つ」だけある。それが、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。古色蒼然としたこの左右の対立に縛られているのが、マスコミなのだ。いつまで経っても、ここから抜け出せないことを、私は“マスコミ55年症候群”と呼んできた。

 マスコミは、さまざまな業界の中で、最も「傲慢」で、最も「遅れて」おり、最も「旧態依然」としている世界だ。なぜか? それは、マスコミに入ってくる人間の資質に負うところが大きい。マスコミを志向するのは、いろいろな面で問題意識の高い学生たちである。だからこそ、ジャーナリストになりたいのだ。

 しかし、そういう学生は、得てして「理想論」に走り、現実を見ない傾向がある。ほかの業界では、社会に放り出されれば「現実」を突きつけられ、あちこちで壁に当たりながら「常識」や、理想だけでは語れない「物の見方」を獲得していく。

 だが、マスコミは違う。たとえ学生の時の「書生論」を振りかざしていても、唯一、許される業界といっていいだろう。書生が、そのまま“年寄り”になることができるのが、マスコミ・ジャーナリズムの世界なのだ。

 その代表的なメディアが、朝日新聞だ。ただ、理想論をぶち、現実に目を向けず、うわべだけの正義を振りかざしていればよかったメディアである。上から下まで書生ばかりで、“白髪の書生記者”の集合体だと言える。つまり、夢想家、空想家の集団だ。

 彼らは、ひたすら現実ではなく、理想や、うわべだけの正義に走ってきた。つまり「偽善」に支配されたメディアである。平和を志向するのは、日本人すべてなのに、自分たちだけが平和主義者だと誤信し、日本に愛着を持ち、誇りを持とうとする人を「右翼」と規定し、「右傾化反対」という現実離れした論陣を張るのである。

 その朝日新聞が、信奉してやまないのが中国だ。ひたすら中国の言い分と利益のために紙面を使ってきた朝日は、今、自分たちが書いてきたことが、実は「中国人民のため」ではなく、「中国共産党独裁政権のため」だったことに気づき始めた記者もいるだろう。世界が懸念する「中国の膨張主義」の尖兵となっていたのが、実は「自分たち朝日新聞ではなかったのか」と。
脅威かポンコツか、真の実力が問われる中国の空母「遼寧」(中国国防部HPより)

 中国が南シナ海のほぼすべてを自分の“領海”であると主張し、フィリピン、あるいはベトナムとの間で、小競り合いをつづけながら、強引に他国の島に滑走路を建設したのも周知の通りだ。

 私は、この11月24日に中国が南沙諸島の「永暑礁」周辺を埋め立て、滑走路の造成をしているニュースが流れた時、2008年3月、米太平洋軍の司令官が、「中国海軍が太平洋を二分し、米国がハワイ以東、中国がハワイ以西を管理する分割支配を提案してきた」と暴露したことを思い出した。

 すでに中国共産党の雑誌では、尖閣どころか沖縄も中国のものだと主張されている。今回のAPECでも習近平・国家主席はオバマ大統領との首脳会談で「太平洋は米中2つの大国を受け入れる十分な広さがある」と伝え、オバマの「同意」を得ている。11月20日に発表された民主・共和両党で構成する「米中経済安全保障調査委員会」の年次報告書は、「習近平国家主席は、高いレベルの緊張を引き起こす意思を明確に持っている」と指摘している。

 朝日新聞などは、「いたずらに中国脅威論をぶち上げる勢力がある」と批判しているが、“脅威”ではなく、もはや中国の侵略の恐怖は“現実”であることは明らかだ。浮世離れした日本の「空想的平和主義」が通用する時代では、すでになくなっているのである。もし、日米安全保障条約「第5条」にのっとって、尖閣を守ろうとした米軍が攻撃されたり、また、邦人を輸送中の米艦船が攻撃されたとしよう。その時、「アメリカの若者だけが血を流していればいいんだ」と、日本が知らんぷりをした瞬間に日米関係は「終わる」だろう。

 集団的自衛権とは、いわば日本人の「エゴ」と「覚悟」の闘いであろうと思う。それは同時に現実に目を向けずに理想ばかり語っている「dreamer(夢想家・空想家)」と「rearist(現実主義者)」との対立でもある。

 左右対立の時代はとっくに終わっている。お互いを「右翼だ」「左翼め」と罵っている時代ではない。今は、現実を見つめるか、空想に浸っているか、の時代である。つまり、左右対立ではなく、日本はやっと「DR戦争の時代」を迎えたのである。「歴史の転換点」という所以(ゆえん)だ。

 それは、インターネットで闘わされている議論を見ても明らかだ。古色蒼然とした「左翼」と「右翼」の対立ではなく、ニューメディアの登場・発展によって、時代は、とっくに「DR戦争」に突入していたのだ。12月14日に有権者がどんな判断を下すか、私は大いに注目したい。