潮 匡人(評論家・拓殖大学客員教授)

うしお まさと 昭和35(1960)年生まれ。早稲田大学法学部卒。航空自衛隊入隊。大学院研修(早大院法学研究科博士前期課程修了)、航空総隊司令部、長官官房勤務等を経て3等空佐で退官。東海大学海洋学部非常勤講師。著書に『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)など。



 「諸君の成功は公表されない。しかし、失敗は喧伝される」-かつてCIA本部庁舎の落成式でケネディ大統領がこう述べた(フリーマントル『CIA』新潮選書)。前任者のアイゼンハワーも、同じ庁舎の定礎式でこう述べた。「成功は喧伝できないし、失敗は釈明できない。諜報機関の仕事では勲章は授けられず、たたえられることもない」(ワイナー『CIA秘録』文藝春秋)。

 古今東西、インテリジェンスの世界は秘密のヴェールで覆われている。ただ、CIAとて完全無欠ではない。いくどもヴェールが剥がれてきた。スノーデン元職員による機密漏洩事件は記憶に新しい。

 アメリカには、防諜法ないしスパイ防止法とでも訳すべき連邦法があり(Espionage Act・合衆国法典18編)、機密漏洩には死刑を含む刑罰を定めている。それでも漏洩が起きる。秘密の保護は容易でない。

 12月6日深夜、参議院本会議で特定秘密保護法が可決成立した。こうした法律がこれまでなかったことが不思議である。しかもこの法律は、国会公務員法改正とでも評すべき内容であり、スパイ防止法の類いではない。最高刑も懲役10年に留まり、死刑はおろか無期懲役にもならない。多くの判決が執行猶予となろう。実刑判決が確定しても、どうせ数年で仮釈放される。こんな緩い法律で、本当に特定秘密を保護できるのか。そうした疑問すら生じる。今後、新たにスパイ防止法を整備すべきではないのか。

 だが、日本のマスコミは、そう考えない。みな「民主主義が死ぬ、戦争になる」などと挙って反対した。12月8日も、TBSテレビの「時事放談」で、与謝野馨元財務大臣が「スパイ防止法の流れを汲んでいるから嫌だ」と放言した。私は、最期までスパイ防止法の制定を訴えた警察官僚(弘津恭輔)の親族として公私とも理解に苦しむ。以下は法案に反対や懸念を表明した著名なマスコミ人の顔ぶれである。

 永六輔、江川紹子、大沢悠里、大谷昭宏、小川和久、荻原博子、金平茂紀、鎌田慧、川村晃司、岸井成格、佐高信、佐野眞一、澤地久枝、高野孟、田勢康弘、田原総一朗、津田大介、鳥越俊太郎、二木啓孝、堀潤、森達也、吉岡忍、吉永みち子(敬称略・毎日新聞サイト参照)。

 ご覧のとおり、お馴染みのテレビ人が勢ぞろい。事実、どのチャンネルも反対や懸念の声であふれた。東京キー局で支持賛成したキャスターが一人でもいただろうか。テレビ常連のリベラル左派学者に加え、以下の有名人も反対や懸念の声をあげた。

 大竹しのぶ、菅原文太、野際陽子、倍賞千恵子、吉永小百合、井筒和幸、大林宣彦、是枝裕和、崔洋一、周防正行、高畑勲、降旗康男、宮崎駿、山田洋次、山本晋也、小山内美江子、鴻上尚史、橋本忍、平田オリザ、山田太一、坂本龍一、高橋幸宏、なかにし礼、湯川れい子、浅田次郎、椎名誠、瀬戸内寂聴、村上龍(同前)。

 以上の声を伝えたのもマスコミである。マスコミ人が反対の声をあげ、不安を煽った。世論形成に与えた影響は計り知れない。

 放送法は「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(第四条)を求めているが、そうした番組を見た記憶がない。前掲のとおり各局の執行役員から解説委員、看板キャスターらが勢ぞろいなのだ。ここで個々の番組を検証するまでもなかろう。

 他方、NHKの現職職員は先のリストに名がない。ならばNHKは潔白か。

NHKはこうして世論誘導する


 民放同様、NHKもニュース番組などで連日連夜、法案を取り上げた。問題は、その報道姿勢ないし編集方針である。番組で毎日毎夜、反対集会の模様や、前掲著名人らの声を紹介した。事実そうした集会や声はあった。捏造とは言わない。問題は「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を怠った点にある。さらに言えば、法案自体きちんと報じなかった。一例を挙げよう。

