加藤隆則(汕頭大学長江新聞與伝播学院教授)

 日本は世界における新聞大国である。日本新聞協会によると、2016年の新聞総発行部数は4327万部、1000人当たり部数では400部で世界1位。業界全体が衰退しているとはいえ、各種の世論調査は、新聞の信用度がインターネットより勝っていることを物語っている。「社会の木鐸(ぼくたく)」の美称はすでに廃れたが、「新聞に書いてある」のひと言は依然、社会の中で一定の権威を持つ。

 新聞大国の象徴として、世界一の最大発行部数を堅持する読売新聞の問題を研究することは、健全な公共の言論空間を模索するうえで不可欠だ。あらかじめキーワードを示せば、内向きな「事なかれ主義」と、外に対しての「事大主義」となる。「功利主義」というコインの裏表だと思えばよい。

 なぜ発行部数が多いのか。おそらく現場の記者たちも十分な回答はできないだろう。「全体的に教育水準が高い」とは、しばしばもっともらしく語られる理由だが、各家庭はそれほど真剣に新聞を読み込んでいない。「販売政策が優れている」は、システムの解説でしかない。歴史的な背景にさかのぼって考える必要がある。

 戦時中のメディア統制は、いわゆる「一県一紙」による新聞業界の寡占体制を生んだ。1938年から新聞用紙の配給が統制され、1940年から新聞社の統廃合が進んだ。その結果、1938年に848紙あった日刊紙は、4年後の1942年にはわずか54紙に激減した。
 一方、経営サイドからすれば、上からの新聞統合は同業他社との過当競争で共倒れになるリスクを避け、経営基盤を安定化させるのに役立った。戦前は朝日、毎日の二強に対し、読売は大きく後塵(こうじん)を拝していたが、1938年には100万部を突破し、徐々に三強体制が築かれていく。

 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は宣伝工作に有利なメディアの寡占体制を温存した。事前検閲に加え、各新聞社が設置した世論調査部門を通じ、米式民主主義を植え付けるために利用した。戦後に受け継がれた新聞業界の寡占体制は、大量発行部数モデルを生むゆがんだ市場の土台を提供した。

 現在、日刊紙の数は117種しかない。他の先進国と比較すれば、新聞大国の内実が質の面ではお寒い状況であることに気づく。しかも、五大全国紙が市場の半分を占めている現状は、言論の多様性という点から、大国の栄誉ではなく憂慮と呼ぶのがふさわしい。

 報道の自由はメディア間の競争と不可分だ。競争がなければ自由を追求する精神は育たない。メディアの寡占体制は、報道の自由への責任をないがしろにする根本的な病根を抱えている。