よく知られているように、進次郎氏はことあるごとに安倍総理を批判してきた。「被災地の復興は進んでいる」と、安倍総理が東日本大震災の追悼式で挨拶すれば、「私は進んだなんて言えない」と、真っ向から否定した。

 安倍総理がアベノミクスの成果を自画自賛すれば、「すでにやってきたことを声高に言い続けるよりも、むしろ(アベノミクスの恩恵の)実感がないという人たちに、何を訴えるのか。アベノミクスの先にあるものは、いったい何なのか」と足を引っ張る。
衆院TPP特別委員会で、安倍首相(右)に質問する小泉進次郎氏=2016年10月
衆院TPP特別委員会で、安倍首相(右)に質問する小泉進次郎氏=2016年10月
 正論は「進次郎人気」の一丁目一番地。「こんなこと言うと総理に睨まれるかもしれない」と忖度しない。「本当のことを言ってどこが悪い」という毅然とした居直りと清新さが進次郎氏のウリでもある。意識しての言動であるはずで、進次郎氏が、自分のこの立ち位置を知らないとしたら、それは政治家失格ということになる。

 だから、総理を批判すれど自民党を飛び出さない。「ここまでの批判であれば、むしろガス抜きとして許容される」という土俵際を心得ている。だから、ちゃぶだい返しは絶対にしない。

 将来を嘱望される若手士官にとって何より大事なのは、軍という組織であって、時の司令官ではない。司令官が誰であれ、軍の中で地歩を占めていき、いずれその席に自分が座ることが最終目標なのである。こう考えれば、進次郎氏が入閣しなかったのは当然と言っていいだろう。

 政界に限らず、組織に生きる人間は、地位という「栗」の争奪戦である。一兵卒は勝負を懸けて火中に手を突っ込み、将来を嘱望される士官はヤケドしないよう火勢を慎重に見極める。

 こう書けば当たり前に思われるかもしれないが、自分の「立ち位置」を客観的に判断できる人間は少ない。まして、自惚れ屋の政治家たちはなおさらのこと。稲田某、金田某、今村某という政治家を持ち出すまでもなく、見境なく「火中の栗」を拾って大ヤケドする。

 筆頭副幹事長を任じられたとはいえ、進次郎氏の事実上の「入閣拒否」は、組織における処し方について、大いなる示唆を私たちに与えてくれるのだ。