 11月21日総合テレビ放送の「ニュースウオッチ9」が反対集会を詳報しながら、参加者の反対意見や、国会参考人らの反対論を伝えた。以上に時間を割いた上で、看板キャスターがこうコメントした。

「根強い反対論に加え、世論調査によれば、法案の内容が国民に周知されていない」

 ならば、周知に努めるのが公共放送であるNHKの使命ではないのか。反対集会を詳報する時間はあっても、法案の内容を国民に伝える時間はないのか。番組中、法案の説明もなければ、必要性を説く解説もなかった。

 12月4日放送のラジオ第一「私も一言 夕方ニュース」も違法性が濃い。

「きょうの焦点」は「特定秘密保護法案 攻防緊迫化」。特集も「特定秘密保護法案 いま考えるべき課題は?」。問題は出演ゲストだ。

 柳澤協二・元内閣官房副長官補と、孫崎享・元外務省国際情報局長の2人。前者は旧防衛庁で私の直属上司、後者は拙著『「反米論」は百害あって一利なし』(PHP研究室)で指弾した論敵。よく存じ上げているが、両者とも法案に反対していた。

 要は、番組ゲストを反対陣営で固めたわけである。それが適切か、論じるまでもない。他日、番組に賛成論者を招いたなら、バランスをとったと認める余地もあろう。だが、そうした事実はない。前後の日程に出演したのはNHK解説委員。賛成派は起用せず、いっけん中立の解説委員と露骨な反対派でゲストを埋めた。ちなみに番組が「皆さんからいただいた意見」には「国会を包囲し、安倍政権を退陣に追い込もう」との「意見」もあった。まるで倒閣運動ではないか。公共放送の体をなしていない。

 NHKにして、この有り様。民放の札付き左派番組は推して知るべし。以下、新聞を検証しよう。

 全国紙では朝日と毎日の報道が目立った。法案を批判した朝日の社説やコラム、主要な記事は原稿用紙でゆうに320枚を超える。1冊の書籍に相当する大量の文字数を使い、批判し続けた計算になる。毎日新聞も例外でない。そのすべてを紹介する紙数はないが以下、最近の社説やコラムを中心に検証しよう。先ずは朝日新聞から。

 誰しも驚いたのが、12月6日付第1社会面(テレビ欄の裏面)の「声 聞いて」と題した紙面。老若男女に「絶対反対」などと書いたフリップを持たせて撮影した特大カラー企画だ。「全国各地で、多くの人たちが叫び続ける」とあるが、朝日に頼まれフリップを書いた様子にしか見えない。朝日新聞社の世論調査でも25%の「賛成」意見があったはずだが(12月2日付朝刊)、なぜか、そうした「声」は紙面になかった。同日深夜の法案可決を見越した・最後っ屁・なのか。ならばジャーナリズムならぬ政治運動である。可決後の12月8日付朝刊1面コラム「天声人語」はこう書いた。

《戦争に駆り立てられる。何の心当たりもないまま罪をでっち上げられる。戦前の日本に逆戻りすることはないか。心配が杞憂に終わる保証はない。おととい、特定秘密保護法が成立した…(中略)…その先には武器輸出三原則の見直しや集団的自衛権の行使の解禁が控える。安倍政権の野望が成就すれば、平和国家という戦後体制は終わる》

大丈夫、朝日の心配は杞憂に


 いや、朝日の心配が杞憂に終わる保証はある。それこそ、彼らが大好きな日本国憲法である。政府が「罪をでっち上げられる」なら、その恐れがある法律なら、違憲無効であり、裁判所が違憲立法審査権を行使する。「戦争に駆り立てられる」ことにもならない。ちなみに武器輸出三原則を見直したのは民主党政権であり、集団的自衛権の行使解禁は、野田佳彦・前総理はじめ野党議員にも積極意見が少なくない。それを「安倍政権の野望」と評するのは党派的に過ぎよう。

 可決を受けた12月7日付朝刊1面は「採決、自公のみ賛成 欠陥残したまま」。見出しで「欠陥残した」と断罪し、本文でも「国民の『知る権利』が大きく損なわれるおそれがある」と定番の批判を重ねた。

 その挙句「特定秘密保護法全文は8日付朝刊に掲載します」。放送時間の制約がある電波媒体と違い、活字なのだ。全文を掲げ、読者に伝える余裕と責任があったのではないか。きっと、前日の朝日紙面で「反対」の声を掲げた老若男女らは、条文も読まずに反対したのであろう。

