こうしてNUMOの公募方式でも膠着(こうちゃく)状態に陥ったまま、2011年3月11日に東日本大震災と福島第一原発事故が起き、原発問題やエネルギーは国民の大きな関心事となった。そこに登場したのが小泉元首相である。

 福島第一原発事故を目の当たりにして「自分はだまされていた」と講演では口にしていたが、メディアのインタビューを受けない小泉元首相の主張が脚光を浴びたのは、毎日新聞特別編集委員の山田孝男氏が2013年8月26日の「風知草」というコラムに書いた『小泉純一郎の「原発ゼロ」』という記事だった。

 三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行して、フィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」と自然エネルギーが進むドイツを視察し、小泉氏の「(使用済み核燃料の管理に)10万年だよ。300年後に考えるっていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」という言葉を紹介している。

 これで小泉元首相の「原発ゼロ」発言が一気に世間の耳目を集め、人気が沸騰した。しかも、翌2014年2月には東京都知事選挙も控えているというタイミングだった。筆者の見立てでは、この小泉人気に危機感を覚えつつも反発した安倍官邸と経産省の中枢が「核のごみ」の問題解決に乗り出したと推察している。

 2013年12月6日の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会に提示された資料の中に「国が前面に立って、高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた取組を推進」と明記されている。これこそ、小泉元首相に対抗して官邸に居る経産官僚出身の今井尚哉政務秘書官が切った切り札、「国が前面に出る」なのである。

 しかしこれは、旧動燃の失敗の歴史を繰り返すもので「切り札」というよりも「墓穴」であった。この時に失敗へのレールは引かれたのだ。

 そもそもこの国では「国が前面に出る」と、残念ながらほぼ例外なく失敗する。
 福島第一原発事故の汚染水問題でも、安倍首相は「汚染水問題は東電任せにせず、責任をもって国が前面に」と述べ(2013年8月7日の原子力災害対策本部など)、それを踏まえて、東京オリンピックの招致演説(同年9月7日、ブエノスアイレス)で安倍首相は「(汚染水は)完全にブロック」「アンダーコントロール」と発言している。

 ところがその後、国が補助金を出して建設した凍土壁は機能せず、汚染水問題は何ら改善していない。そもそも、国は補助金を出しただけであり、実態はずっと東電任せのまま、これまで「国が前面に出た」ことは一度たりともない。
水素爆発で崩れた東京電力福島第1原発3号機=2016年8月
水素爆発で崩れた東京電力福島第1原発3号機=2016年8月
 「国が前面に出る」と必ず失敗する原因は、そうした「大言壮語」をする者が問題を過小評価する一方で自己を過大視しており、「大言壮語」の反面で、実態は「お粗末なお役所仕事」という情けない組み合わせである。

 「国が前面に出る」と聞くと、何やら全ての国家組織が一斉に動くように聞こえるが、それはスローガンだけで中実はうつろだ。実態は、縦割りのお役所仕事に降りてゆき、せいぜい担当課のレベルの仕事に矮小(わいしょう)化され、その担当課も責任を負いきれずに逃げ腰になるため、「国が前面」という言葉とは大きく乖離(かいり)してゆく。