2017年07月11日 17:13 公開

ローラ・ビッカー、BBCニュース、米ケンタッキー州ホワイツバーグ

米ケンタッキー州のアパラチア中央部は、ドナルド・トランプ大統領の支持層の中でも特に貧しく、そして熱心な支持者が住む地域だ。しかしそこに住む人たちの将来は、何百キロも離れた首都ワシントンで、今後数週間の展開次第で決まってしまうかもしれない。

医師のバン・ブリーディングさんは疲れ知らずで、ひたむきだ。朝4時から起きていて、もう夕方だというのに。

待合室にはまだ順番待ちの患者が大勢いる。このあと夜間診療所を開き、医学生を数人指導しなければならない。それでも武リーディング医師は、にっこり笑うだけだ。

「僕はこのために医者になったので。自分は患者の代弁をしないとならない。僕の心はここの山々に、この人たちとともにある」とブリーディングさんは言う。

ボクサー体形の55歳。ブリーディングさんは今、戦争のまっただなかにある。この先、政治家たちが加勢してくれるのか、あるいは邪魔をしてくるのか、まだよく分からない。

日々前線で戦う相手は、故郷ケンタッキー州にまん延する健康障害と麻薬性鎮痛薬の乱用だ。患者はひたすら増え続けている。

ブリーディングさんは今年、その取り組みと技量を認められ、全米の農村医療で最も活躍した医師にも選ばれた。

ブリーディングさんは決して止まらない。スタッフからも、本人が実は二人いるのかと思われるほどだ。朝もまだ暗いうちから絶え間なくメッセージが届くと、スタッフは嘆く。ブリーディングさんに話があるスタッフは、部屋から部屋へと駆け回るその合間を狙おうと廊下で待ち受けている。

何がブリーディングさんをそこまで駆り立てるのか、スタッフにはそれも分かっている。この地域のがん、心臓病、糖尿病の発生率や肥満率は、全米でも最悪レベルなのだ。

ワシントンの政治家たちは医療保険制度をめぐる政局にばかりかまけて、自分が医療の現場で毎日直面するたぐいの問題を忘れてしまったのではないかと、ブリーディングさんは恐れている。

「敵味方の立場に分かれている場合じゃない。この問題に、こっちとあっちなんて対立はないはずだ。あるのはただ一つ。全ての米国人に素晴らしい医療をいかに提供するか、それだけだ」

米国も英国やフランスのような医療保険制度を検討するべきだと、ブリーディングさんは考えている。

「他国がすでにやっていることだ。外国が、あらかじめ土台を作ってくれている。他国のやってきたことを参考にして、発展させて、世界一の制度を作ればいい」

「だからこそ米国はこれほど強いんだ。僕たちはいつも、すでにあるものに手を加えて改良してきた。なのにどうして医療保険についても、それができない。争っていないで、すでにあるものを改良できるはずだ」

ブリーディング医師は、同州レッチャー郡ホワイツバーグで生まれ育った。学友のほとんどが炭鉱で働いた。炭鉱の仕事は当時、稼ぎがよかった。今も閉鎖されずに残る数少ない炭鉱から、たまにトラックが出てきては、土ぼこりを立てて幹線道路を走る。

しかし、ほとんどの炭鉱が閉山に追い込まれた今、アパラチア山脈に暮らす人たちの選択肢はほかにあまりない。だれのせいかとここの人たちに尋ねれば、上がる名前はただひとつ。

バラク・オバマだ。

前大統領の気候変動対策は、確かにこの地域では人気がなかったかもしれない。しかし、オバマ氏の医療保険制度改革も、具体的に大きな影響を及ぼした。

この町に建つ新しいビルは健康センターだ。ブリーディングさんの患者のうち半数近くは、オバマ政権時代に拡大されたメディケイド(低所得者向け公的医療保険)の対象になっている。

そのおかげで、1回診療を受けるのに家賃1カ月分、あるいは食料品1週間分の費用を払わずにすんでいる。

クロード・ルーカスさんは、メディケイドのおかげで命拾いしたと話す。生き続けるために必要な薬の費用が、保険対象だからだ。ルーカスさんは石炭の粉じんを27年間も吸い込み続け、今ではじん肺を患っている。

炭鉱が閉鎖された時、仕事と同時に医療保険も失った。苦しそうな呼吸をブリーディング医師が診察する間にも、せきが出る。まだ51歳だが生活は不自由で、仕事にも就けない。メディケイドがなければ必要な治療費を支払えず、ここにこうしていることさえできなかったかもしれない。

