仲間に「バカと言わせる強さ」ルフィが理想のリーダーになれた極意

『安田雪』

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安田雪(関西大社会学部教授)

 『ONE PIECE(ワンピース)』を題材に、最近のリーダーや組織について3つのポイントを語ってみたい。第1は「『バカ』と言える力」、第2は「スピーチ・アクト」、第3は「喪失の代償」である。

 まずは、ワンピースについておさらいをしよう。ワンピースは、1997年から「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載が開始され、2017年7月現在、85巻までの単行本を出版、累計発行部数は3億5000万部を超えている。小学生から大人まで幅広い支持を得ており、「国民的漫画」と称されることもある。

 紹介するまでもなく、主人公ルフィが海賊王を目指し、仲間とともにいくつもの冒険をしながら成長していく物語である。テレビ、映画、果ては歌舞伎にまで広がり、ファンはストーリーに一喜一憂するわけである。
(C)尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション
フジテレビ 土曜プレミアム『ワンピース エピソード オブ 東の海(イーストブルー)~ルフィと4人の仲間の大冒険!!~』8月26日(土)21時~
 「所詮、少年漫画の世界」「私には関係のない漫画」と考える方もおられるだろう。だが、ビジネス社会を担う大人にとっても、ワンピースから学ぶべきことは多いと私は考えている。現に、小学生時代にワンピースを愛読していた子供たちは、既に社会人として働き始めており、彼らはルフィ率いる海賊団「麦わらの一味」のような仲間のあり方を理想としているような世代でもある。

 前回の衆院選では、当選こそしなかったが「ワンピースのような政治をしよう」と訴え、自民党から出馬した候補者さえいた。ともあれ、ワンピースという世界、ひいては主人公らのあり方にある種の魅力があるようだ。「ワンピース世代」とともに働き、生きていく私たちには、共感するか否かはさておき、まずは彼らを理解する必要がある。

 ルフィには、仲間をまとめ、場合によっては敵さえも味方に変えてしまう魅力とリーダーシップがある。その源泉はやはり言葉と行為である。ルフィの「仲間力」やリーダーシップについては拙著で既に言及しているので、今回はそれらとは違った視点から、ワンピースにおけるリーダーシップについて話をしたい。まずは「バカ」と言える力についてである。

 パワハラやアカハラの訴えや、モンスターペアレントなどが跋扈(ばっこ)し、「物言えば唇寒し」この時代だが、意外なことに、ワンピースの主要人物のセリフでは「バカ」が多用されている。ワンピースの主要人物たちは、かなりの頻度で、周囲の人々に「バカ」と言っているということである。これは、ゼミの学生がワンピースの主要登場人物のうち3人、すなわち主人公のルフィ、魅力的な女性航海士であるナミ、世界一の剣豪をめざすゾロを選び、そのセリフをテキストで書き出し、彼らの使う言葉の特徴を分析してくれた結果である。
なぜ「バカ」と言えることが強いのか

 さすがに全巻・全セリフの入力と分析は不可能だったので、おおよそのワンピースという漫画の性格が固まってくるとされている第1話からアラバスタ編までの全セリフをデータ化し、テキストマイニング(文章解析)して分析してくれた結果である。テキストマイニングの技術や入力ルールの詳細は省くが、この主要メンバー3人にどのような言葉が多く使われているかを数え上げていくと、「海賊」「仲間」「船」「偉大なる航海」など、いかにも「ああ、ワンピースらしいなぁ」という言葉が頻出している。ところが、意外なことに頻出ランクが高いのが「バカ」という言葉なのである。

 バカと相手に言える強さ、そして、それ以上に、バカと言われて、それを受け止められる力の問題である。京都や大阪では「アホ」といわれるのは愛情を感じるが「バカ」と言われると腹が立ち、東京では「バカ」と言われるのは耐えられるが、「アホ」と言われると腹が立つという俗説があった。これも上方芸人たちの活躍で、関東と関西での受け入れられ方はかわりつつあるようにも思う。

 話を元に戻そう。ここで述べておきたいのは、関東・関西を問わず、礼儀作法は当然のことであるが、時には互いに「バカ」と言い合える余地や余裕も、組織における上下関係、リーダーと部下との間にあっても良いのではないか、ということだ。ただ「バカ」と言っただけでパワハラだと解釈されるような隙間のない組織やコミュニティーは、互いの信頼関係についてもう一度考えたほうが良いだろう。

 第2のポイントは、スピーチ・アクト(言語行動)である。ルフィ、ナミ、ゾロのセリフを分析していくと、基本的に前向きでポジティブなセリフが多い。麦わらの一味のなかにはネガティブ思考の固まりのようなキャラクターもいて、私は彼に共感することが多いのだが、残念ながら彼は今回の分析対象外である。ルフィらの言語がポジティブかネガティブかということよりも、ここでは言語が行動そのものになっている、いわゆるスピーチ・アクトに注目したい。
「海賊王に俺はなる」宣言が持つ意味

 ルフィは「海賊王におれはなる!」と宣言して冒険の船出をするのだが、物語が進むにつれて、いつのまにか行為が海賊王と周囲が見なす(すなわち海賊としての懸賞金が桁外れに上がっていく)にふさわしくなっていく。ルフィは海賊王なのではなく、海賊王になると宣言することで、自らが海賊王としての行動をとっているのである。これは、スピーチ・アクトの典型的な一例である。すなわち、自分が何かを宣言することで、自分がそのものになる、周囲を巻き込みながらそういう状態を生成できるということである。
 リーダーのありよう、組織のありようとして、自分が何者か、何者でありたいのか、どのような状態を望むのかを、明確に言語化することで他者を巻き込み、物事を実現させていく。宣言から始め、生き延び、責任を取るというありかたは、今の時代に適合的なリーダーの姿だと思う。

 第3は、喪失の代償である。これはセリフの計量的な分析とは関係はなく、ワンピースに多く登場する、主人公らの「過去の記憶」についてである。

 ワンピースには、大切な人を喪う光景が多々出てくる。最も象徴的なのが、ルフィにとっての最愛の兄エースの喪失である。自暴自棄になったり後ろ向きになったり、心身ともに苦悩した後、ルフィはついに立ち直る。だが、立ち直った後に、喪失の代償にルフィの中では、幼かったころに兄と過ごした日々が、金色の輝きを放ち続ける。

 ナミであれゾロであれ、それぞれが大切な人と死別し、その人々との記憶を自分の中に閉じ込め、その記憶をエネルギーとして自己研鑽(けんさん)をし、前向きに日々を生きている。過去に対する恨みや憎しみは、根本的な問題を何も解決しない。失った人とのかけがえのない時間や思い出は、自己のなかで幸福の糧となり、生きることを肯定し、「なお生きよ」「なお先へ進め」と呼びかけてくる。喪失という大きな代償のかわりに、かつての幸福の記憶が人を支えるのである。

 失敗や敗走、そして喪失を体験したリーダーは強い。リーダーに限らずとも、喪失を知った人々は、笑えることの喜びを知り、大きく成長する。そして、いつか、他者とともに夢をかなえ、他者を癒す力さえ持つに至るのだろう。

 関心を持ってくださった方は、拙著『ルフィの仲間力』『ルフィと白ひげ-信頼される人の条件』(ともにアスコム)をお読みいただければ幸いである。

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