 7日付朝刊1面には「知る権利支える報道続けます」と題したゼネラルエディター(東京本社編成局長)の論説も掲載された。「国民の知る権利に奉仕することが報道の使命であることを改めて胸に刻みたい」との決意表明である。ありがたい。天下の朝日が「知る権利」に奉仕してくれるのだ。「国民の『知る権利』が大きく損なわれるおそれ」などあり得ない。心配は杞憂に終わる。こう皮肉られるような文言を、同じ紙面に並べる感覚はいただけない。インテリ軍団にしては脇が甘い。同日付社説も酷かった。

 題して「憲法を骨抜きにする愚挙」。法案に問題があるとしても「愚挙」とまで評するのは言葉が過ぎよう。「国民主権と三権分立を揺るがす事態だと言わざるをえない」との断定も過剰に過ぎる。もし、そうした批判が当てはまるなら、同様の法制を持つ世界中の主要国が批判されねばならない。

 社説は後段で法案を「ナチスの全権委任法」にも敷衍した。ナチスと同視する脈絡で安倍政権を批判しながら、末尾は「国民みずから決意と覚悟を固め、声を上げ続けるしかない」。こう読者に事実上、倒閣を呼び掛けた。これでは左翼政党の機関誌ではないか。

 一度だけではない。朝日社説は法案を批判し続けた。6日付は題して「民主主義に禍根を残すな」。なかで「米国の国立公文書館のように独立性の強い機関が監察権限を持つ。(中略)民主主義の国の秘密保護法制に不可欠の原則である」と批判した。これも「知る権利」同様、マスコミが繰り返した法案批判の論拠である。

 たしかに、米国立公文書館(情報保全監察局)には、行政監察権限と機密解除請求権が付与されている。だが別途、「秘密の人的情報源」や「暗号情報」などは自動機密指定解除の例外項目として大統領令に明示されており(3.3条b項)、それらを公文書館が指定解除できるわけではない。冷静に考えれば当たり前の話であろう。

 彼らが大好きな「知る権利」も「アメリカで生まれ一般化したものである」(芦部信喜『現代人権論』有斐閣)。他方、日本国憲法は(英語原案の「プレス」を「出版」と訳した結果)「報道の自由」すら明記していない。本心から「知る権利」を尊重するなら、むしろ憲法改正を説くべきであろう。善かれ悪しかれ、本家本元のアメリカより緩い保護法なのに、なぜナチスと同視され、ここまで批判されるのか。理解しがたい。

朝日が看過した法案の欠陥とは


 以下「石破発言で本質あらわ」と題した12月3日付社説を俎上に載せよう。

《自民党の石破茂幹事長が、国会周辺での法案への抗議活動をとらえ「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と自身のブログに書いた。/驚くべき暴言である。(中略)法案が示したテロリズムの定義は、国会審議の焦点にもなっている。/条文はその定義をこう記す。「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する活動をいう」/政府側は、テロとは「殺傷」と「破壊」をさしていると説明する。一方、野党側はこの条文では、他人に何かを強く主張するだけでテロだと解釈されるおそれがあると批判している》

 そもそも条文の引用が不正確である。「物を破壊する活動」ではなく、「物を破壊するための活動」が正しい。

 野党が指摘したとおり条文では「強要」がテロなのか判然としない。理由は単純。文中で「又は」が2回使われているからである。法文で英語の「or」を意味する「又は・若しくは」の正しい使い方は以下のとおり。

《選択される語句に段階があるときは、段階がいくつあっても、一番大きな選択的連結に1回だけ「又は」を用い、その他の小さい選択には「若しくは」が重複して用いられる》(内閣法制局「基本法令用語」『法律学小辞典』)

 なぜ12条がこの原則を無視したのか知らないが、「強要」がテロと解釈できる余地を残した以上、法文として瑕疵がある。なぜ朝日がそう批判しないのか。不思議でならない。

 他方、同日付毎日朝刊はこう指摘した。

《2つの「または」でつながれ「主義主張を強要する活動」もテロと読める。森雅子・法案担当相は(1)主義主張の強要(2)不安・恐怖を与える──のいずれかを目的に人を殺傷したり、施設を破壊したりする活動と説明したが、条文修正はされず拡大解釈の余地は残ったままだ》

 そのとおり。毎日は11月29日付社説でも「テロの定義 あいまいで乱暴すぎる」と題し「法律は、条文が全てだ。読み方によって解釈が分かれる余地を残せば、恣意的な運用を招く」と訴えた。続けて朝日が引用を間違えた部分も、こう指弾した。