ケンタッキー州の住民がトランプ大統領を支持したのは、トランプ氏が炭鉱の再開を約束したからだ。レッチャー郡では8割の有権者が同氏を選び、メディケイドを維持するという約束を信じていた。ところが与党・共和党は今、メディケイドの大幅縮小を検討している。

キャサリン・コリンズさんは、そこに腹を立てている。12年前の交通事故で体がまひし、車椅子の生活を送ってきた。また歩けるようにがんばると決めているが、そのためには定期的に理学療法を受ける必要がある。この費用もメディケイドの対象だ。

「トランプ氏は自分のことしか考えていない。ふつうの人のことなど気にかけていないと思う。何を考えてるのか、私にはさっぱり分からない。当選するために色々約束したくせに。約束を色々破った。大げさな話ばかりして、実はうそだらけだった」

しかし、もっと大きい問題がある。医療費を払えない人たちの分は、だれが負担するべきなのか。

保険会社が費用回収に努めるなか、保険料は急騰している。

マシュー・コーディルさんは健康に気を付けているし、一生懸命働いている。コーディルさんと家族にとって、オバマ氏の医療保険制度改革法(オバマケア)はひどい話だったと考えている。

かつては自分と子供二人の保険に月43ドル(約5000円)払っていた。それが今は月400ドルに跳ね上がってしまった。しかも自己負担限度額が高すぎて、保険金の給付を全く受けられないかもしれないというのだ。

「私たち家族の保険は、おかげでひどいことになった。自分の子供たちの保障がこんなにお粗末な状態では、ほかの人に同情する気にもなれない。まず家族の心配をしないと。もし何も変わらなかったら、今後数年でもっとひどいことになる」

レッチャー郡の未来が危険にさらされているのだ。ここから800キロ離れたワシントンで下される決定が、重大な影響を及ぼすかもしれない。特に議論を呼んでいるのは、この地域のほぼ全世帯にかかわるオピオイド系鎮痛薬中毒の問題だ。この治療費の財源をどうすべきなのか。

コートニー・エイクマンさんは妊娠4カ月。オピオイド系鎮痛薬のフェンタニルなど複数の薬物を、少しずつやめようとしているところだ。一人目の時はやめられなかった。生まれてきた息子のメーソン君は震えが止まらず、体が真っ青になった。今度はもっとしっかりしようと、心に決めている。

「薬の問題を抱える妊婦は多いけど、今はほとんどが治療を受けている。受けられなくなったら、この辺は本当にひどいことになる」と、コートニーさんは言う。

ブリーディング医師の「マウンテン包括ケアセンター」では、薬物中毒の赤ちゃんが生まれないよう、妊婦に支援を提供している。メディケイドの保障対象なので、患者の費用負担は必要ない。だがオバマケア改廃法案の最新案では、これが見直されている。

コートニーさんは新しい家族を迎えるために、トレーラーハウスを掃除しているところだ。薬物をやめられたら、学校に入り直したいと思っている。

「少しだけ不安な気持ち。これからもずっとそうだと思う。薬に戻っちゃうんじゃないかって、不安はずっとなくならないはず。でもわくわくする気持ちもあって、それが不安よりも大きい。ともかく早く、普通に戻りたくて」

「こんなこと言うなんてすごく変だと思われるだろうけど」と、コートニーさんは笑う。「ちゃんとした生活を取り戻して、薬をやった時のあの感じだけ欲しがるんじゃなく、ほかのことに打ち込みたい。その時が本当に待ち遠しい」。

ブリーディング医師は、このような予防医療が長い目でみれば医療コストを削減し、薬物乱用の連鎖を断つことにつながると確信している。

その一方で、医師は現実主義者でもあるので、連邦補助金がいつまでもレッチャー郡に流れ込んでくるなどありえないのは分かっている。

「全国民が同じ保険に入るべきだと思う。トランプ大統領も僕もうちの患者も、みんな同じ保険ということにすれば、全員にとってうまくいく保険にしなくてはと、みんな考えるようになるはずだ」

レッチャー郡から繰り返し聞こえてきた叫びはどれも同じだった。「私たちから医療を奪わないで」と、住民は叫んでいるのだ。

トランプ氏は自分の支持者について、米国の「忘れ去られた」人々と呼んだ。

そのトランプ氏が、今度は自分たちに背を向けたりしないようにと、ここの人たちはひたすら願っているのだ。

(英語記事 ’Don't take away our healthcare' says Trump country