佐藤栄記(動物ジャーナリスト)

 先日、東京・上野動物園のジャイアントパンダが出産し、「パンダフィーバー」という大昔の流行語がまたよみがえりました。1972年に爆発的に使われ、やがて徐々に廃れていったこの死語は、なぜか「上野で」パンダの話題が生まれたときにだけ蘇生(そせい)する不思議な言葉です。

 その間に、和歌山県の南紀白浜では、10数頭ものジャイアントパンダが産声を上げているにも関わらず、たまに上野でジャイアントパンダが妊娠の兆候があったり、出産したときだけ、この言葉に突如火が付くのです。なぜ、上野限定なのでしょう。

 2009年、政府の事業仕分けの際に民進党の蓮舫代表が言った「2位じゃダメなんでしょうか?」ではないですが、和歌山県のアドベンチャーワールドではダメなのでしょうか。上野のパンダでないとダメなのでしょうか。そんなことを、ふと疑問に感じたことがある人はけっこういらっしゃるのではないでしょうか。この件について1972年の発端から振り返ってみたいと思います。

 通称、上野動物園。正式名称は恩賜上野動物園。頭に「恩賜」とあるように、この動物園は1924年の皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚を記念して東京市(当時)に下賜されたものです。しかし上野動物園は、実際にはその40年以上も前の1882年に博物館の付属施設として既に開園しており、日本で最も古い動物園なのです。つまり、その歴史的背景を見ても日本の動物園を代表する老舗ブランドであることは間違いありません。

 だからこそ、「パンダ外交」として日本に贈られた日中国交正常化のシンボル、ランランとカンカンは日本の首都・東京に位置し、日本一有名な老舗動物園「上野」に来たのです。
1972年10月28日、上野動物園に到着したカンカン(康康・左)とランラン(蘭蘭)
1972年10月28日、上野動物園に到着したカンカン(康康・左)とランラン(蘭蘭)
 それにしても、当時、ジャイアントパンダ2頭が初来日したときの熱狂ぶりはすさまじく、フィーバー(熱狂的大流行)という言葉はまさに当たっていました。当時10歳だった私の記憶の中にも、45年も前の興奮がいまだに残っています。その背景には、時代というものが多分にあったと思います。

 今のように、インターネットがないあの頃は、情報が一極集中する傾向にありました。テレビひとつ取ってみても、BSもCSもネットチャンネルもオンデマンドもなければ、ビデオも普及していないわけです。情報の発信源が少なかったため、みんなが同じ情報を共有し、学校や会社でその情報をお互いに確認し、反復するかのように伝達しあいました。