《「主義主張を強要する目的で物を破壊するための活動」はテロなのか。「ための」があることで、準備段階も対象になる。(中略)こんな乱暴な定義では、特定秘密の対象が広がりかねない》

 だから「物を破壊する活動」ではなく、「物を破壊するための活動」と正確に引用しなければならないのだ。そうでないと、「ための」がある問題点が隠れてしまう(たとえば現行法上「戦闘行為」の定義に「ための」はない。3文字の違いは決定的である)。

 だが、朝日はそう批判しなかった。法案の致命的な瑕疵を見落とした。以上の知識ないし問題意識がなかったからに違いない。

 神も悪魔も細部に宿る。法案を批判するなら、条文を正確に引用し、学術的に検証すべきであろう。だが朝日は「条文解説ここが問題」と題した連載でも、先の論点に敷衍していない。そればかりか、たまたま同窓会で聞いた話をブログに書いて厳罰になるなど、現実にも、法解釈上もあり得ないケースを掲げて「規制の鎖、あなたにも」と読者の不安を煽った(12月6日付朝刊)。

 朝日は社説に加え、記事でも「また強行」(12月6日付朝刊1面)などと、法令に基づく採決を「強行」と報じ続けた。加えて、連日1面に「異議あり 特定秘密保護法案」と題し、著名人の「異議」を連載。上野千鶴子・東京大学名誉教授らリベラル左派に加え、蓮池透さんや新右翼「一水会」の鈴木邦男顧問まで登場させた。失礼ながら誰一人、条文を読んだ形跡がない。かつて条約を読まずに「安保反対」と叫んだ連中と本質において大差ない。そもそも法学の素養に欠ける素人の意見を1面で連載する感覚が理解できない。「進歩的精神」(朝日綱領)を掲げたインテリの矜持は消えたのか。

3年前は情報管理強化を主張


 なお、先の社説を含めマスコミが集中砲火を浴びせた「石破ブログ」に関し、関連法が「何人も、国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域において、当該地域の静穏を害するような方法で拡声機を使用してはならない」(第5条)と明記している。東京都の関連条例もある。マスコミの石破批判は野党の機関誌と化していた。

 およそ以上の批判が、毎日新聞にも当てはまる。12月7日付朝刊1面のヘッドラインは「秘密保護法成立 与党強行」。見出しは《「知る権利」危機》。さらに「ひるまず役割果たす」と題した主筆の論説を掲載。末尾で「国民の知る権利に応え、権力を監視するジャーナリズムの基本的役割は変わらない。(中略)記録者としての義務と責任をひるまずに果たしていく」と宣言した。

 同様に1面コラム「余録」も「国民が知るべき情報を探り、手に入れ、それを報じる。情報源は何があっても守る。新聞人が従うべき職業倫理はどんな法制下にあっても簡潔である」と締めた。社説も「民主主義を後退させぬ」と決意を表明した。

 ならば、1面の見出しは間違いであろう。世に毎日新聞がある限り、「知る権利」が危機に陥る心配などあるまい…

 この法律は、かつて「日本の政治指導者は機密情報を保護する法整備に国民的支持を獲得する必要がある」と求めた「アーミテージ報告」に始まる(と思う)。マスコミは「尖閣ビデオ映像流出がきっかけ」と言う。ならば当時、マスコミはどう語ったか(2010年11月6日付各紙朝刊)。
 全国紙の社説で「知る権利」を説いたのは産経新聞だけである。

《何より最大の問題は、菅直人政権が、国民の「知る権利」を無視して、衝突事件のビデオ映像を一部の国会議員だけに、しかも編集済みのわずか6分50秒の映像しか公開しなかった点にある》

 他紙の社説に「知る権利」の4文字はなかった。朝日社説は冒頭「政府の情報管理は、たががはずれているのではないか」と批判。こう訴えた。

「捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない」「外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」「再発防止のため情報管理の態勢を早急に立て直さなければいけない」

 毎日も社説でこう訴えた。

「漏えいを許したことは政府の危機管理のずさんさと情報管理能力の欠如を露呈するものである」「政府と国会の意図に反する形で一般公開と同じ結果になってしまったことに大きな不安を感じる。この政権の危機管理はどうなっているのか」「国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた『倒閣運動』でもある。由々しき事態である。厳正な調査が必要だ」

 3年前こう書いた新聞が、今やどうだ。政権が代われば、論説姿勢は反転。二枚舌を弄して恥じることもない。今さら、彼らに「知る権利」や「報道の自由」を語る資格があるのだろうか。